上海のウィンタースポーツ

2025/03/4 07:30

白いスケートリンクは子供たちで溢れかえっていた。フェンスづたいに恐る恐る歩を進める子がいるかと思えば、器用にスピンやジャンプをこなす子もいる。失敗してもくじけずに練習する子もいれば、尻もちをついたまま半泣きの子もいる。そして、その傍にはそんな我が子を優しく見守る親たちの姿があった。ここは万象城4階にある「世紀星」のスケートリンクである。

 雪と氷の季節である。だが、2月の上海は比較的穏やかな日が続いている。零下を下回る日があるにも関わらず雪は降らない。私が記憶する限り、過去二十五年間で上海の降雪はたった4度のみ。2007年と2008年、2011年、そして2018年のいずれも1月末の降雪である。中でも2007年の降雪は多く、雪化粧をした上海に驚くと同時に嬉しくもあった。至る所に雪だるまが現れ、真綿をまとった木々も新鮮だった。市内の公園では雪遊びに興じる市民の姿が終日見られた。

 中国国内で冬の積雪が期待されるのは東北各省だが、中でも黒竜江省のハルビンはシンボル的都市で、その雪まつりは札幌、ケベックと並び世界三大雪まつりとされ、高い人気を誇る。四十回目の昨年の冬は正月の3日間だけでも延べ300万人以上がハルビンを訪問したという。雪とは無縁の中国南部や沿海部の上海などから「雪と氷の世界」を求めて多くの観光客が訪れたのは言うまでもない。その背景には氷雪を知らない人々の北国のロマンへの憧憬もあるのだろう。

 一方、上海は雪と氷とは無縁の街だ。だが意外にも市内にはウィンタースポーツ用の屋内外スケートリンクやスキー場、小規模な練習施設が多数点在する。本格的なスケートリンクには「飛揚冰上運動中心三林館と閔行館」、「松江大学生体育館滑冰場」、「上海世紀星滑冰倶楽部」があり、冒頭の西岸水岸をはじめ、長寧区楽福士広場や蟠龍天地には臨時のスケートリンクまで設置されている。

 とりわけ目をひくのはショッピングモール内の屋内スケートリンクである。「上海印象城と上海世博店の全明星滑冰倶楽部」、「冠軍氷場新世界店と百聯又一城店」、「上海白玉蘭広場」、「万象城の世紀星」など巨大モール内には1000から1800㎡もの立派なスケートリンクが年中常設されているのは驚きでしかない。また、市内には二十箇所以上のアルペンシュミレーションスキー練習場も多くのデパート内に開設されており、週末には熱心に練習に取り組む大勢の市民の姿を見ることができる。そして、数多い施設の中でも突出するのが、2024年9月に開業したばかりの総面積三十五万㎡という世界最大の屋内スキー場、「耀雪冰雪世界」である。2002年に先行して開業した、当時世界第二位の上海銀七星滑雪場の優に3倍を超える超巨大な屋内施設はこの春節期間中、毎日8000人もの来館者があったという。このように冬の降雪のない上海でもウィンタースポーツは広く普及し、それを楽しむ市民の姿はもはや日常の風景となっている。

 さて、中国のウィンタースポーツ人口が激増したのは9人の金メダリストが生まれた2022年冬季北京オリンピック後である。一気にウィンタースポーツ熱が高まり、比較的豊かな富裕層のスキーツアーなどが人気化した。2021年には3億4600万人だったが、オリンピックを経た2024年には4億人を突破したという。2023年2月には、2015年に2700億円だった市場規模を、2030年までに1・5兆元(約30兆円)にまで伸ばす目標が公表された。そして、今年1月の報告書(『中国氷雪観光発展報告書』)では、ウィンターレジャー観光客数は5億2000万人、観光収入は6300億元を突破したというからその規模の大きさがわかる。まさしく「氷雪経済」は国の一大プロジェクトに位置付けられているのである。

 2019年に発表された「スポーツ強国建設綱要」では、スポーツ産業と文化の振興よりも先に「国民の健康向上」が明記されている。選手の育成強化や施設の充実が進む一方で、それらの根本にあるのは「国民の健康」である。高齢化が急速に進行する中国では高齢者の医療保険が喫緊の課題となりつつある。冬の娯楽が経済を強化し、同時に国民の健康寿命を延ばすと同時に保険料も抑制できるとなればまさに一石三鳥となるわけだ。

 雪と氷とは縁遠い上海ではスケートリンクそのものが非日常空間である。氷上を華麗に舞うスケーターを夢見る子らを温かな愛情で見守る親たちがいる。冷たく真っ白なリンクにはそんな親子たちの夢と愛情の結晶がぎっしりと詰まってきらめいているのだ。

  (文・松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。