「泣きながら生きて」の張麗玲氏が再びTVドラマを制作

2025/01/1 14:30

「泣きながら生きて」というテレビ番組を見たことがあるだろうか。2006年に中日両国で放映されたドキュメンタリーで、下放政策により教育を受けられなかった上海の丁尚彪さんが、勤めていた農村から大都会に戻った後、出国ブームに乗って妻と娘に別れを告げ、学業と仕事のために日本に来る物語である。丁さんは北海道阿寒町で数か月間日本語学校に通ったが、結局働き口が見つからず、出国前に親せきや友人から借りていた金を返済するめどが立たなくなり、1人東京にたどり着き、ひそかにレストランでアルバイトを始めた。

荷物を載せたリヤカーを引いて東京を行く丁尚彪さん

丁さんは15年もの間、居留資格のない「不法滞在」がばれるのを恐れて街歩きをせず、中国にも戻らず、ひたすらレストランと住まいを往復する生活を送った。娘に勉強させるための学費を稼ぎたいという一心だった。父親の姿がうろ覚えだった娘は、アメリカの大学への留学資格を手に入れた後、父親に一目会おうと、わざと東京乗り継ぎ便を選んで母親とともにやってきた。やつれ果てていた父親の顔、そしてみすぼらしい住まい。再会を果たした3人は抱き合って泣いた。家族の集いはわずか数十時間だったが、それまでのつらさや誤解が分かり合いや感激に変わった。丁さんは成田空港へと妻子を見送りに行く中、居留許可がとうに過ぎている故に警察に捕まるのを恐れ、途中の駅で降り、目に涙をためながら2人と別れた。切なさと悲しさに包まれたこのシーンは視聴者の琴線に触れ、妻子のために泣きながら生きてゆく立派な父親というイメージが深く脳裏に刻まれるものだった。

丁さんが妻と娘を成田空港へ見送りに行く場面

このドキュメンタリーは、張麗玲氏が手掛けた計10作のシリーズ番組「私たちの留学生活」の1つである。張氏は、東京から上海、そしてアメリカに至るまで、まる10年にわたり丁さんを密着取材した。風雨にさらされ辛酸をなめ、厳しい生活をする中国人留学生の不屈の精神をようやく日本人の目に届けるもので、中国人の強さ、勤勉さ、責任を分かってもらおうとした。「小さな留学生」などのシリーズ番組とともに、改革開放から歩み続けた中国人が海外で懸命に頑張る感動の物語なのである。

スタッフとともに「私たちの留学生活」を撮影する張氏

張氏は、風光明媚な浙江省麗水市に生まれ、1987年に連続テレビドラマ「紅楼夢」に賈雨村の若妻・嬌杏の役で出演し、後に聊齋の「魯公女」や「生者与死者」などでメインキャストを務めた。1989年に留学のため来日、東京学芸大学大学院演劇科を卒業し大倉商事に入社した。銀座の繁華街にある高層ビルで貿易の仕事に携わっていたが、頭の中は中国人留学生のことで一杯であり、留学生のドキュメンタリーを制作したいと願っていた。張氏は江南出身の女性らしく奥ゆかしい美人だったが、働きぶりは正反対で、「不可能なことを可能にする」という強気な心を持っていた。そしてフジテレビで一番のドキュメンタリー番組プロデューサーの座を射止め、取材班を結成し、10年間かけてあちこちをかけずり回りながら日本の中国人留学生に密着して物語を作り上げ、さらに張氏自身を描いたドキュメンタリー「中国からの贈りもの」も誕生した。「私たちの留学生活」がクランクアップした時、プロデューサーは「これまで数々の女性に出会ったが、張氏が一番やりにくかった。蚊の鳴くような言い方で3時間も口論した末、ついに私が折れてしまった」と語った。

東京の街中でロケを終えた取材班

「私たちの留学生活」は、日本のアカデミー賞ともいうべき「放送文化基金賞」のテレビドキュメンタリー賞、そして個人企画賞を受賞した。張氏はこの番組を作り上げたのち、「身分相応」な形でテレビ番組を配信する「大富」の社長に就任し、中国中央テレビ(CCTV)とフェニックステレビの日本での放送を手掛け始め、18万か所近い宿泊施設で放送されるようになった。この数はCNNやBBCを上回り、日本の宿泊施設で放映される外国語チャンネルの中では10年連続でトップである。また初めてCCTVのニュース番組の海外での日本語同時通訳も始めた。「泣きながら生きて」は、放送から何年も過ぎたが、今でも盛んに動画アプリのTiktokやREDでアップされている。ただ張氏は、時代は変わったと感じており、「今は中国人留学生はみな『金とともに生きて』になっている。ならば当時の留学生たちは今どうしているのか」と、かねてから思いを巡らせていたのだ。

張氏は3年前、ある集まりで「私たちの年代の留学生が経験した、懸命に頑張る様子を捉えたTVドラマを作りたい」との計画を口にした。これが「私たちの東京ストーリー」であり、制作スタッフは当時撮影していた「私たちの留学生活」とまったく同じとなった。20歳の中国人女性である林凛が、期待に胸を膨らませて私費留学生として日本にやってきたが、待ち構えていたのは華やかで優雅なシティーライフではなく、身寄りも収入もなく言葉も通じない中でのカルチャーショックや価値観の違いだった。次々と思いもよらぬ出来事が起き、困難やピンチが襲い掛かる。林凛はくじけず、戸惑いや挫折の中で30年以上も懸命に前へと突き進んだ。やがて中国人も日本人も次々と身近に訪れるようになり、中国人留学生の「第二の故郷」と、日本人の文化の壁をともに描いて心を通わせる感動の物語である。林凛はこうした頑張りを通じて、胸に刻まれる恋愛を経験してゆく……。

連続テレビドラマ「私たちの東京ストーリー」の様々な場面

ドラマは2023年、中日両国でクランクインした。制作スタッフ150人以上、出演者100人以上、エキストラは1000人近くにのぼった。有名俳優や日本で活躍する華人の役者が登場する中で、多くの留学生や中華系の人物が日本で奮闘する人生を演じている。1987年放映の連続ドラマ「紅楼夢」で脚本を担当した周嶺氏も、張氏の誘いを受けエキストラで出演した。このドラマは正真正銘の中国と日本の合作である上、両国の一般市民まで制作に加わっていて、「完全手づくりのTVドラマ」と言える。実はクランクインの翌日、張氏の母親が天国へと旅立った。張氏は葬儀を手掛ける一方で撮影現場にも駆け付けた。予定が1日遅延してしまい、友人などを説き伏せて集めた撮影資金の中から、スタッフに支払うその1日分の費用を負担することになった……。

私たちの世代の中国人留学生の海外での奮闘物語であり、サクセスストーリーでもある。ヒロイン・林凛の自らの努力や頑張りは、泣きながら生きた丁さんとは違い、笑顔とともに中日両国の交流を謳歌するものである。時代も違う別の物語ではあるが、魂は変わらず、不屈の忍耐や粘り強く闘う中国の精神を伝えている。

フジテレビは今回、張氏が撮影した10回にわたるTVドラマを、2025年正月明け1月4日から5日間連続で地上波チャンネルにて放映するという、前例のない番組編成を組んだ。地上波を見逃しても、2つの動画サイトで2週間無料で視聴できる上、18日からは衛星チャンネルでも放映される。放映スケジュールは以下の通り。日本の皆様、どうかお見逃しなく、ぜひご覧ください。

(文:徐静波)

***********************

【筆者】徐静波、中国浙江省生まれ。1992年来日、東海大学大学院に留学。2000年、アジア通信社を設立。翌年、「中国経済新聞」を創刊。2009年、中国語ニュースサイト「日本新聞網」を創刊。1997年から連続23年間、中国共産党全国大会、全人代を取材。2020年、日本政府から感謝状を贈られた。

 講演暦:経団連、日本商工会議所など。著書『株式会社中華人民共和国』、『2023年の中国』、『静観日本』、『日本人の活法』など。訳書『一勝九敗』(柳井正氏著)など多数。

 日本記者クラブ会員。