日中両国政府がムードアップへ

2023/11/16 08:30

窓から見える木の葉も黄色になり、本格的に秋を迎えた。

10月23日、東京で「中日平和友好条約」締結45年を祝うレセプションに取材した。ホテルニューオータニで行われたこの会には、日本側の各界から1000人以上が出席した。

都内にあまねく有名ホテルの中から、ニューオータニを開催地に選んだのはなぜか。

理由は簡単で、1972年に中日両国が国交正常化を果たした後、在日本中国大使館は現在の場所ではなくてニューオータニの中に設けられていた、という縁があるからだ。

こうした縁があるからか、北京で中日両国が共同で設立した「長富宮飯店」、つまり「ニューオータニ北京版」は、これまで東京のホテルニューオータニが運営管理している。

去年、中国経済新聞は国交正常化50周年のイベントに企画及び参加をし、その時の祝賀会場もニューオータニで行った。当時、記念イベントはやるかやらないか?日本企業の間もあしらい気味の対応であった。長年中日両国の交流事業に携わっている関係者は、やはり早く冬が過ぎて春を迎えたい、凍り付いた池よりあまねく桜を見たい、と願っていた。よって800人余りが不安と期待を抱えて祝賀会の会場へと足を運んだ。

隣同士である中国と日本。この1年間も軋みが絶えなかったが、国際環境も国内環境も変化している。歩み寄り、意思を疎通させ、協力しなければいけない。ようやくそう感じたのだ。

よって2023年の重陽節である10月23日、東京はにわかにぬくもりが湧いた。

レセプションには上川陽子外務大臣も訪れ、小泉龍司法務大臣也も訪れ、80歳を過ぎた自民党の二階俊博元幹事長も病院から駆け付けてくれた。

さらに意外だったのは、中国の李強総理と岸田文雄首相のメッセージが読み上げられたことである。去年はまるで考えられなかった。

両国の総理が述べた内容を見てみよう。

李総理は、「45年前、両国の先人の指導者と政治家が中日平和友好条約を締結する戦略的決断を下した。条約は法律の形で、隣国である中日両国の平和共存、世代友好という大きな方向性を確立し、覇権主義への反対を強調し、両国関係発展における重要な一里塚となった。この45年間、中日関係は得がたい発展の成果を遂げ、両国人民の福祉の増進、地域そして世界の平和、安定と繁栄に積極的な貢献を果たした。中国側としては、日本側と共に締約の精神に立ち返り、両国関係発展の正確な方向をしっかりと把握し、新しい時代の要請に相応しい中日関係の構築に取り組んでいきたい」と述べた。

一方、岸田首相は、「日中平和友好条約は、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させることを謳っている。双方はこの精神を指針として、これまで45年間に亘り、日中関係の土台を築き、両国の平和と友好を維持・発展させてきた。日中両国は、地域と国際社会の平和と繁栄に貢献していく大きな責任を有し、様々な分野で協力の可能性があり、建設的かつ安定的な日中関係の構築に向けて共に取り組んでいくことが重要である。条約の精神を改めて想い起こしつつ、日中関係の更なる発展に尽力していきたい」と述べた。

両総理のメッセージは外交辞令も多かったが、ともに締約の精神を想い起こして関係を新しい時代の要請に相応しい方向へ発展させたいという願いが込められていた。

また上川外務大臣は祝辞で、初めて中国を訪れた時の様子をしみじみと思い出し、このように述べた。「私が中国を初めて訪問したのは2002年、議員1年目の夏だった。北京と上海を訪れ、副総理、そして経済界や学者の方々と出会い、両国連携の見通しについて語り合った。2007年に再び北京を訪れ、温家宝総理と会見して、素晴らしい印象を残した。日中両国は隣同士であり、問題や対立が起きるのも不思議ではないが、皆さんの英知を集め、率直に話し合えば、これらの問題は必ず解決され、両国の交流や協力が進んでいくものと信じている」。

さらに中国大使館の呉江浩大使は、「時代が今日に至り、両国関係がどれほどの妨害や抵抗に出くわしても、一部の勢力が中日両国の対立を煽ろうとたくらんでも、われわれはそれに惑わされたり初心をゆるがせたりしてはならず、平和友好の旗をしっかりと高く掲げ、パートナー関係であり互いに脅威とはならないというポジションを堅持し、両国の四つの政治的文書の原則を着実に守り、中日関係を常に正しい軌道で進ませなくてはいけない。友好、協力は両国の根本的利益に関わり、唯一の正しい選択だ」と述べた。

盛大だったこの席で、堅守、理解、寛容、協力、共存といったいくつかのキーワードが読み取れた。

また会場内には、45年前に撮影された、中国の黄華外務大臣と日本の園田直外務大臣が両国政府を代表して署名した「中日平和友好条約」の文書や、1978年10月23日に鄧小平氏が訪日した際に福田赳夫首相とともに出席した文書の交換式、また新幹線に乗って「近代化とは何か」を感じ、改革開放を進める決意を下した鄧氏の姿が掲示された。

45年前の平和条約は「二度と戦争をしない」と宣言するためのものだった。その45年後に両国がどう戦うか、などと話し合うようでは、それこそ歴史の逆戻りである。

このレセプションが終わった後、中国側も北京の釣魚台国賓館でレセプションを開いた。共産党中央政治局委員で外交の代表である王毅氏が、「隣人は選べるが隣国は選ぶことができない。平和的に共存や、世代友好は、隣国が正しく歩み寄る道だ」と深い愛情の言葉を述べた。

冷え込みゆく秋、それは紅葉の映える時期でもある。重陽節に互いにムードアップを見せた両国が、関係を改善し改めて協力するという雰囲気を作り上げ、未来に目を向け、大局に目を向けて、良き隣人となることを期待する。

 (取材・記者 林夕)