1996年、味千ラーメンは中国で、日本式レストランとして人気を集めて強力な存在感を示し、「煮込み豚骨スープ」を売り物に飲食業界を席捲した。
1杯30元台というやや高めの値段ながら、訪れる客が後を経たなかった。
ところがここ数年、業績は下る一方で、経営は悪化の一途である。
2022年の味千中国法人の決算報告を見ると、売上高は2011年と比べて28%少ない14.3億元で、ここ6年間で最低だった。
また株価も今は0.84香港ドルで、上場以来最もよかった16.47香港ドルからほぼ95%ダウンとなり、時価にして148億元のマイナスとなっている。
かつての飲食界大手が落人の道をたどってしまった理由は何か。
味千ラーメンは、熊本県の重光氏の一族が立ち上げた。独特の味を誇ってはいたがインパクトは弱く、当初は10人も入れない小さな店だった。
それが中国で名を馳せるようになったのは、女性実業家である潘慰氏の力による。
香港で商売をしていた潘氏は、1995年に仕事で日本を訪れた際、たまたまラーメン店で食事をした時になかなかの味だと感じ、そこでラーメンは生産効率が高いと思い、中国で広めたいというアイデアが生まれた。
潘氏は重光氏の同意を得て、「味千」というブランドを抱えて商標代理権を中国に戻した。
そして、たちまち香港で「味千ラーメン」1号店を立ち上げ、客の入りも上々であった。
さらに潘氏は、事業を中国本土に広げ、香港から川1本隔てた深センで本土1号店を設けた。
潘氏は深センで、いきなり店を開いたりはせず、まずは様子見としてキャラバンカー2台を手に入れ、移動式での商売を始めた。
毎日朝早くから夜遅くまで売り歩いた結果、1杯15元のラーメンを食べに来る人が後を絶たなくなり、わずか8日間で売上高は20万元を超えた。
潘氏これに味をしめ、店舗の開設に大きな自信がついた。そこで現地に「味千ラーメン」を開業させ、商売も順調ですぐに利益を上げた。
味千はその後、他の飲食チェーン店同様に急速に事業を拡大し、市場規模を膨らませた。
こうした成功を支えたのは、かねてからPRに力を入れていた一番の売り物「50年の豚骨スープ」であった。
潘氏は2003年、「味千」ブランドの袋詰めラーメンを打ち出した上、各店舗に面や調理済み品の原料を送り込んだ。
この商品は、2006年には販売店舗数が中国の各大都市で計8000か所以上となり、日本やシンガポールなどにも輸出し、国内外へと広めていった。
そして2007年に香港で上場、その後さらに市場を拡張させ、店舗の数は 2011年に662か所となり、2005年の56店舗から一気に最高潮に達していった。
(つづき)
(中国経済新聞)