海抜五十メートルにも満たない展望台は足の踏み場もないほど混雑していた。眼下に広がる若木ばかりの疎林の向こうには、南に開発の進む前灘エリア、西には黄浦江の対岸に広がる文化的な西岸エリア、そして北と東には上海万博跡地に完成したオフィスビル群が遠望できた。ビルの十二階ほどの高さから見る風景ではあったが、不思議な非日常性が漂っていた。その非日常性をそこにいる誰もが共有していたのだろうか。皆が皆、すでに見飽きたであろう上海の街並みに向かってスマホ撮影に夢中になっていた。
ここはつい先日の九月三十日に開放されたばかりの双子山という国内最大の人工の山だ。二〇一〇年の上海万博の跡地を利用して、二〇二一年末に北エリアが完成し開放されていた世博文化公園だが、この度、二〇二〇年着工から四年目のこの十月、ついに南エリアの目玉である双子山が開放されたのだ。公園沿いには南北高架路が走っており、浦東空港への往来時に鉄骨だらけの建設途中の山を見ては、その完成を心待ちにしていたものだ。敷地面積は三十万平方メートルで主峰が四十八メートル、次鋒が三十七メートルという。ユニークなのはこの山の内部が六メートル七層の建造物である点だ。内部には八万平方メートルの駐車場が整備され、千五百台(うち三百台が電気自動車)を収容できるという。そして四、五階は展示場となっている。
開放直後で殺到する来場者の入場制限が続く金曜日の午前中にもかかわらず、かなりの混雑だったが、幸いにも事前に妻の予約で入手していたQRコードのおかげで、ごったがえず入口を横目にスムーズに入山できた。敷地内には頂上へ向かう小道が何本も張り巡らされているが、安全対策上の措置からか、ほとんどが封鎖されて自由に散策できず、入場者は指定された通路を次峰から主峰へ向かって一方通行を強いられたのは残念である。
それでも迫力ある人工滝に目を奪われ、疲れずに歩けるように設計された石畳の登山道は高齢者にも優しい造りであるように感じた。また松や銀杏、銀木犀など植栽されたばかりの七〇〇〇本もの木々はいかにも今ここに引っ越して来たばかりという風で、どれもか細くはあったがその初々しさに心癒された。この生まれたての山もこの先一〇年、二十年をかけてこれらの木々がたくましく成長すれば、風格を備えた立派な低山に育つはずだ。
以前にも書いたが、上海は山岳の自然に乏しい。山登り愛好家にとって上海は実に退屈な土地である。市西部の松江区にある百mほどの佘山、辰山(植物園内の山)、天馬山を知る人はそれほど多くはない。だが、乏しい自然に反比例して多いのが公園だ。そして、その園内には大小様々な人工の山が造営されることが多く、中には高さ二十メートルにもなる長風公園の鉄臂山のような立派なものさえある。ただ上海市内で山登り(山歩き)をしようと思えば、佘山や長風公園に行くしかない。それゆえに、新しく誕生したこの双子山は上海の山と公園の歴史に新たな一ページを刻んだと言っても過言ではあるまい。
思えば、二〇一〇年の上海万博のテーマは「より良い都市、より良い生活」だった。万博をきっかけに、上海の公共の環境は急速に改善され、市民の暮らしもより良いものとなっていった。今までのコラムで触れた公共トイレ、社区食堂、公共交通システムなどを見ても、上海での暮らしが以前よりもはるかに快適になった事実に疑いの余地はない。そして、その一四年後の今、あの万博跡地に新たな命を吹き込まれて誕生したこの双子山は市民の暮らしに新たなアクセントとなるに違いない。出来たばかりの展望台から眺望する街に新鮮味を感じ、嬉々として記念撮影に興じる人々の表情からは、経済的価値では測れない「豊かで幸せな暮らし」のありようをうかがい知ることができる。
国慶節休暇中の一時帰国先から空港へ向かう途中、一瞬だが、いくつものクレーンが円形に並んだ光景が目に入った。日本では「命輝く未来社会のデザイン」をテーマとする大阪・関西万博まで半年を切り、急ピッチで工事が進む。是非、成功裏に終わってほしいが、万博後の夢洲には果たして何が残されるのだろうか、と活気に満ちた双子山の展望台から緑豊かな世博文化公園を見下ろしながらふと思った。(※なお前回九月号の『上海の配送員』の中で一部記載ミスがありました。二〇二一年時の中国国内配送員数を「二億人」としましたが、正しくは二〇二二年時で約千百二十万人でした。ここに訂正すると共に深くお詫び申し上げます。)
(文・ 松村浩二)
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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。
(中国経済新聞)