新緑まばゆい初夏のある週末、久しぶりに徐家匯公園を訪ねてみた。
昼下がりの午後、心地よい初夏の木漏れ日を浴びながら多くの市民が憩いのひと時を過ごしていた。ひときわ人目を引くのは空に向かって伸びる赤煉瓦の細長い煙突だ。今でこそ新旧の商業ビルが林立し、洒落たスカイウオークまで整備された一大商業エリアの徐家匯だが、かつてここにタイヤ製造の大中華ゴム工場があったことを知る人は少ない。1928年に開業したこの工場は近代中国産業を牽引した最大のゴム製造工場だった。
5月に開催中の上海花博関連のイベントで賑やかな公園を散策していると目の前に赤煉瓦で3階建ての立派な建物が現れた。百代小楼(現、義勇軍行進曲灌制地紀念館)である。1917年にフランスのパテレコード会社がこの地に中国初のレコード製造工場を造り、1908年から1949年までに6357面のレコード盤を製造したそうだ。また1921年には中国初の録音スタジオも開設し、数多くの名曲がこの地から生まれた。1935年の「義勇軍行進曲」の歴史的な録音を筆頭に、1927年に録音された時代曲第一号とされる黎錦暉の「毛毛雨」や周璇の「何日君再来」や「夜上海」、李香蘭の「夜来香」など多くの時代曲が1930年代から40年代にかけてこの百代小楼で録音された。まさにこの地は中国レコード産業発祥の地であり、中国流行音楽の聖地なのである。

さて、今年の春晩(中国版紅白歌合戦)では人型ロボットによる驚異的なパフォーマンスに注目が集まったが、昨今の中国の音楽市場の成長も著しい。国際レコード産業連盟による最新レポートでは中国音楽市場は前年度比21%の成長を遂げ世界4位に浮上したという。特に全収益の90%以上がストリーミングによる売上で12億人超のネット人口と4大オンライン音楽プラットフォームに支えられたデジタル消費の色合いが根強いことは言うまでもない。
さて、紀念館一階には義勇軍行進曲の貴重なレコード原盤や歴史的に変遷したレコード盤を手始めに、その作詞家、田漢と作曲家、聶耳を始めとする1930年代の中国近現代音楽草創期の面々が紹介されている。東洋のパリと言われたあの時代、西洋文化を貪欲に受け入れた上海は芸術、文化、生活全てが開放的で斬新だった。1933年開業の百楽門(ザ・パラマウント)はその象徴だ。大衆娯楽華やかなりし頃を想像しながら、アールヌーヴォ様式の独特な階段をぎしぎしと音を立てながら2階へ上がると、今度は打って変わって様々な民族歌や革命歌の展示が並んでいた。中国の美しい豊かな自然とそこに生きる民族の多様性、そして社会主義への賛歌が強調されている。中でも「黄河大合唱」や「我愛北京天安門」などの名曲を目にするや、これは子供の頃にみんなでよく歌っていたのだといかにも懐かしそうに妻が口ずさんでくれた。
その後、出口(外国)や西方作品(ヨーロッパ音楽)の紹介の後に、それらを取り入れた東方風来という、いわゆる改革開放路線に基づく「新生活」をテーマとした1980年代末から始まる潮流が続き、テレビの普及と相まって1980年代、90年代には中国影視(映画)音楽の黄金時代が訪れる。中国版レコード大賞が始まったのも1989年である。
その一方、百代レコードは今では非物質文化遺産となった滬劇、越劇、京劇などの伝統芸能の録音にも力を入れていた。今は亡き義父が毎日のようにお気に入りの京劇のセリフを口ずさんでいた姿が懐かしい。また、名曲「夜来香」や「何日君再来」など古い世代の日本人には馴染み深い歌に音楽を通じた日中交流の歴史の一端を垣間見た気もした。
凝縮された中国の近現代音楽史を一気に旅したかのような濃密な時間に微かな疲労を覚えながら紀念館を出ると、どこからともなく伸びやかなテノールが聞こえてきた。ふと見ると木陰のベンチでくつろぐ人々の面前で一人の高齢男性が素人とは思えない伸びやかな歌声を披露していた。木漏れ日の下、しばらく歩くと再びあの煙突の見える池に戻ってきた。そこには陽気な演奏をバックにして軽やかにダンスを楽しむ人々の姿があった。
この紀念館に陳列されているのは中国近現代の歌の歴史である。歴史的遺産としてのレコードや音楽家たちはもはや過去の存在だ。しかし、今この公園に響きわたる歌は世代を超えて愛され歌い継がれてきたものだ。長い年月を経ても耳に記憶された歌と共にある暮らしの何と豊かなことか。歌を愛する人々に幸あれ。柔らかな木漏れ日に包まれた徐家匯公園で想ったことである。
(文・写真 松村浩二)
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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。
(中国経済新聞)
