高倉健と張芸謀の友情

2022/04/26 16:49

 中国は2月に、旧正月の春節、そして北京の冬のオリンピック開催を迎える。

 中国人にとって春節は、1年の中でもっとも大事な事柄である。異郷で働く人、就学中の人など多くの人々が帰省し、家族との時間を楽しむ。

 冬のオリンピックの開会式は、新型コロナウイルスに見舞われながらも盛大に行われる。14年前の夏季オリンピック・パラリンピック、北京の「鳥の巣」での開会式を演出したのは、有名な映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)氏であった。

 チャン氏は先ごろのインタビューで、「監督として、14年間で2度に渡りオリンピックの開会式を手掛けるのは世界的に例がなく、私自身だけでなく中国の栄誉でもある」と語った。

 チャン氏は14年前、交流の深かった映画俳優の故・高倉健さんに、「若い頃に高倉さんが主演した『君よ憤怒の河を渉れ』を見て、映画を好きになり、高倉さんのおかげでこの道を歩むようになった」と話した。

 チャン氏はこうした親しみから、のちに高倉さんを雲南省に招き、映画「単騎、千里を走る」を撮影した。作品の中で高倉さんは、息子の願いをかなえるために京劇を撮影しに雲南省を訪れる男の役を演じている。

 この撮影には、高倉さんと何十年もの付き合いがあった東京の中華料理店「富麗華」の徐富造社長が同行していた。高倉さんは中国人からすれば大スターであったが、ロケでは気取ったような素振りは全く見せず、いつも中国の役者たちと食事を共にし、地元民と写真を撮ったりおしゃべりしたりしていたという。

 映画の世界に20年以上携わっているチャン氏によると、「役者は普通、ロケを終えると立ち去ってしまう。雲南のロケで高倉さんに、『もう終わったからホテルに戻って下さい』と言った。ところが夜9時、助監督が駆け寄り、高倉さんがまだいると言う。その理由を本人に尋ねたところ、『監督やみんなが残っているのに自分だけ帰るわけにはいかない』と言った」とのことである。

 「高倉さんからは、人徳や精神を備えた『風格』を感じた」チャン氏はこう語った。

 

 「単騎、千里を走る」は2005年に撮影された。そして中国初のオリンピック開催となった2008年の北京大会で、チャン氏は開会式の総監督に指名された。

  この話を聞いた高倉さんは、日本刀を作り、チャン氏に内緒でひそかに北京へ赴き、開会式の会場である「鳥の巣」のチャン氏の事務所を訪ねた。

  扉を開けた高倉さんを見て、チャン氏は唖然とした。高倉さんは刀を取り出してチャン氏に手渡し、「開会式が上手くいくことを期待している」と述べた。

  それから14年、チャン氏は再び北京で冬のオリンピックの開会式を手掛けるが、高倉さんはもうこの世にいない。

  高倉さんのような「風格」は、中日両国にはもうなさそうだ。マスコミを初め日本社会から今大会に注がれる眼差しも14年前とは違い、期待も祝福もなく、嘲笑いやあらさがしばかりである。

  これが、今の中日関係のリアルな姿なのである。

  私が今使っている執務室は、かつて高倉さんの会社のオフィスであった。オリンピックの開幕日、焼香をし、天国の高倉さんに「再び開会式が無事執り行われるよう、見守って下さい」と語りかけた。

  瞬く間に14年。中日両国が、高倉さんとチャン氏のような真心ある付き合いを続けてくれることを、心より願う。(徐静波)


【筆者】徐静波、中国浙江省生まれ。1992年来日、東海大学大学院に留学。2000年、アジア通信社を設立。翌年、「中国経済新聞」を創刊。2009年、中国語ニュースサイト「日本新聞網」を創刊。1997年から連続23年間、中国共産党全国大会、全人代を取材。中国第十三回全国政治協商会議特別招聘代表。2020年、日本政府から感謝状を贈られた。

 講演暦:経団連、日本商工会議所など。著書『株式会社中華人民共和国』、『2023年の中国』、『静観日本』、『日本人の活法』など。訳書『一勝九敗』(柳井正氏著)など多数。

 日本記者グラブ会員。