上海の風景としての清掃員

2024/07/29 17:30

趣味のジョギングで上海の街を走る度に道の清潔さに目を見張る。ゴミがほとんど落ちていないのだ。どの通りにも必ずと言っていいほど一名から数名の清掃員(中国語では环卫工人)がいて、それに加えて道路清掃車と散水車とが頻繁に道路を綺麗にしてくれるからだ。とりわけ寒風吹きすさぶ冬の日も灼熱の太陽が照りつける夏の日も道を清掃してくれる清掃員には頭が下がる。彼らのおかげでゴミにつまずくこともなく安心安全なジョギングが出来、自然に感謝の念さえわいてくる。 

上海に暮らして早四半世紀となる。来た当初は街全域が開発途上だったこともあり、市内のあちこちには雑草が生い茂った空き地がまだたくさん残っていた。そこに放置され投棄されたゴミもしばしば目にした。しかし、その後の急速な都市化に伴う街の環境改善の経緯は周知の通りである。特に上海万博を機に街の美化は一気に進み、上海は清潔な街へと変貌していった。

 例えば、日本と違うゴミ箱の設置は興味深い。日本だと各飲料メーカーが自主ガイドラインに沿って自販機横にリサイクルボックスを設置するが、上海の自販機横にはほぼゴミ箱がない。主に地下鉄ホームや公園敷地内、そしてオフィス内に設置された自販機専用のゴミ箱はなく、近くの別の場所にきちんと設置されている。飲んだ後、ゴミ箱がないことに気づいてうろたえたが、近くにゴミ箱がありほっとした経験が何度もある。  

道路沿いに設置されたゴミ箱には、紙類、プラスチックや発泡スチロール製食器類などを含む生活ゴミを意味する「干垃圾」、ペットボトル、ガラス・ビン、金属類、新聞紙などのリサイクルゴミを意味する「可回収物」、そして電池などを分別するよう厳格に指示されている。

 その一方で、各マンションのような住居エリア内でのゴミ収集はほぼ日本と変わらず、燃えるゴミ、生ゴミ、リサイクル用ゴミと三つに分けて出すが、日本のように曜日に分けたゴミ出しではなく一年中毎日のゴミ出しが可能なのはありがたい。ちなみに上海では二〇一九年七月から「上海市生活ゴミ管理条例」が全国に先駆けて施行された。前年二〇一八年の上海のゴミ総量は二・六万トン/日で年間九〇〇万トン。これを処理するには二・五トンの収集車が一万台以上必要だったとされる。この条例を機に市民の生活ゴミに対する意識は劇的に改善し、資源のリサイクル感覚も急速に共有されつつある。

 そんなゴミ収集に従事する清掃員の姿は日々の暮らしの中で目にする。マンション敷地内で、地下鉄構内で、公園で、そして道端で。夏の日差しを避けて木陰で休んだり、突然の雨を街路樹の下でやり過ごしたり、真冬に着ぶくれした姿でホウキをはいたりする彼らの姿はお馴染みとなった。さらに彼らはただの清掃員というだけでなく、担当する周辺地区の共同体の一員でもあるかのようだ。道端でしばしば目にするのは、仕事の合間に近隣住民らと語らう彼らのほほえましい姿だ。幼児を連れた高齢者と楽し気に語らう様子は街の風景にしっかり溶け込んでいる。このように、あの銀色の四角いリヤカーと青い服を着た清掃員は私にとってはもはや上海での暮らしの一部と言っていい。上海市には五万人を超える清掃員が日々、街の清掃に従事してくれている。

花々が咲き始める春、灼熱の夏、落ち葉の舞い散る秋、そして寒風の冬。四季を通じて上海の街は彼ら清掃員の手によって清潔に保たれている。とりわけプラタナスの葉が落ちる秋、彼らは秋の風物詩の落ち葉を路上に残したままでその他のゴミだけを収集するという粋な計らいも忘れない。美しい上海の街の風景は彼ら無くしては語れない。ただ、それだけに夏の炎天下で黙々と働く彼らの健康が心配になることもしばしばだ。街の衛生に貢献する彼らにはそれ以上に自らの健康に十分に配慮してほしいと願うばかりである。

昨年、友人の画家が上海の四季の街をテーマにした個展を開いたことがあった。そのいくつかの風景画の中には、あの清掃員たちがどこか遠慮がちに描かれていた。彼らは決して絵のテーマとして描かれたわけではないが、上海の街に印象深いアクセントを与えていた。彼ら清掃員は上海のエッセンシャルワーカーであるのは言うまでもない。しかし、それ以上に彼らは「上海の風景」には欠かせないエッセンスの一つなのである。

(文・ 松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。