水墨と油彩を融合する:在日女性画家李焱

2024/02/7 11:30

李焱(LI YAN)さんは、日本在住の中国人女性画家。東西文化の融合により芸術の深さを追い求めた作風が、近年日本で注目を浴びている。中国の広西チワン族自治区桂林市に生まれ、父の影響で五歳から絵を描くことを始めた李さんは、十五歳にしてアメリカで個展を開き中国の天才少女と呼ばれた。その後、油彩へと転じ、1994年に来日し多摩美術大学の学部へ入学。2004年多摩美術大学初となる博士号(芸術)を取得した。

昨年の12月、東京の銀座で個展を開き、近年の作品78点が展示され、その中の30点は、2023年に完成したものだ。では、日本の美術史家の視点から李さんの作品は、どのように評価されているのだろうか。

李焱作品:大道无形 (油画尺寸F100)

多摩美術大学博士課程在学中の指導教官、美術史家島尾新先生によると、李さんとは博士課程在学中に出会ったのだが、画材が変わっても「筆」の表現力と「墨」の動きは活かされて「油彩の潑墨」ともいうべき激しい筆致の作品を描いていた。博士論文では、絵画における「偶発性と統御性」を論じ、また「気韻生動」という伝統的な理念に、世界に満ちる根源的なエネルギーから個人の生命感までの多様な解釈を与えることでその一般化・普遍化を試みて、同校で最初の学位取得者となった。

島尾新先生と李焱さん、銀座SHINWA AUTIONの個展にて

そのような制作と理念に大いなる可能性を見てから二十年。久方ぶりに出会った李焱は、遙かにそれを越えたところにいた。自在な色使いの抽象的な空間のなかに、船が浮かび鳥が舞い花が咲く。強い筆致と柔らかな色面そして具象的なモチーフという異質なものたちを、より強く洗練された「筆墨の力」が結びつけてゆくのだが、その根底にも対象を描き出しつつ、同時に筆と墨の織りなす模様でもあるという水墨画の感覚がある。西洋流にいえば、マテリアリティと具象と抽象とを画面のなかに折り重ね、より高次な「なにか」へと昇華させるのである。李焱が「墨や絵具の流動性と筆捌きとの駆け引き=ネゴシエーション」のなかから目指すのは「禅心」と呼ぶ「自己と他者の隔たりなき共存」だという。

李焱作品:和谐(油画尺寸F15)

これは漠たる抽象的なイメージではない。東日本大震災で多くの被災者の拠り所となった南三陸のホテル観洋では、作品をギャラリーやホールではなく、食事をとる広間の壁面に「ふつうにそこにある」ように掛け並べ、宿泊客の自然なまなざしを呼び込んでいる。先の理想は「絵画は見る者一人一人の心の中に広がる空間」という大学院生の頃からの思いを展開させたものであり、広間での展示はその実践で、李焱の絵から「元気をもらった」という宿泊客また被災者の方々は数多いと聞く。激しい筆致のなかにあるオレンジや赤の暖かさ。その力強さとやさしさが「気韻生動」のエールとして人々に受けとめられているのだろう。そんな水墨と油彩の融合する李焱の世界を楽しんで頂ければ幸いである。(島尾新、日本美术史家)

李焱作品:祥和(油画尺寸S10)

多摩美術大学元学長、美術史家辻惟雄先生は「私が李焱さんを知ったのは、彼女が多摩美術大学の大学院博士課程に在籍していたときだ。私は彼女の博士論文の審査を担当する一人だった。慣れない日本語での論文作成の苦心する彼女を知る私にとり、思い出深い論文のコピーは、今もなお私の手元にある」と述べた。

辻惟雄先生と李焱さん、銀座SHINWA AUTIONの個展にて

今回、東京での個展に当って、推薦文を依頼された機会に、改めてそれを読み返し、合わせて、彼女に現在の活躍状況を示す作品の写真を送っていただいた。その感想を述べさせていただく。
 李焱さんの博士論文の審査委員の一人に、現在芸術院会員であられる馬越陽子氏がいた、馬越氏は「博士作成論評」の冒頭で次のように述べておられる。
3年間の集大成の作品が並べられる中で、一極目立つ作品が私の心を捕らえた。130号・機縁と題されていた。この作品のダークブルー、金茶色の中に墨色が空間の深まりを助け、画面の動きも自然で、混沌のなかに不思議な統一感があった。

李焱作品:结缘(油画尺寸F10)
 
 これによると、李焱さんの才能はすでにこのころ、開花の兆しを見せていたようだ。
 私自身も、「論評」のなかで“画面の重厚な密度と空間の深さ、完成度において傑出している”と、馬越さん同様「機縁」を高く評価しているが、残念ながら、それが、どのような作品だったかは記憶になく、現在それは、中国にあるとのことである。とはいえ、「機縁」だけでなく、論文に添えられ当時の多数の作品から、破墨を、現代の抽象表現の武器として活用するための野心的な試みが目立つ。「機縁」はその中で図らずも生まれた初期の傑作だろう。

左から島尾新先生、辻惟雄先生、李焱さん、李焱さんの叔母 銀座SHINWA AUTIONの個展にて

博士論文のテキストに移ろう。「偶発と理性が我々に与えたもの~絵画技法研究を通じた絵画分析」と題された本文の冒頭で、彼女は画家としての自分の立つべき位置をすでにはっきり自覚していることがわかる。“この論文は「絵画」が人類共通の財産として捉えられることを願っており(中略)国という枠組みが人々を苦しめている。だから、「絵画」を各国の文化という捉え方でなく、世界人類の文化として考えることが必要だ。(中略)美を内包する絵画は、時代を越え、国を越えて存在する(中略)自然科学のように発展してきたものではない”冒頭の意気込んだこの言葉は、日本と中国、アジアと欧米といった区分から、美術家は解かれるべき、という李焱さんの信条の表明である。

李焱作品:世外桃源(油画尺寸F120)

続く文章で李焱さんが主なテーマとして取り上げているのは、絵画は描き手によってコントロールできるものでなく偶発性にも多分に支配される、という自身の経験にどのように対応するかである。これは李さんにとっての永遠のテーマだろう。
芸術に国境なしというものの、李焱さんは、母国である中国の絵画の伝統の中に生まれ育った。その彼女が中国における水墨画の伝統の中に、偶発性という要素が多分にあることを認める。破墨、溌墨、なかでも「逸品画風」と呼ばれる偶発性に積極的に関わった手法についての真剣な考察がなされている。「気韻生動」と逸品画風との直接的なつながりも論じられる。李さんも認めるとおり、偶発したものだけでは美術は成り立たない。偶発性と統御性という矛盾した要素の兼ね合い、李さんはこの問題に、理論でなく絵画制作の現場で立ち向かおうとする。博士論文のテキストは、彼女にとり、そのための予備行為としての意味をもつものだったようである。

彼女の博士論文に添えられた作品は、李禹煥氏、横尾忠則氏ら、博士課程を担当する教授方にも好評だった。作品のなかに控えめにあった、気負いのない一連の水彩画が意外に好評だったようだ、ともかく、彼女は無事博士号を取得した。以後の李焱さんは国を股にかけて奮闘している。
李焱さんが今、どのような絵を描いているかを、送られてきた手紙や作品の写真などからうかがい、頼もしく思った。彼女が大学院生時代から課題にしてきた「偶発と理性との兼ね合い」が、年月を経て、今や李焱さん独自の画風をつくる段階に達している。

李焱作品:観自在(油画尺寸F20、2023年)

 <墨は五彩を兼ねる>と言われ、ルノワールも「黒は色彩の王だ」といっているが、李さんの最近の画面では、墨は少なく、その代わりより効果的に使われるようになっている。代わりに主役となったのは、華やかな「五彩」である。
「行舟・點破清光萬里元天」と題された120号の大作は、荒海をイメージした光の世界の表現だ。黒の破墨的な扱いが、画面の重厚さを生み出しているが、同時に見逃せないのは、控え目に添えられた青と紅という色彩の役割である。多摩美大時代の作風を残しながら、彩色主体の画風へと進む、その過渡期に生まれた傑作と見た。

李焱作品:色即是空(油画尺寸F100、2022年)

 李さんは震災から復興しつつある気仙沼市を応援しようと、しばしば同市を訪れ、新館の「南三陸 ホテル観洋」に自作3点を寄付した。色即是空、空即是色、見色明心とそれぞれ題された、ともに100号の大作セットは、おそらく彼女の代表作の一つとして残るだろう。

李焱作品:空即是色(油画尺寸F100、2022年)

溌墨はここでは控え目ながら効果的に使われ、代わりに黄と赤、緑が華やかに画面を彩っている。境が見分けにくい流動的なタッチの層は、彼女ならではの独特のものだ。偶然性は今や彼女の作画を助ける有力な友となり、我々の眼をまどわせ、楽しませる。
このうちの一点が「空即是色」、ロビーを明るくしている。まさにホテルの顔だ。
李焱さんはこうした行動を通じて宮城県と親しくなった。仙台・カメイ美術館の収蔵になる「一期一会」は、10号の小品ながら好ましい作品だ。金とも見紛われる濃い黄色の地が、紅と薄墨と白で微妙に諧調づけられ、中心に一本の草花が立っている。李焱さんはどう思われるか知らないが、これこそ、中国人にしか描けない叙情だ。

李焱作品:一期一会(油画尺寸F10)

 実物を見たらまた別の感想が沸くかもしれないが、今は寫眞で満足するほかない。ただ言えるのは、李焱さんの絵画が、西洋に生まれ育った抽象表現主義と、中国絵画の伝統をベースに、さらには日本絵画の装飾性、あるいは茶陶のデザインに見るような「偶然好み」と結びついて、独自の魅力ある色彩世界を創造しているということだ。その画風は、これからさらにどのように展開するのだろうか。
辻惟雄 (美術史家/東京大学・多摩美術大学名誉教授)

中国人女性画家李焱さんの更なる活躍を期待する。

(中国経済新聞)