上海の出租車(タクシー)事情

2023/04/22 20:45

先日、妻が一時帰国の際に神戸でタクシーを利用しようとしたタクシーは、八十歳代と思しき高齢者が運転するカーナビ無しの車両だったため、乗車を丁重にお断りしたという。首都圏をはじめ都市部では、スマホによる配車アプリ専用車が走り始める一方、日本全域ではタクシー運転手の高齢化がますます進行している。

かつて二〇〇〇年代初頭の上海のタクシーと言えば、四大タクシー会社が凌ぎを削っていた。青色の大衆、黄の強生、緑の巴士、白の錦江がそれである。当時経験したタクシーのエピソードは数えきれない。

まず何よりも驚いたのは、当時の為替レートで百円(当時は一元=十二円)ほどの破格の初乗り料金であった。また、当時は都市道路インフラなどのハードもも未整備だっただけでなく、カーナビやナビアプリなどのソフトも皆無であった。タクシー乗車時は道路わきで手を挙げて流しの空車を止めるというスタイルが主流だったのだ。とりわけイベント帰りや土日の夕方時には、しばしば「熾烈なタクシー争奪戦」が繰り広げられたものだ。ある時、日本から訪問してくれた友人家族を上海馬戯場に引率した際には、帰り際のタクシーの争奪戦で我先にタクシーの来る方向へ向かってダッシュし、二、三百メートル手前で空車をつかまえて彼らを乗せたこともあった。

また、私のつたない中国語のせいもあっただろうが、道の説明がうまくいかず、運転手と険悪な雰囲気になる場合がよくあった。地方出身で道に不慣れな運転手さんがわざと遠回りしていると勝手に思い込んで口論になったこともある。そんなこともあり、乗車直後に乗務員ナンバーを確認することが無意識の習慣トンあってしまった。数字が小さければ経験豊富なベテランの運転手で、大きくなればなるほど地方出身者の新人さんが多かったからだ。

それでも、地下鉄やバス路線網が未整備だった頃はタクシー利用の頻度は高く、少しでも車内空間を和ませようと運転手としばしば会話することもあった。「あなたはどこの国から来たの?」と運転手に聞かれる度に、「いいえ、私は上海人ですよ。」と冗談を言うと、その場が和んだ。当時、運転手の多くが上海郊外の崇明島出身者だったこともあり、「崇明島出身の運転手さんですか?」と尋ねると、相好を崩して「崇明島はいい所だよ。空気もいいし、自然も豊かだから。」と自慢げに話す運転手の様子に自然に笑みがこぼれたものだ。

そんなタクシーが急激に変化したのは、「滴々出行」(中国版ウーバー)の出現である。二〇一二年六月に最初の配車アプリが実装化され、その後、スマホの普及とも相まって、配車アプリは瞬く間に市民の間で普及していく。だが、スマホに不慣れな私は頑なに利用しなかった。いわゆる「白タク」のイメージが強く、普通の自家用車に乗るという斬新なサービスに馴染めなかったからだ。二〇一八年には幾つかの残念な事件も発覚し、それ見たことか、と思った市民も多かっただろう。しかし、否定派を尻目に滴々出行アプリ利用者は瞬く間に増加し、二〇一五年には配車市場での同社のシェアは私用車では八十%、タクシーでは九十九%を占めるに至ったという。また二〇一五年のプラットフォームによる合計乗車回数は十四億三千万回を達成したというから驚きである。

なぜ、それほどまでに中国でこの配車サービスが普及したのだろうか?日本ではタクシーと言えば、贅沢な乗り物である。クラシカルなセダンに真っ白で清潔なシートカバー、背広に身を包み、白手袋でハンドルを握る運転手。日本のタクシーの定番である。つまり、日本でのタクシー乗車には一種の非日常的な特別感を伴うのだ。だが、中国では初乗り料金が安く、タクシーはあくまでも「移動のための道具」でしかなかった。その一方で、富裕層は自家用車を所有して移動する。つまり、中国ではこのタクシーらしからぬ自家用車での配車の利用が単純に便利である以上に、ある意味、自家用車で移動したいという利用者の欲求をくすぐり、特別感を伴う疑似体験を提供しえたからこそ、これほどまでに急激に普及したのではないか、と私は思っている。

一切の無駄を省いた効率的でスマートな上海のタクシー。ただその一方で、見ず知らずの運転手とのかつての他愛のない会話も懐かしい。それは、デジタル時代に欠けがちな人間性(人情)への本能的な執着なのかもしれない。「スマホはあきへん。ガラケーが一番ですわ。」と自虐的に話す高齢運転手の言葉が今でも妙に耳から離れないのは、そのためかもしれない。

(文・ 松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。