第15回全国見義勇為英雄モデル表彰名簿が7月21日夜に北京で発表され、8名の個人と2つの団体が「全国見義勇為英雄」の称号を授与された。この中で、昨年6月24日の蘇州日本人学校スクールバス襲撃事件で命を落とした中国籍の乗務員、胡友平女士が「全国見義勇為英雄」に選出された。
2024年6月24日午後4時頃、江蘇省蘇州市高新区塔園路新地中心バス停で、52歳の中国籍男性、周加勝が日本人学校の校車を待つ日本人の母子を刃物で襲撃した。この事件で、胡友平女士(当時54歳)は犯人が校車に乗り込もうとするのを阻止しようと勇敢に立ち向かった。彼女は犯人を引き留め、抱きかかえることで日本人の男児が逃げる時間を稼いだが、自身は複数回刺され、うち一撃が心臓を貫通。重度の失血性ショックにより、6月26日に治療の甲斐なく逝去した。

事件では、日本人の母子2人も負傷したが、母親は当日中に退院、子どもの方は入院治療を受けたものの命に別条はなかった。犯人の周加勝は現場で市民、タクシー運転手、巡回中の警察官により迅速に制圧され、刑事拘留された。その後、2025年1月23日に故意殺人罪で死刑判決を受け、4月16日に死刑が執行された。
胡友平女士は、犯人が校車内の子どもたちに危害を加えるのを防ぐため、命の危険を顧みず果敢に立ち向かった。目撃者によると、彼女はまず犯人を引き留め、その後後ろから抱きついて動きを封じようとしたが、犯人に反撃され複数回刺された。この行動により、校車内の子どもたちや他の市民へのさらなる被害が防がれた。地元住民は「もし彼女が犯人を止めていなければ、もっと多くの人が傷ついていただろう」と語っている。
蘇州市公安局は事件直後の6月27日、胡友平女士の行為を見義勇為と認定し、蘇州市人民政府に対し「蘇州市見義勇為モデル」の称号追授を申請。7月2日、蘇州市は正式に彼女にこの称号を授与した。さらに、2025年7月21日、彼女の勇敢な行動が全国的な評価を受け、「全国見義勇為英雄」の称号が授与された。
胡友平女士は1969年7月27日生まれ、江蘇省淮安市茭陵村出身。20歳で蘇州に移り、紡績工場で働き、結婚して家庭を築いた。その後、家政婦やマイクロコマースの販売員を経て、2024年時点では日本人学校のスクールバス乗務員として児童の安全を見守っていた。彼女の同僚や近隣住民は、彼女を「誠実で心優しく、仕事熱心な人」と評し、コミュニティの大掃除にも積極的に参加するなど、温厚で愛情深い性格だったと振り返っている。

事件後、日本駐中国大使館は半旗を掲げ、公式微博で「胡友平女士は自らの身を挺して無垢な母子を救い、その勇気と善良さは多くの中国の人々を代表している」と追悼。日本の上川陽子外務大臣も同日、記者会見で「胡女士の勇敢な行動に心からの感謝と敬意を表し、彼女の逝去に深い哀悼の意を表明する」と述べた。
胡友平女士の行動は、単なる個人的な勇気を超え、社会正義と人道的精神の象徴として中日両国で称賛された。人民日報は「彼女は平凡な身で英雄的な行動をなし、世人の心を照らす光となった」と評し、新華社は「彼女の行為は中国人の善良さと勇気を体現している」と述べた。蘇州市は彼女を記念し「友平見義勇為基金」を設立、彼女の精神を後世に伝える取り組みを進めている。
(中国経済新聞)