自宅マンション横にある舞踏学校の敷地内に数匹の野良猫たちが暮らしている。三毛猫、黒猫、虎猫、白猫とカラフルな家族だ。たまにジョギング途中で立ち止まっては、なでたり、猫じゃらしのおもちゃで遊んだりしている。最近は私の姿を見るや否や近づいて体をなすりつけてくるほどだ。野良猫でもこんなに愛らしいのだから、ペットならばなおさらだろう。
上海の街中で「寵物」を冠する店を見つけるのは実にたやすい。寵物店(ペットショップ)、寵物医院(犬猫病院)、寵物美容(ペットトリミング店)、寵物食物(ペットフード)等々。最近ではペットホテルやペット保険、葬儀屋まで増えつつある。ある統計によれば二〇一〇年から二〇二〇年までの十年間で中国国内のペット数は五千九百万から一億八千九百万(日本は二〇二三年時点で犬猫数は約千五百万)に激増し、そのうち一億が都市部で飼われているという。中国ペット業界白書は、二〇二三年時点での都市部でのペット市場規模が二七九三億元(五兆九〇〇〇億円)を突破したと報告している。ペット関連ビジネスが繁盛するのもうなづける。
自宅マンションでも巨大なハスキー犬やぬいぐるみのようなトイプードルと毎日のようにエレベーターで同乗するし、通りに出ると犬の散歩をする住人と次々とすれ違う。とりわけ、黄金城道という歩行街の週末はさながらペットショーのようだ。カラフルな衣装を身にまとった多様な犬種が飼い主と颯爽と歩き、すれ違いざまに鼻をくっつけて挨拶するのはお馴染みの風景だ
日本では高齢者夫婦や独居老人がペットを飼う印象が強いが、最近の中国では八十年代生まれの若い既婚者世帯とZ世代の若者が中心で、中でも九〇后(九〇年代生まれ)と呼ばれる二十代、三十代の女性が多い。彼女たちにとってペットは夫、恋人、そして子供のような、いわば「疑似家族」のようなものだ。それゆえ彼らは惜しみなく愛情とお金を彼らに注ぐ。そんな大切なペットだから、行方不明になった場合は、SNSで呼びかけるだけでなく、自宅周辺にペット探しのビラを貼ってまでして探す飼い主も珍しくはない。以前、自宅マンション敷地内で行方不明になった猫には、なんと五万元(約百万円)の懸賞金がかけられたこともあった。
ところで、上海市内で野良猫を見つけるのは容易だ。ほとんどの公園には必ずと言っていいほど野良猫が住み着いている。雨露をしのげる隠れ場が多く、エサやりをしてくれる優しい人もいるからだろう。それとは対照的に野良犬(流浪犬)はほとんど市内では見かけない。上海に来た当初(二〇〇〇年代初頭)は郊外は言うまでもなく街中にさえ多くの野良犬たちが徘徊していた。彼らは数匹の集団をつくり、市場やゴミ捨て場で食べ物をあさり、草の茂る原っぱを寝床にしていたようだ。ただ都市開発が進む中で野良犬管理が進み、いつしか市内で彼らの姿を見ることは無くなった。それと並行して上海では増大するペット数を管理すべく、二〇一一年五月に「上海市養犬管理条例」が施行され、いわば犬の身分証明書ともいえる「養犬登記証」が義務化された。それでも、郊外は市内と事情がやや異なるようで、いまだ放し飼いが当たり前だ。なので時に犬に絡んだトラブルが発生する。 私も郊外の田舎道をジョギング中に突然吠えたてられて犬に追っかけられ、必死に逃げた経験は一度や二度ではない。
そもそも上海を初めとする都市部でペット飼育が流行りだした背景には、経済発展に伴うライフスタイルの変化と、都市開発による地域社会や家族構成の変容がある。二〇〇〇年代前半は特に子供家族と離れて暮らす老人世帯が増え、高学歴、高所得の女性労働者の一人暮らしが当たり前になり、そして結婚しても子供を持たない若い世帯さえ増えてきた。とりわけデジタル疲れが顕著なZ世代の精神的な慰めとしてのペット需要が高まったのは自然な成り行きであったといえよう。
「寵物」の「寵」の正字は「寵」。「寵愛」する、つまり可愛がるという意味だ。二〇二二年時点ですでに上海市のペット数は約二百万で、そのうち犬が百万、猫が百二十万だったという。そして二〇二四年の今年、二十四万匹の養犬登記証が新規に発行されたらしい。世界でアニマルウェルフェア(動物福祉)が問われる昨今、「万物一体の仁」が継承されている中国でも飼い主とそのペットたちが共に幸せな「暮らし」を享受できることを切に願いたい。
(文・ 松村浩二)
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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。