日本と米国で時代を画する選挙を終えた。
日本においては自民・公明の与党過半数割れ。石破茂氏が衆議院において「決選投票」に及んだ首班指名を制してとにもかくにも政権を維持。米国においては大方のメディアの「大接戦」という「見立て」を裏切ってトランプ氏が圧勝、132年ぶり2人目の大統領返り咲きを果たした。加えて、連邦議会上下両院を共和党が制する、言うところの「トリプルレッド」という最強の陣形でトランプ氏が米国の政権を担うことになった。そして時を置かず政権の枢要な人事が相次いで発表されているが、第1次トランプ政権で国家安全保障担当補佐官を務めたジョン・ボルトン氏の「回顧録」を読み返せばわかるが、権力中枢人事を巡って繰り広げられる駆け引きと争闘のすさまじさは想像に余りあるものだろう。
日米2つの選挙における一連の「流れ」に何を見るのか、鋭くわれわれが問われる、凡庸、浅薄を許されない状況となっている。
結論から言えば、世界は変わる!ということを、また改めて痛感する。まさに次の新たな世界秩序への「過渡期」を、いま、われわれは生きているのだと言えよう。掲題に「激動」の時代へと記したのはそういう感慨を深くするからである。一見「静か」な時を刻むものであったとしても、水鳥の水面下の水かきの如く、確実に次の世界、時代を用意する過程に入ったという意味で「激動の時代」と言うのである。こういう大局にわたる時代認識にあることを申し述べたうえで、2つの選挙をこえて何を見ておくべきか、少しばかりの「異見」を提示してみたい。
まず「自民党は大敗したのか」という設問である。「自民党はよく凌いだ」などと言い出すと、何をバカなことをと言われるだろう。しかし、「よく凌いだ」のである、間違いなく。経緯、詳細を端折って言う。先月27日の投票日直前、複数メディアの「本当の読み」、すなわち決して公表されることのない読みの「実数」が筆者の元にも洩れ伝わってきた。正直、目を疑った。自民党は考えられないほどの惨敗というべきレベル、立憲民主党が自民党をこえて比較第一党になる数字となっていた。当然のことだが、筆者のようなところに「届いた」ということは自民党の枢要な幹部の知るところとなっていたという意味である。
投票日も含め、残されたわずかな時日にどれほどの「懸命な」票の掘り起こしがおこなわれたか、想像を絶するものであっただろう。ゆえに立憲は「勝ちきれなかった」と言うべきなのである。この「異見」が必ずしも「的外れ」ではないことを、月刊「文藝春秋」12月号の「緊急特集石破首相の煉獄・自民党崩壊」と題した鼎談において知ることになった。そこでは、元自民党事務局長の久米晃氏が「最終盤では、立憲民主党が比較第一党になるとの見方まで飛び出しました。
私も自民が百七十から百八十程度まで減らすと見ていましたが、結局、百九十一議席。立憲が思ったよりも伸びませんでしたよね」と述べている。すなわち、自民は死に物狂いで「よく凌いだ」というべきで、立憲はこの政治状況を的確にとらえることができず、「政権交代こそ最大の政治改革」と呼号するのとは裏腹に、政権交代の準備などどこにもできていなかったことを露呈したのである。ゆえに、「しばらくは石破で行く以外にない」という政治深奥の判断の下で石破第二次内閣となったということである。