中国は2月17日に旧暦の正月(春節)を迎えた。「大晦日」となるその前日に私は、中国経済新聞社の中国人社員を東京・赤坂見附駅近くのビルの2階にあるレストラン「香港物語」に招き、「年越し料理」をごちそうした。店長の張林新さんは丁寧にもハタの蒸し煮を用意して、「年越しには魚がなくちゃ。年々豊かにならないとね」と言ってくれた。
十分に料理を堪能して店を出ると、東京の街をまったりと行く人たちが見えた。赤い提灯を飾り付けることもなく、切り紙の装飾もない。「大晦日」でありながら、年越しムードは一切なかった。
これは当然であり、日本では元旦は新暦であって、中国が今正月を迎えていることを知る人は少ない。私は中国人社員に対して旧歴の「元旦」を休暇とした。家で子供たちに美味しいものを作ってあげさせるためである。

「大晦日」の夜には、もう90近くになる母親に電話をした。父親は数年前に亡くなっている。年越しの特別番組「春節」を1人で見ていた母に対し、「1人での年越しになって本当に申し訳ない」と言うと、「元気でいればなにより」と答えてくれた。
日本では毎年この時期、首相が中国向けに新年のメッセージを送る。安倍首相は在任中、毎年ビデオメッセージを発表した。去年の石破首相は388字の文章を記した。しかし今回、高市首相のメッセージはそれより3分の1少ない270字だった。石破前首相は冒頭で、「春節を祝う全ての皆様、日本で活躍されている華僑・華人の皆様」と書いたが、高市首相は今回、「春節を祝う全ての皆様」と表記し、「日本で活躍されている華僑・華人の皆様」が削除されていた。
高市首相は「在日中国人」をトラブルを起こす厄介者と見ているのか、日本にいる中国人を祝福したくないようだった。こうした首相の姿勢は、ただでさえ息苦しさを感じている在日中国人に一段と緊張感をもたらす結果となった。日中両国は本当に、和解不能状態なのだろうか。
東京タワーは2019年から、毎年の旧暦「大晦日」に中国カラーである赤にライトアップされ、「チャイナレッド」と呼ばれて点灯式も行われている。しかし今年はその光景もなかった。厚い雲に覆われ冷たい風が吹く中、東京タワーを通り過ぎると灰色の影だけが目に入った。とっても寂しかった。
これは2026年の日中関係を象徴するものだ。「友好」が遠ざかり、「対立」が深まりゆく。中国の友人からは、「戦争でも始まるんじゃないか」と何度も尋ねられた。
中国の王毅外相は2月14日、ドイツで開かれたミュンヘン安全保障会議で質問に対し、「日本の指導者による台湾問題の誤った発言により、日本は台湾を侵略、植民地支配する野心が消えず、軍国主義復活を目指す魂が残っていることが露呈した。日本は当時、いわゆる『存立危機事態』を口実に中国への侵略戦争を起こし、アメリカの真珠湾を攻撃した。歴史の教訓は目の前にあり、目を凝らさねばならない。悔い改めなければ必ず同じ過ちを繰り返す。善良な人々は警戒すべきで、軍国主義の復活には反対だ。道を逆戻りすれば自滅し、賭けに出れば早々とみじめな敗北を喫する」と答えている。
この発言について、外務省アジア大洋州局の金井正彰局長は在日中国大使館の施泳公使に対し、「ドイツでのミュンヘン安全保障会議で中国の王毅外相による不適切な発言があった」と厳正な申し入れをした。また茂木敏充外務大臣も王毅外相の発言内容に対し、「中国の主張は事実に反し、根拠に欠ける」と反論している。
私は言葉も出なかった。日中関係は何故にこうなったのか、というつらさがにわかに胸に広がった。
子供のころ、年越しは1年で一番楽しい日だった。特別料理を食べ終えて、両親をじっと見つめる。2人とも気持ちを察し、ポケットから5角(約10円)のお金を取り出す。私は急いでそれを枕の下に潜める。寝る前には、母親が新しく仕立てた服と腕カバーを木箱から取り出し、「新しい服を着るときは袖が汚れないようにカバーをしておくのよ」と言い聞かせた。
寝てもほどなくして、爆竹の音で目が覚める。すぐに起きてがたがた震えながら新しい服を着こむ。そして母に言われた通りに袖カバーを通し、家にある木の扉を力一杯開いて、「空へ扉が開いた。お金がどんどん来るぞ」と叫んだものである。
楽しくもあり、儀式のようなものだった。1年分の幸せを数日間に詰めて爆発させ、希望に満ちていた。
子供のころ、年越しが一番楽しかったのは、悩みがなかったからだ。大人になると多くの現実的なものに染まってしまい、東京タワーのライトアップが見えないだけで、なぜか悩みに包まれてしまう。
2026年の日中関係、和解への出口が見いだせるか。心配極まりない。
年越しムードは薄らぐ一方、悩みは重くなる一方。故郷にいても東京にいても、それは同じだ。
(文:徐静波)
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【筆者】徐静波、中国浙江省生まれ。1992年来日、東海大学大学院に留学。2000年、アジア通信社を設立、代表取締役社長に就任。翌年、「中国経済新聞」を創刊。2009年、中国語ニュースサイト「日本新聞網」を創刊。1997年から連続23年間、中国共産党全国大会、全人代を取材。2020年、日本政府から感謝状を贈られた。
講演暦:経団連、日本商工会議所など。著書『株式会社中華人民共和国』、『2023年の中国』、『静観日本』、『日本人の活法』など。訳書『一勝九敗』(柳井正氏著)など多数。
日本記者クラブ会員。
(中国経済新聞)
