いつまで、中国の見えぬ国、日本であり続けるのか

2024/07/30 07:30

したり顔などしていとあさまし…。

いま話題のNHK大河ドラマ「光る君へ」に倣えばこういう表現になるだろうか。中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議(3中全会)をめぐる日本のメディアの報道ぶりを前に抱く感慨である。

「習氏の愛好映す3中全会、中国式説明では世界に通じず」とコラムの筆を執った元中国総局長。「中国経済が抱える深刻な課題への処方箋は示されなかった。国際社会の懸念は残されたままだ」と書く社説。「抽象的な言葉の羅列で、政策について具体策が語られていない」といった類の言説が各メディアに並び、北京と東京を結んでライブで報告したあるメディアの中国総局長は「中国式現代化というが、(コミュニケを)一生懸命読んでみたがまったくわからない」と冷笑を交えながら語った。

中国語も自在で、普段から中国をウオッチしている中国駐在記者、中国専門記者があまたいるはずなのだが、いまだにこの程度の中国認識がまかり通る日本のメディアなのかと情けないかぎりだ。言うまでもないが、中国のありように批判を抱くも良し、中国共産党が気に染まないのも、社会主義を是としないのも、それはそれで良しとしよう。しかし、見るべきを見据え、聴くべきを聴き取る、そして賛否は別としても、深く洞察に富む分析、考察がなければジャーナリストとして禄を食む資格はないと心得るべきだ。その矜持なくひたすら時勢に身を任せる論考では琴線に触れるものとはなりえない。

なぜ今更のようにこのようなことを述べるかといえば、中国と向き合う営為は、すべからく、日本のこれからの行く道を誤ることなく定めるためであり、中国を知ることは、日本を知り、世界を知ることに他ならないという問題意識に立つからである。「3中全会」の詳報は本紙に委ねるとして、ここでは筆者の「雑感」の一端を記しておく。

「改革をいっそう全面的に深化させ、中国式現代化を推進することに関する中共中央の決定」を審議・採択した今回の3中全会は、発表されたコミュニケによると、中央委員198名と中央委員候補165名が出席したことに加え、中央規律検査委員会常務委員会委員と関係部門の責任者が参席したほか、第20回党大会の一部末端代表と有識者が列席したということだが、人民日報に掲載された新華社記者によるレポートからは、ここに言う「有識者」は経済などの「専門家」であったことが読み取れる。

さらに重要なことは、「3中全会」閉会の翌日19日午前に記者会見して決定事項、審議の詳細について説明した中国共産党中央政策研究室の唐方裕副主任によれば、「『決定』は15部分60カ条からなり、三つのカテゴリーに分かれており、300以上の重要な改革措置が盛り込まれている」ということである。すなわち、前述の「いまだにこの程度の中国認識か」というのは、中国共産党の会議の「持ち方」や「コミュニケ」の位置づけをはじめ、中国共産党の事の運びのイロハさえふまえず中国専門記者がよく務まるものだと、妙な感心、というと皮肉がきつすぎるので、ここは率直に、他人事ながら心配するばかりということなのである。

19日の会見では、中央全面深化改革委員会弁公室の穆虹副主任が、「新時代における全面改革の深化に関する重要な成果や改革の一層の全面深化の全体目標と重要原則」について解説し、「今回の『決定』は新たな歴史の出発点に立ち、全面改革の深化の全体目標を明確化したものだ。すなわち、中国の特色ある社会主義制度を引き続き改善発展させ、国家の管理体制と能力の現代化を推進するものだ」としたうえで、改革をさらに全面的に深化させるためには「党の全面指導の堅持をしっかりと貫徹せねばならい」と述べるとともに、「人民を中心とすることを堅持し、正しい道を歩みながら革新に臨むことを堅持し、制度づくりを主軸にすることを堅持し、法に全面的に基づいて国を管理することを堅持し、系統的な理念を堅持するなどの重大原則を実行することが表明された」と説明している。また、経済低迷の要因となっている不動産不況に関し、党で経済政策を担当する中央財経委員会弁公室の韓文秀副主任が、「融資や土地、税など関連する制度の見直しを進め負債拡大に頼った高リスクの経営方式の弊害を取り除く」と述べた。

「3中全会」におけるこうした諸施策にかかわる詳細はこれから順次明らかになっていくと考えられるが、われわれが抱く中国の現況、とりわけ経済の困難に対する吟味、検討と対策、施策の立案について、「3中全会」開催に至るプロセスも含め、専門家を交えて相当詰めた議論が重ねられたことがうかがえるのである。すなわち、今回の「3中全会」は、あきらかに中国のひと時代を画する重要な節目を為す「3中全会」として位置づけられるということである。

大事なことは、中国における社会主義市場経済は、米欧日などの資本主義経済とは根本的に異なる原理・原則に基づいて、言うまでもなく試行錯誤の曲折も含めだが、動いていることを知らずして、まさに、いまや行き詰まりに苦悶する米欧日などの「欲望の資本主義」の「原理」あるいは「尺度」で測ろうとするかぎり、中国の実相は見えてこないのだ。よって、冒頭に引いた中国総局長がライブで語った如く「改革と言うと、鄧小平氏みたいに資本主義に近づき、民主主義に近づいていくイメージだが、習近平総書記の改革はそれとはまったく違う」といった的外れな口吻に行き着くのである。

習近平指導部は、いま、鄧小平以来の生産力の発展強化と豊かさを追求して突っ走ってきた高成長社会における社会の格差はじめ、「不動産開発」に依拠した地方財政や金融における構造的問題など、中国経済のひずみと矛盾、さらには「腐敗」という多くの「負の遺産」と格闘しながら、新たな段階の社会主義、それも中国の歴史、伝統、思想に根差した社会の姿を目指す中国的社会主義への道へと歩みを進めようとしている。言うまでもないことだが、ソ連崩壊を見るまでもなく、世界史的にも、過去、こうした「チャレンジ」に取り組んだ経験は皆無である。ゆえに、本当に中国が目指すような高度な社会主義が実現できるかどうか、誰にもわからない。しかし、いま、中国が、そして習近平指導部が、この前人未到の目標を目指して歩もうとしていることは、まごうことなき事実である。すなわち、われわれの中国への「まなざし」、中国観も、旧態依然としたものからの脱皮を迫られているのである。

今風に言えば、中国のこのパラダイム転換を見逃してはならない。でなければ、日本の今後の成長、発展も望むべくもない。いつまでも中国の「見えぬ国」日本であってはならないのだ。しかと目を凝らし、そしてなによりも謙虚、真摯に中国の現実に分け入って、中国と向き合わなければならない。中国とはそれだけ奥の深い存在である。そのことを忘れ、「いとあさまし」であってはならない。

「三中全会」が問いかけるものは、単に中国のこれからがいかなるものであるかにとどまらず、あらためて、われわれの中国観総体が問われる構造にあるということを知らなければならない。このことを肝に銘じることこそが、われわれの喫緊の課題である。

(文・木村知義)

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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。