上海咖啡館とカフェの間

2025/04/30 14:04

小春日和のある週末、賑やかな湖南路の歴史文化街にあるお洒落なカフェで午後のひと時を過ごしてみた。上海の老房子を改装した店舗は木を基調とした古めかしい内装で落ち着きのある空間であった。ただ店内のあちらこちらで忙し気に撮影に興じる若者たちと、ひっきりなしに出入りする配送員たちが気になって仕方なかった。

日本では最近、数十年も続いた老舗を中心に喫茶店の閉店が増え続けているという。ある統計では2023年には72件、2024年には61件の喫茶店が閉店したという。主な原因は、地球温暖化に起因するブラジルやベトナムでの異常気象でコーヒーの収穫量が激減したことで価格が高騰したことにある。それに加えて光熱費や人件費の上昇、そして何よりも店主の高齢化が閉店を加速しているという。

以前にも書いたが、上海は世界でもまれにみるカフェ激戦区で、国内外のブランドが日々しのぎを削っている。2024年末時点で中国国内には十五万店以上が営業し、市場規模は3000億元(6兆円)超で2025年中にはアメリカを抜き世界一となるとも予測されている。中でも9500店以上のカフェがある上海は「国際コーヒー都市」と称されるほど、カフェは暮らしに欠かせない存在である。

有名チェーン店をはじめ、中小規模から個人経営の店まで、ほぼデジタル化が普及しており、基本キャッシュレス決済となっている。そのため、接客サービスは簡素化され、ほぼセルフ形式になっている点が日本の喫茶店との一番の違いだ。店とのコミュニケーションが薄い点がやや残念な気がするが、それは無い物ねだりなのかもしれない。

ただ多くのカフェは店内消費以上にテイクアウトを重視しており、テーブルに座ってゆっくりコーヒーを飲んでいるそのすぐ傍らを青や黄の服を着た配送員たちがせわしなく行き来する。店内スペースを持たないテイクアウト専門のカフェも街中いたるところにある。よって、店内は落ち着いてゆっくりとコーヒーを楽しむ雰囲気ではない。しかも、店舗の如何に関わらず、若者たちにとっては「コーヒーを堪能する贅沢な場所と時間」よりも「SNS映えするクールな非日常体験」こそが魅力的なようだ。

少し冷めたコーヒーを飲みながら、往時の上海の咖啡館文化に思いをはせてみた。上海にコーヒーがもたらされたのは今から180年ほど前で、本格的に生産消費されるのは100年前の1920年代である。当時、淮海路,南京西路などの界隈には有名咖啡館が軒を連ね、多くの人々が社交の場としていたという。欧米の文化や生活様式がもたらされた当時、咖啡館もまた最先端のファッションだったのだ。1920年代の霞飞路(淮海中路)エリアの地図を見ると16軒もの有名咖啡館が密集していたことがわかる。また、1920年代には咖啡館をシーンとする映画も上映され始めたことで、コーヒーや洋食を介した欧米の都市文化への憧憬が一般市民に共有されていく。当時の上海市民にとって、コーヒーは「ハイカラ」の象徴であり、自らのステータスを主張する嗜好品でもあったのだ。

カップの底にあと一口分が残りかけた頃、あの時代の咖啡館を勝手に妄想してみた。店主がカウンター後ろでおもむろにコーヒーを煎れる。豆を挽く音、ドリッパーにお湯を注ぐ音、ソーサーにスプーンが置かれるときの金属音。何よりもあのコーヒー独特の深みのある香り。店内はジャズの軽快な音楽が流れ、様々な国籍や階層の人々の会話でにぎやかだ。その喧騒のさ中でさえ一杯のコーヒーがもたらす癒しの時間は何物にも代えがたい。

2025年の今の上海にはお洒落でクールなカフェは無数にある。だが、そのカフェ文化のレガシーに思いを馳せる者は少ない。SNSにあふれかえるカフェは常にお洒落でユニークな印象を与える。上海の若者にとってのカフェが時代のファッションを象徴すると同時に、自分の個性や価値観を代弁するものとなっているのであろう。だが、それはあの1930年代に流行した咖啡文化に生きた人々と重なる。上海に生きる人々はいつの時代でも、新奇な物への飽くなき好奇心と多様性の中で光る個性への憧れを追求している。その意味で、上海は紛れもなく外へ開かれた「国際都市」といえる。

それにしても、静かな自分の居場所で徒然に一杯のコーヒーカップを手に過ごすこの時間のなんと贅沢なことだろう。この時間は昔も今も、そしてこれからも変わることはあるまい。ちょっぴり苦い最後の一口を飲み干しながら、心の中で静かにそう願った。

(文・ 松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。