上海には二つの老房子工リアがある。ひとつは豫園や新天地に代表される石庫門(里弄)、もうひとつは旧フランス疎開地に残る老洋房だ。豫園界隈は最も下町らしさを残していたが急速な都市再開発でほとんどが無くなってしまった。新天地はその消滅した石庫門の歴史的遺構を観光スポットとして復元したものだ。その一方で後者の多くは歴史的建築物や重要文化財としてその価値を認められ、地元住民の住居として今なお現存している。
淮海路沿いにある妻の実家周辺は、武康路、安福路などに囲まれた旧フランス疎開地で、各国領事館をはじめ、漫画「三毛」の作者、張楽平、中国国歌の作曲家聶耳、更には近代中国の偉大な作家、巴金など数多くの文化人の旧家などが残る気品漂う界隈である。プラタナスの並木道は夏には日陰のトンネルとなり、秋には落ち葉の絨毯となる。早朝や夜の周辺一帯は静寂に包まれ、ここが喧騒の上海の街中であることを忘れるほどだ。
そんな老房子界隈だが、最近では、お洒落なカフェや個性的な店が所狭しと軒を並べ、中国の若者を惹き付けて止まない人気のエリアとなっている。週末ともなれば、老若男女を問わず人で溢れかえり、カフェやレストランは賑わいを見せる。また、少しでもインスタ映えするようにと写真撮影に躍起になっている若い女性の姿も目立つ。しかも、欧米人居住比率の高いエリアでもあるので、中国の街というよりは、さながらヨーロッパの街中にいるかのような錯覚に陥ってしまうほどだ。
通りを闊歩する若者たちの姿を目にするたびに、なぜ彼らはこの界隈に足を運ぶのだろうか、とつくづく思う。彼らを引き寄せるこの界隈の魅力はいったい何なのだろう?
周知の通り、上海はこの20数年来、絶え間なく発展し続けてきた。巨大な都市開発で多くの古い町並みが破壊され、多くの市民が郊外へ移動した。しかし、同時に都市交通インフラも整備され、市中心と開発の進む郊外とが結ばれ、新上海人と呼ばれる地方からの移住者も生まれていく。老房子に刻み込まれたOLD上海の姿を知らない若い世代や、新上海人たちにとって、市内に残された老房子は上海らしさを物語る遺構であり、自らが寄って生きる上海の象徴的な存在に映ったのではなかろうか。
その背後には、より豊かに生きていくための熾烈な競争社会の中で疲弊し始めた若者たちの志向(嗜好)の変化もあっただろう。彼ら若者にとって豊かに生きることはすでに当たり前となり、むしろ、その先にある「より自分らしく生きる」ことへ彼らの志向は向かっているかのようだ。画一的ではなく個性豊かな古き良き OLD上海の街並みを新鮮で魅力的な空間として再発見していったのは、癒しと個性を希求する若者たちの新たな志向だったのではなかろうか。
そんなお洒落な通りにつながる狭い路地裏に一歩足を踏み入れると、表通りとはまた一味違った表情に出くわすことが出来る。窓辺から2㍍ほど突き出した棒に干された洗濯物。いかにも1930年代物とでもいうような新旧様々なアンティーク調の玄関ドア。野良猫がのんびり日向ぼっこをするような静かな白壁の道。そして、何よりも溜息がこぼれるほど美しい洋館の数々。それは初めに述べた多くの著名人や文化人の旧家であることが多い。そして、これら美しい洋館には今でも多くの地元民たちが暮らしている。老房子界隈のエリアが博物館的な過去の遺物ではなく、今でも多くの地元民たちが暮らす「現役の街」なのだと気づけば、改めて上海という街の懐の深さを実感するのだ。
さて妻の実家の老房子にはほぼ毎週1回掃除に行く。淮海路沿いの静かな敷地内に一歩足を踏み入れて、草臥れた玄関を開け、心もとない木製の階段を軋ませながら部屋に上がるたびに、メトロポリス上海という表の顔とは対照的な、歴史と個性豊かなOLD上海という別の表情が垣間見えてくる。成長と成功を目指す上昇志向を抱きつつも、自分らしく、という個性的な生への志向を憧憬する中国の若者にとって、老房子界隈はうってつけのトボス(場)であるにちがいない。
(文・写真 松村浩二)
【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。