前号に続いて北京の様子をレポートする
滞在2日目の11月15日、かつての住まいを一目見たのち、同じくかつて足しげく通った日系大手デパートまで行った。
- 日本でおなじみの家具チェーン店・ニトリ。ついに北京にも進出した。中国語では“宜得利”という。
デパート内にはこのような日系のテナントも多い。ただし賃料が高いので短期間で撤退する店が多く、店構えも入れ替わりが激しい。事業が成功し長続きすることを祈りたい。この日は平日午前中とあって、残念ながら客足はまばらだった。
- この2か所とも、かつての住まいだった。
中国の住まいはこのようなマンション形式で、敷地が塀で囲まれ、入口も決まっている。よってコロナ対策で行動規制を講じるのも容易で、広大な敷地に数か所ある入口を1か所に限定し、そこで体温と健康コードのチェックをし、異常があれば中に入れないという強硬策をとる。戸建て住まいの多い日本では行動制限は「自粛」とせざるを得ないが、中国では有無を言わせない。コロナの際はこの2か所とも物々しい警備体制が敷かれ、バリケードも用意されていた。
しかし今は御覧の通り自由に出入りできるようになって、完全に元の姿に戻っている。このような光景に安心しつつ、妻の実家に戻った。
翌日は朝早くから、子供を連れて家の近くを散策した。
- 自宅のすぐ近くで見た“高铁”という新幹線タイプの高速列車。
妻の実家はかつて近くに駅があり、おかげでこのような列車が至近距離で眺められる。20分ほどで4本の列車を眺めたがすべて“高铁”であり、そのうち1本は何と香港行きだった。機関車が客車を牽引する従来タイプの列車を“绿皮车”などと言い、数はだいぶ少なくなってしまったが食堂車も寝台列車もまだまだ健在である。なおこの“绿皮”は、緑の皮革という意味ではなく、車体が緑に塗られていることを指す。
翌日も引続き天候に恵まれ、シェアサイクルで北京市中心部の繁華街に向かった。
- 歩道に並んだおびただしい数のシェアサイクル。
中国はどの都市もシェアサイクルがふんだんに用意してあり、携帯アプリで自由自在に乗れる。値段は時間に応じ、最低1.5元である(1元=約20.7円)。これは放置自転車を許さない日本ではまず普及できない。私の住む札幌市の中心部は路上駐輪厳禁であり、シェアサイクルどころか個人の自転車も事実上乗り入れ不可である。
- 路上で見かけた「北京八中」。
この学校はかなりの名門校である。「八中」と書いてあるが、ここは中学校ではなく高校である。中国語の“中学”は中学と高校の両方を指し、この学校は中学も併設しているが敷地は別である。ちなみに私の経験上、“中学”や“中学生”はむしろ日本の高校や高校生を示すことが多く、私は翻訳の際はおおむね「高校」「高校生」と訳している。
さらにややこしいが、中国語の“高校”は大学のことである。また日本語の「学生」は主に大学生を指すが、中国語の“学生”は小学生~大学生すべてを指す(むしろ小学生であることが多い)。
- 同じく路上で見つけたコンビニの“便利蜂”。
こちらは地元中国のコンビニである。今はセブンイレブンほか日本の大手3社もどんどん北京に店を構えており、日本人は大体そちらに足を向けるが、この“便利蜂”は日系店より値段が安くアプリの割引もあり、店内が広くイートインもあるので、私はよく利用していた。
この日は、馴染みの翻訳会社社長と昼食を共にした。
- 翻訳会社の社長である肖力達さん(右)。
肖さんとは10年以上前に知り合い、翻訳だけでなく同時通訳の案件も多数依頼され、私をキャリアアップさせてくれた恩人である。この日は、私が北京を去った2022年の冬以降、コロナ禍を経て今の状態に回復した中国の事情やいきさつを鮮明に語ってくれた。やや敏感な話題ではあるが、行動制限に対する市民の不満がかなり鬱積していたようである。
この翌日は、ビジネス関係者ではなく、ともにマラソンを走り汗を流した友人たちとの再会を果たした。以下次号に続く。
(文、写真:森 雅継)
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【筆者】森雅継、東京都出身、早稲田大学商学部卒。北京在住歴17年で中国人の妻との間に2児、現在は家族4人で北海道札幌市に在住。