東アジアの安全保障環境に深く関わる朝鮮半島情勢が動いている。
今月14日、キューバと韓国が「電撃的」外交関係樹立へ。1959年のキューバ革命によって交流が途絶え、韓国にとって中南米・カリブ諸国で唯一国交がなかった国がキューバだった。「中南米外交強化の重要な転換点」とする韓国外務省は、今後双方が公館の開設を協議するなど「両国間の経済協力拡大と企業進出支援のための基盤を整えていく」とした。
その翌日15日夜、朝鮮中央通信は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩総書記の妹、金与正氏(朝鮮労働党中央委員会副部長)が、日本との関係をめぐって「すでに解決された拉致問題を両国関係の障害物としないのであれば、岸田首相がピョンヤンを訪れる日が来るかもしれない」などとした談話を伝えた。北朝鮮事情に通じているジャーナリストと意見交換してみても、本来、対南、対米担当の金与正氏が日本にかかわる談話を発するのは異例だという。また、昨年秋ごろからしばしば官邸筋から日朝関係を動かすために水面下でさまざまな「動き」があるという「話し」が伝えられていたことや、9日の衆院予算委員会で、岸田首相が、拉致問題解決に向けた日朝首脳会談実現への環境整備について「私が自ら必要な判断を行う。具体的にさまざまな働きかけを行っている」と説明したことなど、その実相を見極める取材活動も慌ただしくなっている。
この「二つの動き」の相関を測る具体的な根拠はないが、北朝鮮の相次ぐミサイル発射や金正恩総書記による「南北統一政策」の大きな転換など、一連の「文脈」の中に位置づけて読み取るべき、東アジアの安全保障環境に深く関わる「動き」だと言える。それゆえに、北朝鮮・朝鮮半島をめぐる「新たな局面」には過去に遡った「復習」が重要になる。
ここでは紙幅の関係で日朝関係に論点を絞る。
結論から言えば、「大きな構想」(戦略的視界)があるかどうかが、またもや、鋭く問われているということである。では、「大きな構想」とは何か。
金与正氏の「談話」を受けて16日、林芳正官房長官は記者会見で「留意している。評価を含めてそれ以上の詳細は交渉に影響を及ぼす恐れがあるため差し控える」と述べたが、「談話」で「拉致問題」を解決済みとしたことに触れて「解決されたとの主張は全く受け入れられない。日朝平壌宣言に基づき拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決する方針に変わりはない」と強調した。拉致問題が「解決済み」との主張は受け入れられないのは当然として、しかし、十年一日のごとく「拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決」を繰り返すのみである。すなわち、口をひらけば「拉致、核、ミサイルの包括的解決」そして「北朝鮮の脅威」を言い立て続けた安倍政権以来日朝関係が一歩たりとも動かなかったことへの「復習」がまったくできていない。
かつて北朝鮮と水面下の難しい交渉を重ね小泉首相の訪朝を実現させた田中均氏(当時外務省アジア大洋州局長)は、交渉に当たっての原則第1に「大きな絵を描く」を挙げていた。「私は日本の将来は東アジアとともにあると一貫して考えてきたし、東アジアの将来的構想を語る上でも、東アジア諸国の信頼を得ることが必須であると考えてきた」(『外交の力』2009年)と語る田中氏の「大きな絵を描く」という言葉の根底には東アジアにおける平和構築をめざす戦略的思考があり、そのために「過去の問題を処理する」ことを不可欠の課題とした田中氏の歴史認識にもとづく視界の広がりと深さがあった。しかし、「私が自ら必要な判断を行う。具体的にさまざまな働きかけを行っている」と繰り返すばかりの岸田首相に、では朝鮮半島情勢をめぐる「大きな絵」はあるのであろうか。
英フィナンシャルタイムズは13日「Japan’s PM Fumio Kishida seeks summit with North Korea’s Kim Jong Un-Tokyo hopes diplomatic breakthrough will boost premier’s domestic popularity」という記事を掲載した。直訳すれば「日本の岸田文雄首相、北朝鮮の金正恩氏との首脳会談を模索-東京(日本政府)は外交上の打開が首相の国内人気を高めることを期待している」というわけである。海外メディアにここまで見透かされて北朝鮮との厳しい外交交渉に臨めるのであろうか。内閣支持率を上げようなどという目先の自己利益に発した「邪念」が通るような生易しいものではない。
ジャーナリストの訪朝団の一員として数次にわたる平壌訪問経験がある筆者だが、日朝交渉で重要な役割を担う朝日国交正常化交渉担当大使の宋日昊氏と2度にわたって机を挟み意見交換、議論を重ねたことがある。オフレコを約したものであるので詳細に触れることは控えるが、かつて朝鮮労働党代表団の一員として団長の金容淳書記とともに日本を訪問した際、金書記に随伴して順天堂大学病院に安倍晋太郎氏を見舞った「思い出」を聴いたことがある。病床そばには後に小泉首相に随行して平壌を訪れることになる晋三氏が佇んでいて病院玄関まで一行を送ったという。宋氏の率直な感慨を聴きながら、ざっくばらんな人柄も相まって、日本の政治事情や政治家のあれこれについても精通していることを痛感した。岸田首相の認識の浅深を見抜いたなかでの日朝交渉になることを覚悟しなくてはならない。
米中対立が世界の基本構造となっている現況にあって、金正恩総書記の「対南政策」見直しはじめ北朝鮮の外交・安保政策にかかわる「大転換」の重要な与件として米中対立の先鋭化があることは言うまでもない。「日米韓3か国の安全保障協力を新たな高みに引き上げた」とする昨年8月の米国・キャンプデービッドにおける日米韓3か国首脳会談以降、3か国の部隊による共同訓練はじめ、「拡大抑止」が声高に語られ、実態的には日米韓3国「準同盟化」が進行する東アジア、朝鮮半島である。ゆえに、いまだ朝鮮半島、東アジアに残る冷戦構造を転換しこの地に平和構築の構想を根付かせる「大きな絵」が必要なのである。言うまでもないが本稿では触れることができないが、中国という重要なアクターが存在していることも視界に位置づけた構想でなければならない。
「入口論」について言えば、「拉致問題」の解決なくして日朝交渉なしというスタンスでは何も動かない。日朝国交正常化交渉に踏み出すなかで「拉致問題」の実効ある解決をめざす以外に道はない。また、「前提条件つけずに首脳会談を」と繰り返し語る岸田首相だが、国連制裁をこえる日本独自の対北朝鮮制裁、とりわけ、「高校無償化法」で朝鮮学校を除外したこと、さらには、2019年10月からはじまった「幼児教育・保育の無償化」において朝鮮学校の幼稚園を対象外としたことを人道上の観点からどう考えるのか、重く問われていることを知らねばならない。最低限、こうした子どもたちに対する差別的処遇は見直すという「真心」を示してこそ日朝交渉が動くということであろう。
こうして考えてみると、すべては過去の「復習」に尽きる。すなわち、新しい局面ではあるが、「復習」ができているかどうかが、今後の成否を決定づける論理構造となっているのである。
再々度問う。東アジアの平和と発展の未来をひらく「大きな絵」を描けているかと。
(文・木村知義)
***********************
【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。