広く、深い「谷間」を越えるために知るべき事は

2023/11/14 08:30

あまりにも広く、深い「谷間」に戸惑い、立ち尽くす…。

 なぜこれほどの認識のギャップが広がるのかという根源的「問い」にも襲われる。そして、この「谷間」を越えることはできるのか、とも。

 「一帯一路」をめぐる日本メディアの報道を前にしての感慨である。

 周知のとおり、10月17日、18日両日、第3回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムが北京で開催された。18日の開幕式における習近平主席の基調演説は日本時間の午前11時(現地時間午前10時)すぎからおこなわれた。CCTVのライブ中継でじっくり視聴した。物静かに淡々とだが、実に率直な語りかけであった。その後テキストでこの演説を読んでみた。一部経済関係者を除いて政府レベルでは日本が「一帯一路」に不参加であることを反映してなのか、演説の日本語訳テキストは提供されなかった(少なくとも本稿執筆時点では日本語訳の情報はない)。中国語による演説を十全に理解できているか不安は残るが、筆者なりに読み込む努力をしてみた。

 「このイニシアティブの当初の意図は、古代のシルクロードのつながりを軸に据えて、政策の交流、インフラの連結、貿易の円滑化、金融統合、人と人との交流を強化することで、世界経済の成長に新たな原動力を注入し、世界発展の新たな空間を切り開き、国際経済協力の新たなプラットフォームを構築することだった」と、「一帯一路」を構想した時の習氏自身の初心を確認するかのように語り始める言葉に、あらためて「一帯一路」の原点が如何なるものであったのかを思い起こした。そして、「一帯一路」協力は「大局」段階から「工筆画(筆画)」段階に入り「計画地図を現実の光景に変え、多くの画期的なプロジェクトと『小さいが美しい』プロジェクトが人民の生活に恩恵をもたらしている」と、この10年の歩みと現在の到達点を俯瞰したうえで、「『共通の大義、共通の建設、共有』の原則を堅持し、文明、文化、社会体制、発展段階の違いを超え、各国間の交流の新たな道を開き、国際協力の新たな枠組みを確立し、人類共通の発展のために最大の共通項を結集するものである」と述べて、今後のアジェンダ(行動指針)が8項目に整理され、簡潔かつ過不足なく語られている。

 日本のメディアではこの「一帯一路」は「巨大経済圏構想」とされることが多いが、習氏の語り出しの言葉でもわかるように、現在では「『一帯一路』イニシアティブ」となっていることに注意を払う必要がある。すでに「経済圏構想」をこえて、世界各国の新たな「ありよう」を創造的に牽引する「イニシアティブ」として位置づけられていることを知らなければならない。この概念の本質的相違はきわめて大きい。

 今回の「一帯一路」サミットフォーラムの前後、日本のメディアには関連する企画記事が溢れた。 そこに描かれる「一帯一路」像はすべからくネガティブなものであった。曰く、「債務の罠」と「一帯一路」の「低迷」、「行き詰まり」である。中国が語る「一帯一路」との「谷間」は実に広く、深い。国際関係のフィールドで語られる「パーセプションギャップ」そのものである。辞書的に言えば、パーセプションギャップは、「特定の問題についての認識が異なり、両国間の誤解や不信が生じた場合を指す。結果的に摩擦を引き起こすこともある」と説明される。まさしくその懸念を深くする事態が我々の眼前に広がっていることを、真摯に知る必要がある。

 ここでは「債務の罠」論を一例として、私見を述べる。これだけで一編の論文、一冊の書になるテーマであるが、言葉足らずを恐れず、要諦のみに絞る。

 一言で言えば、「債務の罠」を言挙げする際、事実に基づく稠密な観察と考察抜きに風潮で語る「罠」に陥っていないか、厳しい検証が必要だということである。筆者が実際に見聞きしたことで言えば、日本貿易振興機構(JETRO)はじめ途上国経済の専門家の統計的考察においても、中国による債務が、当該国の主に短期債務による破綻状況の主因となっているケースはない、もしくは、ほとんどないとされている。つい最近も、いわゆる「債務の罠」で俎上に上る各国を現地で視察してきた経済専門家に聞いた話では、長期的に見れば当該国にとって債務が国力をこえる過重な負担となってのしかかるケースが生じていることがないわけではない、ゆえに「中国もなんらかの手を打たなくてはならないし、すでにそういう動きになっている」ということであった。まさに今回の「一帯一路」サミットフォーラムの前に、中国輸出入銀行がスリランカの債務再編に応じる方針で同国と合意したことが伝えられたように、途上国それぞれの国情に応じて債務再編など支援する態勢が採られていく取り組みが始まっているのである。すなわち、この10年、さまざまな試行錯誤の中から経験を積んで、中国もまた学び、成長、進化しているのである。

 加えて言えば、この問題を考える際にわれわれが知らなくてはならないことは、中国は毛沢東時代の「貧しい中国」にあってもいわゆる「第三世界」の国々への支援を続けてきた歴史があることである。これらの支援はまさに経済論理(経済合理性)を越えた配慮をもってする支援であった。事実、日中国交正常化前の日本に対してでさえ、経営に難渋する小規模の友好商社に向けて「配慮物資」という、一般には知られない「支援」もあった。それらの場で算盤をはじく余地はなかったのである。つまり、中国にとって、経済論理にもとづく「貸す側」に立つのは、「一帯一路」が、ほぼはじめて経験するものだったと言える。さらにもうひとつ、中国は、ODAはじめ日本からの借款に対する返済を、自国経済がどれほど苦しくとも一度として定められた期限を違えることなく返済し続けてきたということがある。すなわち、誇りと矜持を賭して、日本に対して、返せないと「泣き言」を言うことをしてこなかった自身の歴史があるのだ。しかし、それはどの国にもできることではない、という現実に直面したということなのである。

 どうであろう、「一帯一路」にかかわって、「債務の罠」論のほんの一事をとっても、事実に基づかない、あるいは中国を知らないままの「論」がいかに横行していることか。パーセプションギャップの極みと言わざるをえない。それがメディアによって、あるいは一部とはいえ研究者によって日々拡散され、日本人の一般的中国観あるいは中国論が形成される日常にあるということである。くどいようだが、「債務の罠」論のほんの一断面だけを挙げても、こうなのだ。

 「一帯一路」イニシアティブは日々進化している。動態としてとらえる眼と知見、見識がなくてはその実像は見えてこない。俗っぽく言えば、昨日の中国を見て今日の中国を語ることはできない、ましてや、一昨日の中国をもとに明後日の中国を語るのは無謀と心得るべきなのである。中国とはそういう「恐るべき存在」なのだ。日中の「深い谷」を越えるための私見の一端である。

(文 木村知義)

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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。