日本の総領事が中国人の男の子に水を買ってあげたこと

2025/01/25 10:59

1月11日、北京のブックフェア会場で、2025年最初の講演として日本の経済について語った。バブル経済の発生から崩壊まで、「失われた30年」の間の産業構造の改革、生産過剰体制の除去、投資の拡大に向けての「海外進出」、国内消費の刺激に向けて講じた策、さらに苦境脱却から経済再建への軌道に戻るまでを詳しく説明した。

私は、これまでの日本が歩んだ道や出会った壁は中国の参考になり、啓発となると思っている。日本をより研究すれば、中国経済のさらなる振興や発展につながるものだ。

講演を終えた後、上海へ飛び立った。2024年9月に現地の日本国総領事・大使に就任した、なじみの友人である岡田勝さんに会うためである。

岡田さんは、中日両国間の外交に人生を費やしてきた。1990年に神戸市外国語大学中国学科を卒業して外務省に入り、その後間もなく中国の北京大学で引き続き中国語を勉強した。よって中国語が堪能となり、唐や宋の時代の詩もラフな言葉も覚え、すぐに外務省で中国語通訳の一番手となった。

1990年代以降、中国の指導者が日本を訪れた際は、ほぼすべて岡田さんが日本側の通訳を務めた。

2009年に中国から国家副主席が訪日し皇居で天皇と会談した際、岡田さんは現場で1人、通訳をした。

当時、私もその後で取材をしたが、30分間の予定だった会談時間が長引いていたことに気づいた。日本側は異例の事態にかなり驚いた様子だった。どうやら会談はとても盛り上がり、話が尽きなかったようだった。

私は以前、岡田さんに対し、冗談交じりに「天皇との会談で何を話したか」と尋ねたところ、「それは言えない。われわれの決まりだから」と言われた。

岡田さんは大学卒業後、外務省に35年間在籍しており、この間4度にわたり在中国日本大使館に勤務し、北京で計17年を過ごした。三等書記官から領事部長、総務部長と歩み、中国に深い思い入れがあり、北京の一品料理や、早春の青々とした木々の若芽をこよなく愛している。

岡田さんは先月、歯の痛みを覚え、昔から診てもらっていたなじみの日本の医師に治療してもらうために上海から一時帰国した。

公務でなく私用だったので、渡航費は自己負担だった。

岡田さんは格安の航空券を手に入れて日本に行き、治療を終え、帰り便の飛行機に乗り込んだ。隣に中国人の若い母親と、小学生になりたての男の子が座っていた。

離陸して安定飛行に入り、アテンダントが飲み物を載せたワゴンを押してきた。LCC便なので飲み物は有料だった。

ワゴンが岡田さんのそばに来た時、隣の男の子が母親に「水が飲みたい」と言い、母親はすぐにアテンダントに声をかけた。しかし機内での買い物はQR決済やカード払いができず、現金払いのみだった。母親はポケットに手を入れたが、お金はなかった。男の子は、ワゴンを押して遠ざかるアテンダントの後ろ姿を悲しげな顔で見ていた。

その表情を見ていた岡田さんは悩ましくなり、すぐにポケットを探ると、小銭が見つかった。そして再びワゴンがやってきた際に150円でミネラルウォーターを買い、中国語で「飲んでね」と言いながら男の子に渡した。男の子は母親を一目見て水を受け取り、岡田さんに「謝謝」(ありがとう)と言った。

「その一言を聞いて、子供の笑顔を見て、すごくうれしかった。とても可愛かった」。岡田さんは笑顔一杯にそう話してくれた。

岡田さんに「子供は何人いますか」と尋ねたら、「男の子が2人で、もう社会人だ」と答えた。

子供の母親は、隣に座った男性が上海の日本国総領事だなどとはまるで気づかなかったろう。

この出来事を記事にしてWechatに掲載したところ、閲覧数は2日間で9万5000人以上を数えた。「中日両国が仲良く付き合い、互いに支え合って利益を得る隣人になってほしい」といったコメントが95%以上を占めた。

2025年、中日関係はきっとよくなる。岡田さんは、「両国はこれから若い世代が築くべきだ」と言い、私も日本の若者がどしどしと中国に来て、「百聞は一見に如かず」と思ってくれることを強く願う。隣人同士が行き来することで、将来が輝くのである。

******************************************

【筆者】徐静波、中国浙江省生まれ。1992年来日、東海大学大学院に留学。2000年、アジア通信社を設立。翌年、「中国経済新聞」を創刊。2009年、中国語ニュースサイト「日本新聞網」を創刊。1997年から連続23年間、中国共産党全国大会、全人代を取材。2020年、日本政府から感謝状を贈られた。

 講演暦:経団連、日本商工会議所など。著書『株式会社中華人民共和国』、『2023年の中国』、『静観日本』、『日本人の活法』など。訳書『一勝九敗』(柳井正氏著)など多数。

 日本記者クラブ会員。