十字路に立たされた日中両国

2022/10/13 17:15

今年9月29日、日中両国が国交を正常化してからちょうど50年となる。

1972年のこの日、就任後わずか数か月だった田中角栄首相が、政治や命への甚大な危険を冒して中国に赴き、周恩来総理とともに北京の人民大会堂で国交を正常化する協定に署名した。

日本からすれば、苦しかった過去の重荷をようやく下ろすものだった。戦後20年以上が過ぎながら、中国への侵略戦争に対する補償問題が政府にのしかかっていたからである。田中首相は当時北京で、「中国政府は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」という周恩来総理の言葉を聞いた時、中国を大義の国と感じて熱い涙をこぼした。

一方、中国からすれば、日本との国交正常化はアメリカを中心とした西側社会による包囲を打ち破るものであるほか、隣国である日本から技術や資金を得て、対立関係に終止符を打つものである。

これが中日両国の国交正常化の初心である。日本はこの初心のもとで、42年間に渡り中国に総額3兆6600億円というODAを提供し、宝山製鉄所や北京首都空港など重要なインフラ建設を支援したうえ、新幹線の技術を輸出し、3万5000社が中国進出を果たして巨大な市場や利益を獲得した。

日本の支援を受けた中国は、改革開放策が実って今や世界第二位の経済大国となり、国としての総合力も力強く前進し、新幹線や新エネ車、白物家電などで日本と激しい競争を演じるようになったのである。

50年前、中国は弱々しい大国であり、国民は自転車1台あればそれだけで幸せだった。一方、すでに自家用車が普及し始めていた日本は優しい心で中国を見つめ、貧困からの脱却を支えようとした。しかし、日本は2010年にGDPが中国に追い抜かれ、長らく維持してきた世界第二位の経済大国の座を明け渡してから、国民の気持ちも揺らぎ始め、中国は強くなり経済的にも先を行ってしまうと感じた。さらにここ数年、中国が相次ぎ航空母艦を製造し、海や空でもアメリカとしのぎを削るようになって、安全保障も脅かされそうな気分になっている。

つまり、日中両国の関係が競争し対立する時代になり、「子々孫々まで友好を続けよう」との初心が取り戻せなくなっている。戦争を避けるにはどうすべきか、と両国政府や国民が考えなければならなくなった。

50年が経った今年、日中関係がこれほどまで冷え込んでしまったことは、周恩来総理も田中首相も予想だにしなかったろう。

数日前、日中国交正常化50周年の記念行事について日本のメディア関係者と話をした際、「中国人からすれば50周年は大きな節目であろうが、日本人からすれば、じきに行われる中国共産党第20回大会や、今後の中国政府の戦略こそが焦点である」と伝えられた。

そこで私は、日本は中国との関係よりむしろ中国の今後に関心があるのだ、と感じた。

ただいずれにしても、50周年は日中関係改善への大事なきっかけとなる。

今年3月、ボアオ・アジアフォーラムを設立し、天皇から「旭日中綬章」を受章した蒋暁松氏が、9月29日に行われる日中国交正常化50周年記念式典に向けて、福田康夫元首相、二階俊博元幹事長など大物政治家を顧問として招き「組織委員会」を発足させた。私もこの実行委員に招かれている。

9月29日には、昼に経団連や7つの日中友好団体とともに国交正常化50周年祝賀会を行い、午後には「日中茶話会」(日中経済フォーラム)を開き、夜には東京オペラシティで大規模な記念式典や音楽会を行う。

両国関係が冷え込んでいる中、幸いにもトヨタ自動車、キャノン、三菱商事などの日本企業や、中信集団、復星集団、山東建邦集団などの中国企業からの支援を得ており、着実な交流や協力を維持したいという日中両国のビジネス界の期待を感じた。

これからの50年間、日中関係はどのように処理していくべきか。

数日前に鳩山由紀夫元首相とテレビの討論番組に出演した際、私はこう言った。「中国は日本の気持ちに配慮すべきだ。それは隣国だからであり、いかなる動きも隣国の利益に関わる。そして日本は、完全にアメリカの配下に収まって『日米同盟』で中国に対抗したり中国を敵視したりしてはならない。独自の外交戦略をとり、米中両国の間でバランスを探るべきだ。日中両国は、互いに相手の利益を尊重し合い、相互信頼関係を築いてこそ、今後50年間戦争を起こさず友好的に付き合い、平和な隣国となれる」。

これが私の願いであるが、実現するにはやはり両国の政府や国民の努力が必要である。友人になるか敵になるか。国交正常化から50年となる今、日中関係は十字路に立たされている。

(中国経済新聞編集長 徐静波)

******************************************************************

【筆者】徐静波、中国浙江省生まれ。1992年来日、東海大学大学院に留学。2000年、アジア通信社を設立。翌年、「中国経済新聞」を創刊。2009年、中国語ニュースサイト「日本新聞網」を創刊。1997年から連続23年間、中国共産党全国大会、全人代を取材。中国第十三回全国政治協商会議特別招聘代表。2020年、日本政府から感謝状を贈られた。

 講演暦:経団連、日本商工会議所など。著書『株式会社中華人民共和国』、『2023年の中国』、『静観日本』、『日本人の活法』など。訳書『一勝九敗』(柳井正氏著)など多数。

 日本記者グラブ会員。