組織の中で沈黙する人が増えているのなぜ? SNSへのアップやコメントをしなくなった理由

2026/05/11 14:31

いつのころからか、SNSの友人たちが「透明人間」になりつつある。以前は生活をシェアしたり日ごろの不満を訴えたり、悩みを発したりしていたが、次第にクリアーされ動きが止まり、更新しなくなった。仕事の場では言動を慎むようになり、言うべきでないことは言わず、言うべきことも話さず、何かあれば慎重に言葉を選び、沈黙が最も安全な路線となってしまった。組織の中でメンツを維持し、つつがなく過ごしているように見えるが、その中にいる人は「言葉を出さず、SNSに出さない」という沈黙は決して冷ややかでなく、自由の利かない自分を守ることだと知っている。 

組織の中は常に、はたで想像するより微妙なものだ。言葉一つ、画像1枚、スタンプ一つがオーバーに解釈され余分な想像を生んでしまう。SNSはプライベート空間に見えるが、もはや半ば公の場になっており、上司、同僚、部下、親族や友人、付き合い仲間が入り乱れてはっきりした線引きもなく、プライバシーを確実に保つことができない。何気ない訴えが仕事への不満に受け止められ、日常生活の写真から不適切な部分を指摘され、ほんの些細な本音が態度の問題だと拡大解釈されてしまう。決まりやイメージ、言動を重んじるような環境では、不用意な表現が危険性をはらむことになる。 よって以前から、職場で「口を慎む」ことは生き延びるための共通項になっている。口は災い、それは組織内の人の心に深く刻まれる警告だ。発言すべきでない時、コメントすべきでない時は慎み、他人や仕事、決定事項に異論を出さない。それは弱気ではなく遠慮なのだ。

組織の中では、仕事はつながり合い権限も明白で、少しの言い間違えが仕事の妨げとなり、誤解や対立を招き、ひいてはルールの最低ラインに触れてしまう。しゃべり過ぎてトラブルを招くより大人しく黙ってけじめをつける。むやみな発言で迷惑をかけるより言行を慎んで安定路線へ。感情がないのではなく感情を隠すことを覚える。考えがないのではなく言葉を選ぶことをわきまえる。日常をシェアしたがらないのではなく、日常生活を内密に収めて落ち着いた様子を見せるようになる。 組織の中における沈黙とは、ある種のやるせなさであり、落ち着きでもある。SNSに出さない、それはプライバシーの線引きであり、声を発しないのは職場でのけじめを守ることなのだ。はたから見れば言葉少なで大衆遊離であるが、こうした自制的な態度は職務への責任、生活への適応性であり、さらには複雑な環境の中で首尾よく自分を守るためのものだ、ということを本人だけが知っている。沈黙、それは話すことがないのではなく、言うべきこととそうでないこと、そして見せるべきこととそうでないことを悟っているのだ。組織の中で生き延びる知恵であり、また極めて残念な体裁でもある。

(中国経済新聞)