「脅威」とは何か、脅威をこえる思考へ

2023/01/5 09:00

新しい年、2023年が明けた。

ウクライナにおける戦火、インフレの昂進と世界経済の先行き不透明、世界の基本構造となった「米中対立」の先鋭化、地政学リスクの一層の増大…。

時代に光が見えない状況の中で年を越した。

そこであらためて「脅威」の向こうへという問題設定をしてみたい、と書きはじめたところで既視感に襲われた。そうだ、昨年正月の本欄でも「中国の脅威」をめぐって書いていた。残念なことだが、事態は何ひとつ進展していない。それどころか、一層深刻になっていると言わざるをえない。

昨年末の日本の「動き」はもはや繰り返すまでもないが、安全保障問題の論者の中には「戦争のできる日本」からさらに歩みを進めて「戦争する日本」となったという言説も見られる。ひと言でいえば、改憲なきままに憲法をこえたというのである。今回の「安全保障戦略の改訂」においては、第一に中国を、続けて北朝鮮を挙げて、東アジアの安全保障環境における「脅威」とした。

そこで原初に立ち戻って「脅威とは何か」という命題を再確認しておかねばならない。

「脅威」を因数分解すると「能力」と「意図」の二つのモメント(因子・要因)の積によって構成されるというのが安全保障問題の常識となっている。すなわち、脅威=能力×意図という計算式で表すことができるというわけである。よって、それぞれの因子・要因についての誤りなき分析が前提となる。つまり、脅威とは無前提にある絶対的なものではなく、対象の能力と意図についての分析次第によって可変のものだということである。さらに言うなら、一つの因子が巨大であっても、もう一つの因子を限りなくゼロに近づけることができれば、それは脅威とはならないということである。卑近な例を挙げれば、世界最大の軍事力(能力)を誇る米国を日本にとっての脅威とはみなさないのは、日本に対する攻撃意図をゼロとしているからである。いかに巨大な能力といえどもゼロと掛け合わせれば積はゼロとなる。これは子どもでもわかる計算式である。

この定式から導き出される結論は重い。

逆説的に言えば、相手方の軍事力(能力)が強大な場合、どうすれば意図を限りなくゼロにできるのかという命題として存在しているということである。よって、能力(軍事力)に対して能力(軍事力)で対抗するというのは愚策となりうる。などと言うと昨年末の「日本の決断」を主導した政権および軍事、安全保障関係者からの厳しい怒りの矢が飛んでくることは必定か。

しかし、冷静かつ論理的に考えれば、こうなるのである。端的に言えば、中国の「能力」(軍事力)の強大化に対して、それを脅威とさせない、中国の「攻撃」の「意図」を限りなく「ゼロ」に近づけることへの自信のなさ、もしくは、努力の放棄を意味するということなのである。すなわち、そこには本来的な「外交の力」の欠如を露呈しているのである。言うまでもなく、ここに至って「外交の力」などと何を甘いことを言っているのだ、という批判、非難は覚悟の上である。そのうえで、対中国、あるいは対北朝鮮も含めて、「脅威」とするものに対して、いかに寒貧たる外交構想力しか持ち得ていないかということを物語る以外の何ものでもないと言えば、さらに関係者の怒りを買うだろうか。しかし、月並みな言葉ではあるが、ここはまさに正念場である。日本の行く末を決する重大な岐路に立っているという状況認識が欠かせない。

中国の軍事力の解析についてはさまざまな見方がある。一方には、広大な国土、国境線に照らせばその規模は決して過大なものではなく、他に脅威を与えるものではないという中国の主張もある。中国の言い分そのままに脅威とする見方をすべて否定しようというのではない。しかし、脅威とは能力と意図の積であるという定式から導き出される、我々にとっての命題はと考えれば、力に力で対抗するという「意図」の不毛を知らされるのみである。

「日本は数十年にわたる軍事抑制政策の劇的な変更を承認し、『普通』の世界の大国となるための大きな一歩を踏み出した。新しい国家安全保障戦略の下で、日本は軍事費を倍増させ、今後5年間で3150億ドルを防衛予算に追加するだけではない。敵地への報復攻撃を可能にする新たな『カウンターストライク』能力を開発し、これまでの方針から大きく転換する」

これは、昨年12月23日「フォーリンアフェアーズ」Web版にジェニファー・リンド氏(ダートマス大学政治学部准教授、ハーバード大学ライシャワー日本研究所ファカルティ・アソシエイト)が寄稿した「Japan Step Up」という論考の書き出し部分である。リンド氏は、日本の「歴史的転換の背景には、アジアにおける恐るべき新たな挑戦がある」として中国の軍事的脅威を挙げ、ついで相次ぐ北朝鮮のミサイル発射、ウクライナ戦争を挙げている。そして、この新たな安全保障戦略は「日米同盟に軸足を置いて」おり「賞賛に値する」と高く評価する。さらに岸田首相が米国に「500基のトマホークミサイルを売却するよう要請した。米国はこの売却に同意しており、ジョー・バイデン米大統領は日本に対して『優先度の高い買い手』と呼んだ」と語っている。

思い返せば、今回の安全保障戦略の「大転換」は、一年前の正月7日にテレビ会議形式で開催された日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)に遡る。そこでは「日米は、今後作成されるそれぞれの安全保障戦略に関する主要な文書を通じて、同盟としてのビジョンや優先事項の整合性を確保することを決意した。日本は、戦略見直しのプロセスを通じて、ミサイルの脅威に対抗するための能力を含め、国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する決意を表明した」とされた。すべては米国との協議の場で約束させられたものであった。さらに、事実確認はできないのだが、「防衛費倍増、GDP比2%超」問題についても、「日米合同委員会」において約束させられたものだと指摘する外交・安全保障関係者もいる。実態が謎に包まれ、「影の政府」とさえ言われる「日米合同委員会」においてすべては決められているというのである。

岸田首相は、年明け9日からフランス、イタリア、英国を歴訪後、カナダを経て米国入りし13日にはホワイトハウスでバイデン大統領と会談する方向で調整が進められていると伝えられている。「トマホーク500発」の購入も含め、すべては訪米に不可欠の「使命」として課せられたものだという解析もあることは忘れてはならない。

中国脅威論はじめ日本における「脅威観」の超克という、われわれにとっての命題は、すべからく日米同盟のくびきから自由になれるかどうか、ここにかかっている。

この1年、深く、重い、この命題から逃げることなく、「日本の外交の力とは」という問いと向き合うことが必要となる。そんな覚悟を迫られる年明けであることを読者諸賢と共通の認識としたい。

(文・木村知義 1月1日記)

****************************************

【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。