辰年の春節の龍のこと

2024/02/28 08:30

街中の至る所で龍を目にした。初詣の龍華寺や城皇廟のある豫園などは言うまでもなく、デパートでも公園でも、そして街角でも様々な表情の龍がひときわ目立つ春節であった。中国では龍は縁起のいい干支として普段からもてはやされているが、この春節は特別に中国全土で龍が大活躍したようだ。

龍と聞いて何をイメージされるだろうか。日本の昔話に「龍の子太郎」があるが、旧い世代なら李小龍(ブルース・リー)を、新しい世代なら「千と千尋の神隠し」の白龍を思い浮かべるかもしれない。

春節三日目の午後、上海図書館で「龍」の文字をテーマにした書道展があるというので足を運んでみた。図書館周辺は武康路歴史文化街近くにあり、大勢の観光客が頻繁に往来していた。だが、会場内は参観者がまばらで展示物をじっくり鑑賞できた。中でも十種類の龍の字体は当時の歴史が刻印づけられたユニークなもので、漢字の歴史の悠久さと奥深さとを改めて実感できた。

また旅先の寧波博物館では、龍の歴史的な展示会が開催されていた。そこでは文字のみならず、祭祀用の道具、壺や皿、家具や服装など様々な物に龍の彫刻が施されていた。十二干支で唯一、空想上の存在である龍は古代から多様な形で表現されてきたという。吉祥をもたらす縁起物の日用品から皇帝の権威付けを示す衣服に至るまでそこには多種多様な龍が刻印されていた。つまるところ龍は吉祥をもたらし人々を守護する信仰対象だった。その故に宮廷やお寺などの建造物の屋根には必ずと言っていいほど龍の彫刻が施されている。さらに上海延安高架路を支える巨大な支柱にさえ立派な龍が刻み込まれているほどである。

このように長い中国の歴史の中で龍が表現され形象化され続けてきたのは、他でもない。「龍が実在の生き物」ではなく「空想上の存在」だからである。問うべきは「龍が存在するか否か」ではなく、「龍をいかに想像し創造するか」という人間の想像力そのものである。人間の想像力こそが創造物に命を吹き込むことができるのであり、まさしく画龍点晴そのものである。AIの脅威が議論される今、人間の想像力の持つ大切さを龍の歴史が改めて教えてくれたような気がする。

ところで、龍の英訳をめぐってはDragonかLoongかのどちらにするべきかについての議論があったと以前見たことがある。十九世紀初頭にイギリス人宣教師が龍を西洋のDragonと英訳したそうだ。だが、西洋のDragonが暴虐性に満ちた邪悪な存在である一方で、中国のLoongは吉祥をもたらす高貴な存在だとされた。そうした経緯もあって二〇〇八年の北京オリンピックに先立ち、龍の英訳はLoongにされたのだという。

たしかに、この春節の街角で見られる龍の飾り付けからは「暴力性」や「残虐性」は微塵も感じられなかった。どれも優しく穏やかで、時にユーモラスで、時にあどけなさの残る親しみやすいイメージなのだ。私も辰年の還暦祝いに知人の芸術家に龍の絵を頂戴したが、実に軽やかでかわいらし気で、見れば何かいいことがありそうな予感さえするほどなのだ。それ以上に印象深かったのは本物と見まがうほどの龍の飛翔が深圳を初め各地で演出されたことだ。LEDを搭載された二千機ほどのドローンによるものだが、実に幻想的な映像に心底魅せられた。漆黒の夜空を優雅に飛翔するその姿はいかにも神々しく、正に「登竜」そのもので、新しき年への希望や期待を抱かせるに十分であった。

この春節は移動総人数九十億人(その多くが無料の高速道路移動人数とされる)とも言われ、国内各地での大混雑が予測されたこともあり、我が家は上海で静かに過ごすことにした。春節の初詣の混雑を避けて、二日前に龍華寺に参拝。境内は線香の煙でむせかえり、参拝者でごったがえしていた。名物の龍華寺素面の店には龍のような長い行列が出来、入場制限するほどの大盛況だった。また極彩色の龍が出迎えていた豫園では厳しい入場制限がかけられていたし、外灘(バンド)、南京路歩行街は言うまでもなく市内の古鎮や公園、そして動物園までも大混雑となった。しかし、そんな彼らを派手ながらもユーモラスな龍たちが温かく出迎えてくれた。

龍に彩られ、龍に魅せられたこの春節。この辰年にそれぞれの吉祥が舞い降り、飛翔できるように運気が上昇していく年となることを願うばかりだ。読者の皆様にとってどうぞ素晴らしき辰年とならんことを!

(文・ 松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。