三浦研一さん出演の「繁花」、あまりにも孤独

2024/02/17 14:30

中国で最近、「山本」という日本人が登場するTVドラマ「繁花」がブームになっている。物産会社に勤めていた山本は1990年代に上海に派遣されたが、そのころ上海でA型肝炎が大流行し、ひとりぼっちで病に倒れてしまった。そこで「阿宝」(胡歌・演)という現地の若者から解熱剤をもらう。これが縁となって、山本は帰国する際に阿宝に対し、「日本で何か困ったことがあれば必ず連絡して」と言った。そして阿宝は後に日本で商売を始め、本当に困った状態になり、山本は躊躇なく阿宝を支えたのである。

この物語は、中日両国の庶民の「男の友情」描いたものだ。山本を演じたのは、もはやお馴染みである、日中戦争における「日本兵」の定番役者の三浦研一さんである。

三浦さんは東京生まれ、青山学院大学出身である。「三国志」が好きで1997年に中国で留学生活を始め、後に中国社会科学院で国際関係学の博士課程を学んだ。

そして2003年、ある友人から、映画のちょい役で「日本兵」を演じてくれないか、との要請を受けた。三浦さんは情に駆られて何シーンか撮影したところ、監督の張黎氏がとても褒めてくれた。この映画はそう、中国の歴史ドラマ「走向共和」(共和への道)であり、当時40歳だった三浦さんが演じたのは大日本帝国海軍陸上戦闘隊の野村大将だった。

この映画は、三浦さんの人生を大きく変えた。

「日本兵」がはまり役となった三浦さんは2005年、戦争映画「太行山上」で李幼斌と共演し、板垣部隊の西村参謀長を演じたほか、孫鉄監督の「母親の趙一曼」で、警察庁長の林寛重を演じた。2008年には趙宝剛監督の「夜のとばりのハルビン」で李小冉や陸毅と共演し、小原特務長を演じる。さらに2011年には、韓三平氏と黄建新氏がメガホンを執った「建党偉業」で、「対華21か条要求」に署名する外交官の日置益を演じ、2012年には馮小剛監督の「温故1942」で、張国立などと共演し高橋次郎を演じた。「日本兵」の専門役者となったのである。

20年にわたる中国での芸能生活で三浦さんは、現地撮影の映画作品で日本人として過去最多となる110作に出演している。

三浦さんは先ごろ、年老いた母親を見舞いに東京に帰った。実家は我が家から1駅ということで、一席設けてみた。そこで、「『鬼畜日本兵』を演じることに抵抗感はないか」と尋ねてみた。

三浦さん、「嫌だ。すごく嫌だ」と答えた。

さらに三浦さんは、「ただ役者として、うまく演じることが基本であり、役柄における政治や歴史的背景はどうでもいい」とも言った。

三浦さんは祖父が商人で、かつて上海で商売をしており、戦争には強く反対していた。ゆえに三浦さんも子供のころから「戦争はいけない」との印象を持っていた。しかしいざ役者となり、岡村寧次、山本五十六、東条英機などの大物戦犯を演じたことで、中国侵略という歴史的事実を十分に知り得た。「日本がかつて中国にこれだけの仕打ちをしたとは思わなかった。私に教えてくれた中国に感謝する」と語った。

ここ数年は「反日ドラマ」が減っており、三浦さんの役柄も随分と変わって、「愛らしい」日本人を演じさせる監督が増えてきた。

中国の若者世代は三浦さんについて、「関谷じいさん」とのイメージが強い。TVドラマ「愛情公寓」で、いばり散らしながら味のある薄笑いを浮かべる「関谷健次郎」を演じたからである。

2022年にはカルチャー系シティー派ドラマの「正好遇見你」に出演し、最近では映画「戦刀屠狼2」で外国のスパイ組織のボスを演じた。役柄は「日本人」であるが、三浦さんからすれば、反日戦争から二十一世紀に一っ飛び、という感じである。

「繁花」の王家衛監督は、日本人の配役にあたり真っ先に三浦さんを思いついたという。出番は少なかったけれど本物の「日本人」を演じており、特にたった一人で解熱剤のカップを手に取ったシーンにはハラハラさせられた。

子供のころに父親の都合でアメリカ暮らしをしていた三浦さんは、サラリーマンや商社の営業を務めた後、40歳で映画界に入った。「役者はまさに天職だ」と語っている。

(中国経済新聞)