聶耳の二つのモニュメント

2022/11/7 13:00

プラタナスの木に囲まれた公園の端にその銅像はある。上海の空に向かい、雨の日も雪の日も夏の太陽が照り付ける日も只管、颯爽と指揮棒を振り上げて今にも演奏を始めるかのようだ。初めて聂耳のことを知ったのは妻が一時期を過ごした淮海路の実家の老房子に行った折で、かれこれ三十年近く前のことだろうか。老房子から淮海路を少し西に向かった所、淮海路、复興路、乌鲁木齐中路に挟まれたこじんまりとした公園の一角に聶耳の銅像は立っている。咲き誇る花を背景に写真をとる人、すぐ傍らにあるプレートに刻まれた国歌の歌詞を目で追う人、周りで戯れる子供たち。若々しい快活なその表情は颯爽とした勇ましさの中にも心なしか微笑んでいるかのようだ。

 上海淮海路の公園の隅にある聶耳の銅像

話は飛ぶが、今夏、奇遇にも神奈川県藤沢市在住の息子に会いに行った折、湘南海岸にある聶耳記念広場まで足をのばしてみた。どこまでも広がる爽快な海と空。右手遠方にはかの有名な江の島がぽっかりと浮かんでいた。絶え間なく押し寄せる白波と戯れる米粒ほどのサーファーたちを背に立派な聶耳のレリーフはあった。御影石の記念碑には、一九三五年七月十七日にこの海岸で不幸にも遊泳中「不帰の客」となったこと、その後、一九五四年に記念碑が、一九八五年にレリーフが建立されたこと、ここが日中友好の礎となる旨などが書かれてあった。なお記念碑は一九五八年の台風で破損したため、一九六五年に再建され、同時に郭沫若揮毫による「聶耳終焉之地」記念碑が設置されたのだという。

   日本湘南海岸にある聶耳記念広場

聶耳は一九一二年、雲南省昆明で“成春堂”なる中医を経営していた父、聶鸿仪,母、彭寂寛の末っ子として生まれた。だが聶耳四歳の時に父は亡くなり、その後、母子家庭で育った彼は一九二八年、中国共産主義青年団に入団する。一九三〇年には上海に移り、「反帝大同盟」に参加した後、一九三三年、中国共産党に入党したという。詳しい経緯については一九五九年制作の『聶耳』から二〇二一年制作の『為国而歌』に至る数多くの映画で描かれている。

中国国歌は「義勇軍行進曲」という。作詞者は田漢、作曲者が聶耳である。この曲は一九三五年公開の「風雲児女」という抗日戦線をテーマとする映画の主題歌であった。作詞者、田漢は一九三四年秋に国民党に逮捕された獄中で同志が差し入れた煙草入れの紙の裏にこの「義勇軍行進曲」の初稿を書いたという。当時、国民党に追われていた聶耳は日本への渡航直前に「風雲児女」の主題歌作曲を依頼され、田漢の歌詞を読んですぐに作曲に取り掛かり、一九三五年四月に完成した。しかし、そのわずか三ヶ月後に湘南の海で帰らぬ人となってしまう。

時を経た一九八一年、聶耳の故郷、昆明市と藤沢市は友好都市となり、没後五十周年の一九八六年、記念広場が完成し、二〇一一年には昆明市から寄贈された記念碑には次のように刻まれている。「一曲報国驚四海 両地架橋恵萬民」(一つの曲で国に報い、世界中を瞠目させた。二つの土地は橋を架けてつながり、万人を幸せにする)。穏やかなレリーフの前に立って、爽やかな潮風に吹かれながら絶え間ない湘南の波音を聞いていると、万人が思わず口ずさむような曲作りにひたむきに打ち込む聶耳の姿を垣間見たような気がした。 

 残暑厳しい八月の下旬、日本から上海に戻った後、聶耳が暮らしていた北外灘周辺を歩いてみた。北外灘周辺は大規模な再開発が進行中で昔の面影はほとんどない。ただ公平路の突き当りには黄浦江の渡し舟乗り場があり、手前にはこの波止場を往来した八名の文化人の顔写真と履歴が書かれたパネルがあった。日本でも知られる魯迅、郭沫若らと共に田漢と並ぶ聶耳の姿もあった。困難の中、夢と希望、大志を抱いてこの北外灘から船に乗りこんで日本へと旅立ったであろう二十三歳の若者は、先の見えない未来への不安とそれを打ち消すさんとする決意をもって、懊悩する自らをも鼓舞する思いであの曲を書いたのではなかろうか。だからこそ、その思いを共有する当時の人々の心の琴線に触れ、いつしか人民の曲として浸透していったのではなかろうか。

今年は日中国交正常化五十周年という節目の年に当たる。日中両国を取り巻く環境は必ずしも順風満帆というわけにはいかないが、日中関係の発展を重視する二十代の若者は多い。プラタナスの落ち葉散る中、大空に向かって高らかに指揮棒を振り続ける聶耳の銅像を見上げていると、あの湘南の海を臨むモニュメントが瞼に浮かんでくる。海を隔てた二つのモニュメントのように日中のつながりは人々の心のうちに刻み込まれ続けるのである。

(文・ 松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。