経綸を問うという言葉を反芻しながらテレビ画面を見続けた。
自民党総裁選に出馬した候補者9人の日本記者クラブにおける「討論」応答の中継においてである。各候補の「答え」について述べる前に、候補者同士の「討論」に先立つ代表質問者の問題意識のありようが鋭く問われてしかるべきという感慨を禁じ得ない。すべからく「問う」側こそが鋭く「問われている」ことを知る必要がある。しかし、いまは置くことにする。
いうまでもなく、議院内閣制の日本においては、自民党総裁は、日本国内閣総理大臣となるわけであるから、新たな総裁が誰になるかは、今後、日本がどう歩みを進めるのか、命運を決することに深く関わることになる。ゆえに、自民党の総裁選は、日本国民のわれわれにとって等しく重い意味を持っていることは確かなのだが、残念ながら、今回名乗りを上げているどの候補者が総裁になったとしても、日本のあり方を大きく変えうる期待を持てないことが深刻だと言わざるをえない。
それにしても琴線に響く言葉が聴かれない。今様の政治家たちの「重み」の喪失には暗澹たる思いに駆られる。しかし、これまたいうまでもなく、政治もまたわれわれ国民の水準を越えてありようがないということをふまえれば、ブーメランの如く刃は戻ってきて、われわれ自身のありようこそが問われていることを忘れてはならない。事を論じるにあたっては、このことを自戒、前提としなければなるまい。
今回の総裁選に際して自民党が制作した歴代総裁の肖像を配したポスターには中央に「THEMATCH」と赤字で記され「時代は『誰』を求めるか?」と「問い」を投げている。であれば、その前提となる時代認識が「誰」がふさわしいかを分けることになるはずだ。しかし、米「ブルームバーグ」のコラムニストは「今回の総裁選を特徴付ける要素は、従来であれば経験不足ないしは型破りだとして拒絶されていた人物にも頼ろうとする党内の必死な姿勢だ」と書く。せんじ詰めれば、後に控える総選挙の顔として「誰」がふさわしいかということに行き着く構図となっているのである。もちろん、アベノミクスの「病弊」からどう脱するのかの金融財政政策にはじまり、経済・産業政策、労働政策、少子化、高齢化社会への対処策など、われわれの暮らしに直結する諸問題が重要な論点を為すことは言うまでもない。しかし、「大半の候補者が掲げる経済政策は今のところ不十分だ」とこのコラムニストに総括されてしまうありさまである。
コラムニストはまた、「日本の首相は自国だけでなくアジア地域にも歴史の流れに大きな変化をもたらし得る」とする。まさしく重要な指摘である。一国の指導者たる存在にいま問われるべきは、現代世界への大局観であり時代観をも含む世界観の深さだと言えよう。その集約的テーマとして、中国をめぐる認識が挙げられる。日米同盟のあり方にはじまり、中国との関係をどう措定するのかが世界の構造的認識を決定づける契機としてあるからである。
各候補が異口同音に「日米関係は外交安全保障の基軸」あるいは「日米同盟のさらなる深化」「自由で開かれたインド太平洋」を語るのはそれとして、中国への言及にはその言説をかみしめながら立ち止まらざるを得ない。
「一国平和主義から脱却し、共通の価値観を持つ国々との連携を深め、中国などの脅威への抑止を徹底する」「(長時間潜水可能な)原子力潜水艦を配備して東シナ海から太平洋に出るところをしっかり首根っこを押さえる」「台湾有事など想定し得る有事に備える自衛隊の防衛力整備を」「「アジアに集団安全保障の仕組みを作るのは喫緊の課題。北大西洋条約機構(NATO)のアジア版創設を」そして、「中国は今、一党独裁から一人独裁になりつつある」という候補は「台湾には行ったことがあるが、中国には行ったことはない」とあっけらかんと語る。さらに、自ら「知中派」を名乗る候補は「己を知り、敵を知れば百戦あやうからず」と語る。朝の連続テレビドラマではないが、「はて?」である。そうか中国は「敵」だったのかと。これは言葉尻をあげつらうこととは全く異なる。筆者は「知中派」とまで自負できる知見に欠けるが、孫子が言ったのは確か「彼を知り己を知れば百戦殆からず」ではなかったか。「敵」とは、ついうっかり本音がのぞいたのか、あるいは、時勢に忖度するあまりこういう言葉遣いになったのか、はたまた知中派にあるまじき「無知」であるのか。ここでは、いま中国とどう向き合うのかという、まさしく、深い経綸が問われている。
ことほど左様に、「中国脅威論」の虜となってしまった候補者たちからは、まさに日本政府がいうところの「建設的かつ安定的」な日中関係への展望のかけらさえ感じられない。ましてや、総理総裁になった暁には靖国参拝をと語る候補が複数いることも見逃せない。日中関係が困難に突き当たっていればいるほど、これを打ち破り、日中関係を前に進め、発展へと踏み出す覚悟と構想が語られてしかるべしと考えるのは筆者独りであろうか。
最近話を聴く機会のあった企業関係者は「これは米国の規制にかからないか、これなら大丈夫かと思い悩む日々だ。この状況では、投資、技術協力はじめ中国との経済関係を深めることは、とてもではないが無理だ」と、米国の指嗾の下、いま日本が注力する「経済安全保障」にかかわって苦衷を語った。
一方、日ごろから慧眼に敬服するエコノミストは「経済安保法制が日中経済協力にもたらす影響は、第一に、日本企業の中国市場からの退出を促進することだ。日本企業が撤退した後には、アメリカや欧州の企業が代わって参入する。結局、日本企業は中国市場でのシェアをアメリカや欧州の企業へ『譲渡』させられてしまう。中国を標的として、経済施策を武器として使っても、その結果はブーメランとなって自分に帰ってくる。中国と争うことが日本の『経済安全保障』にとって最大の脅威だ」と理を説く。
8月14日、電撃的に会見し「自民党が変わることを示す最初の一歩は私が身を引くことだ。新たなリーダーを一兵卒として支えることに徹する」と述べた岸田首相は、今月21日バイデン大統領の私邸がある米東部デラウェア州ウィルミントンで開かれる日米豪印4カ国協力枠組み「クアッド」首脳会合に赴く。最後まで中国への対抗、抑止の旗振り役を果たそうというのか。首相近くからは、次期政権は短命に終わる、ゆえに、故安倍元首相のひそみに倣って、自身の再登板ありうべし、と読んでいるという、実に面妖な「囁き」が聞こえてきた。
自民党本部職員として長く選挙対策を担当した元事務局長の久米晃氏は時事通信のインタビューに答えて、「次の衆院選までは世代交代で、衆院選後は別の人にまたなるのではないかと見る人もいます。総裁選は単に自民党の総裁を選ぶ選挙ではなく、内閣総理大臣・首相を選ぶことになるということです。しかし、今はそういう視点がありません。自民党議員は、誰が次の総裁だったら、自分は次の選挙で生き残れるか、そのことばかり考えています」と語る。 経綸を問う、ということが今の日本の政治においていかに難しい事かを、われわれは思い知るばかりである。
(文・木村知義)
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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。