定年を段階的に引き上げへ。労働力の確保と年金財政収支の改善を図る狙い
全国人民代表大会(全人代)常務委員会が 9 月 13 日、法定退職年齢(定年)の段階的な引き上げを決定した。中国の定年は現在、男性で60歳、管理職の女性で55歳、非管理職の女性で50歳となっているが、これを 2025年から15年かけて段階的にそれぞれ63歳、58歳、55歳へと引き上げる。また、年金の受給資格取得年数を現在の15年から2039年までに段階的に20年へと引き上げることも決めた。定年の引き上げと年金の受給資格取得年数の延長には、平均寿命の延伸と少子高齢化の急速な進展に対応し、労働力の確保と年金財政収支の改善を図る狙いがある。
本稿では、今回の引き上げに至る経緯と決定のポイントを整理した後、定年の引き上げで労働力人口がどのくらい増加し、中国の潜在成長率にどのくらいのインパクトを与えるのかを試算する。その上で、定年引き上げが労働市場に与える影響について考察する。
社会的なショックを和らげる意図から「自発的、弾力的」な運用を強調
中国の定年は 1950 年代初頭に定められ、改革開放を経て経済社会環境が激変し、平均寿命が大きく伸びた中でも据え置かれてきた(図表 1)。少子高齢化が急速に進み、将来的な労働力の不足や社会保障の持続可能性への懸念が高まる中、定年の引き上げは長年にわたって議論されており、習近平政権も発足当初から定年を段階的に引き上げる方針を示してきた。しかし、不利益をこうむる中高年層からの反発の大きさを考慮して実際の導入は見送られてきた。
ただ、引き上げに向けた地ならしは着実に進んでいた。全人代は 2021年3月に可決した『国民経済および社会発展の第 14 次五カ年計画ならびに 2035 年長期目標要綱』において「徐々に法定退職年齢を延長する」と明記し、2022 年 3 月には江蘇省が定年延長を試験導入するに至った。それは、労働者本人の申請に基づき雇用主が同意した場合に最短で 1 年、定年の延長を可能にするという、労使双方の自主性に重点を置いた規定であった。こうした経緯を受けて、2024 年 7 月に開催された中国共産党第 20 期中央委員会第 3 回全体会議(三中全会)がその決定文書において「自発的、弾力的の原則に基づき、穏当に秩序立てて漸進式の法定退職年齢延長の改革を推進する」と非常に慎重な文言ながら定年引き上げの方針をあらためて明記し、今回の決定につながった形である。
今回の決定では、年金の受給資格取得年数を満たした場合に引き上げ前の定年以降の年齢で早期退職を選択することができ、労使双方が一致すれば新しい定年を最大 3 年延長することもできるとしている。あくまで労働者の「自発的」意思に基づいて「弾力的」に運用することを強調しており、定年引き上げに伴う社会的なショックを和らげようという意図が垣間見える。一方、女性の定年について管理職と非管理職の一本化はなされなかった。管理職(中国語では「幹部」)と非管理職(同「工人」)の区分けは法律で明確化されていないこともあり、政府として各地で異なる規定や慣習に手を入れることは避けたとみられる。
最大で 2026~40 年にかけて経済成長率を年平均 0.33%Pt 押し上げる試算
今回の決定を受け、中国の定年は 2025年1月~2039年12月までの移行期間の間、男性と管理職の女性で5年ごとに1歳(4カ月ごとに 1 カ月ずつ)、非管理職の女性で 3 年ごとに1歳(2カ月ごとに1カ月ずつ)のペースで引き上げられる。
みずほリサーチ&テクノロジーズでは、最新の国連人口推計(World Population Prospects 2024)に基づき、段階的な定年引き上げにより定年前人口(15 歳以上)がどのくらい増加するのかを試算した。女性は管理職と非管理職の比率が分からないため、全員が非管理職である(すなわち、定年は 50 歳から 55 歳に引き上げられる)ことを前提とした。その上で、労働者全員が早期退職せずに新たな定年まで働き続けることも前提とした場合、引き上げが完了する 2040 年時点の定年前人口は引き上げを実施しないケースに比べて8,300万人(12.5%)増加する見込みとなった(図表 2)。
さらに、労働力人口の増加が中国の潜在成長率に与える影響についても試算を行った。中国人民銀行が 2021 年に発表した中国の潜在成長率に関するレポートを参照し、上記と同じ仮定を置いて試算したところ、2026~40 年にかけて経済成長率を年平均で 0.33%Pt押し上げるとの結果が出た(図表 3)。生産年齢人口の減少を背景に、中国の成長会計における労働投入はすでにマイナス寄与となっているが、定年引き上げによって 2026年から2030 年代前半にかけて一時的にプラス寄与に戻る形であるが、2030 年代初めには成長率が3%を割ると予想される中国経済の中長期的な減速傾向を変えるほどのインパクトはないであろう。もっとも、この試算は定年前人口増以外の要素、例えば定年引き上げが労働生産性や雇用に与える影響などを一切考慮していない。早期退職を選択する労働者も一定数いる可能性を考えると、試算結果は定年引き上げの経済効果が最大限発揮された場合とみなすべきであろう。
■ 中高年層と若年層は労働市場で競合せず。
一方、少子化を加速させるおそれも。では、定年の引き上げは労働市場にどのような影響を与えるであろうか。
論点の一つは、中高年層の雇用延長が若年層の雇用に与える影響である。社会の仕事量が一定の状況下において高齢者の雇用増は若年層の雇用機会喪失につながるとの見方(労働塊仮説)もあるが、中国では中高年層と若年層のスキルセットに大きな違いがあることから、この仮説は支持されないと考えられる。中高年層は若年層に比べ低学歴かつブルーカラーが多いとみられるのに対し、若年層の多くは高学歴でホワイトカラーを指向しており、労働市場において競合する可能性が低いためである(図表 4)。足元、若年失業率の高止まりが社会問題化しているが、若年層の求めるホワイトカラー雇用が不足しているミスマッチによるものであり、定年の引き上げがこの傾向を大きく変えるとは考えにくい。ただ、中高年層の転職や配置転換は容易ではないことから、雇用延長が従来型産業の温存につながり、ホワイトカラー雇用を創出するような産業構造の転換を遅らせるおそれはある。
もう一つの論点は、今回の試算の前提にかかわるものであるが、どのくらいの中高年層が早期退職を、あるいは定年延長を選択するかである。現行制度においては「定年退職=年金受給開始」であり、日本に比べて仕事にやりがいを求める労働者は少ないと考えらえることから、年金受給額の上乗せといったインセンティブがなければ、多くの中高年層が早期退職を選択する可能性がある。その一方で、中国では定年退職後の中高年層が共働きの子供夫婦に代わって孫の面倒を見ているケースが非常に多いため、定年引き上げはこの社会慣習に変更を迫る可能性もある。子育て支援サービスの充実が伴わない場合、政府の意図とは裏腹に少子化を加速させる要因ともなろう。
[参考文献]
1. 月岡直樹(2024)「中国3中全会が「強国」路線を再確認 ~政策転換の兆しなく、経済見通しに影響せず~」Mizuho RT EXPRESS(7月29日)
2.伊藤秀樹(2022)「中国経済に忍び寄る人口減少の影響 ~影響強まる2030年代に向け、残された時間は少ない~」Mizuho RT EXPRESS(11月4日)
3. 月岡直樹(2022)「中国の若年失業率は高止まりへ ~新卒急増で就職環境は一段と厳しく~」Mizuho RT EXPRESS(7月22日)
(文:月岡直樹)
****************************
みずほリサーチ&テクノロジーズ 調査部アジア調査チーム
主任エコノミスト 月岡直樹 : naoki.tsukioka@mizuho-rt.co.jp
(出典:MIZUHO CHINA BUSINESS MONTHLY 2024年11月 P5-8)