シン・中国経済論:景気刺激策躊躇の背景に「四兆元」のトラウマ 、「鉄公基」から新型インフラへ

2024/11/29 11:30

はじめに

2024年11月8日に閉幕した14期全人代常務委員会第 12 回会議は、24 年末地方政府債務限度額を29.52兆元から6兆元増やし35.52兆元とする「地方政府債務限度額を増やし隠れ債務に置き換える国務院議案」を承認した※1。債務の置き換えは地方政府債務対策としての成長安定化には寄与するものの、経済成長に弾みをつける景気刺激策は、今後に含みを持たせつつも打ち出されなかった。当局が大型景気刺激策を躊躇うのはなぜなのか。

1.景気刺激策に慎重となるに至った経緯

(1)08年金融危機時「四兆元刺激策」で成長維持も、過剰生産力や地方債務問題などの副作用

景気刺激策といえば08年金融危機時「四兆元刺激策」で成長維持も、過剰生産力や地方債務問題などの副作用景気刺激策といえば 08年9月のリーマンショックを契機として発生した金融危機時に打ち出されたいわゆる「四兆元景気刺激策」が挙げられる。当時の名目 GDP の 13%に上る規模の財政支出等により、実質GDP成長率は08年の9.7%、09年の9.4%から10年には10.6%と二桁成長を回復した※2。

しかし、この政策は後に過剰生産能力や地方債務問題などの副作用をもたらし、15年12 月には供給サイド構造改革の名の下に「三去一降一補=過剰生産能力・不動産在庫の解消・金融リスクの防止と解消(三去)、企業のコスト引き下げ、有効供給の拡大(一降、一補)」の方針が打ち出されることとなった※3。このうち過剰生産能力に関しては 16 年には鉄鋼※4、石炭業では、3~5 年間をかけ過剰生産能力を解消する目標を設定した。

なお、「過剰生産能力」については 23 年 12 月の中央経済工作会議でも言及された※5。12~18年の同会議において7年連続で言及していたものの19~22 年には言及がなく、5年ぶりの登場である。工業信息部の会議でも、「鉄鋼セメント板ガラスの新規生産能力を厳しく抑制する」としたほか、「過剰生産能力業界に対する規範的指導を強化」するとした。文書で名指しはされていないものの、ここでの「業界」は新興産業を指していると考えられ、例えば自動車動力電池の生産能力利用率は22年の51.6%から23 年には 41%に低下した可能性、太陽光パネルや動力電池の原材料になる炭酸リチウム価格がすでに暴落したとの国内報道もなされている※

地方債務問題(図表 1)についても10 年代を通じて、債務の債券への置き換え、地方政府融資平台(LGFVs=local government financing vehicles インフラ建設の受け皿となる地方政府関連会社)の財務状況や元利払い能力の審査強化など、地方政府債務抑制に向けた取り組みが続けられた。

当局は「四兆元景気刺激策」の実施以降、10年代を通じてその副作用、後遺症に悩まされ、これがトラウマのようになって、以降の財政政策や景気刺激策への姿勢を慎重化させることとなった。

(注)2010年と12年以降とでは、調査対象範囲が異なる。13年は 6 月末。15 年以降政府返済債務のみ政府返済債務:政府が償還責任を有する債務政府保証債務:政府が担保責任を履行しなければならない債務政府救済債務:債務者に償還困難があった際、政府が一定の救済責任を引受ける可能性ある債務(資料)審計署「全国政府性債務審計結果(2013年12月 30日)」、財政部、CEIC

(2)08年金融危機時「四兆元刺激策」で成長維持も、過剰生産力や地方債務問題などの副作用

大型の景気対策に慎重となる背景に、潜在成長率の低下を受け入れる当局の姿勢もあると考えられる。14次五か年計画策定時に言及された「35年に20年比倍増」※7を目指す政策の下、経済総量(GDP)倍増達成のために求められる実質GDP成長率は20~35年の15 年で年平均+4.7%である。08年北京夏季五輪や10年上海万博当時の二桁成長時代、高度成長期からは明らかな低下を想定している。

20~23 年実質GDP成長率実績は平均+5.5%であり、残りの12年間は平均+4.6%で達成可能となる計算である。24年1~9月平均は+4.8%で、「35年までに倍増」目標達成に必要な年平均成長率を上回る水準である。この状況下で当局は大規模且つ副作用を伴うような景気刺激策採用を迫られていないと認識できる。

2.固定資産投資の重点:伝統的なインフラ建設から新型インフラへと移行

(1)不動産依存時代の終焉

「四兆元景気刺激策」実施当時、財政政策だけでなく金融政策も大幅な緩和策が採られたことから、余剰資金が不動産業に流入し、不動産は価格・取引量ともに大きく拡大、不動産主導型の経済成長が続いた(図表 2)。GDP 統計に占める不動産業の比率は 20 年に7.2%、23 年は 5.8%であるが、関連産業も含め「GDP の二~三割が不動産関連」と一般にいわれる※8。

不動産業界が過熱し価格高騰を招来、バブル化懸念※9も台頭したことから、16 年に「家は住むためのもので投機のためのものではない(房住不炒)」※10 との概念が提起されたのに続き、コロナ期間中の金融緩和環境下にあった 20 年 8 月には不動産企業の資金調達規制審査基準を厳格化する「三つのレッドライン」が導入された。この政策導入に踏み切った当局としては、不動産市場の過熱を放置することで起きかねない「バブル崩壊」防止、ひいては金融リスクの防止・解消が強く念頭にあり、不動産市場の調整は当局の政策主導によるものであったと評価できる。

不動産市場調整期がコロナ期間中と重なり、市場調整が長引きかつ深いものとなったことを受け、当局は 22 年 11 月以降、不動産市場支援策を打ち出す方向に転じているが、市場の過度の落ち込みを緩和する政策との位置づけであり、かつてのような不動産に過度に依存した発展モデルに回帰することを意図してはいないと考えられる。

固定資産投資構造の変化「四兆元景気刺激策」で行われたインフラ建設は「鉄公基(铁路公路基础设施=鉄道、道路、インフラ設備)」と呼ばれる鉄道、道路、空港、港湾、水利施設などの建設プロジェクトが主体であった。近年のインフラ建設投資の重点はデジタル化、スマート化などの科学技術をより重視する①情報基礎ネットワーク整備、②融合インフラ高度化、③イノベーションインフラ等※11 の「新型インフラ」に移行している。

「新たな質の生産力」「新型インフラ」以外に、高付加価値化や「科学技術の自立自強」のための投資も急務となっている。所得向上や人口減少に伴い低付加価値、労働集約型の経済発展モデルが終焉を迎えた中国経済は、これまで成長を牽引した不動産依存の低下に、米中対立に伴う先進半導体技術制限など「外部からの抑え込み」も加わっている。「新たな質の生産力」は習近平総書記が 23年9月黒龍江省視察時に初めて提起し、24年 3月全人代(全国人民代表大会)で議論された。「新エネルギー、新素材、先進製造、電子情報などの戦略的新興産業、未来産業育成、新たな質の生産力形成加速、発展の新たな原動力強化の必要性」を強調した。「新たな質の生産力」とは、かつて産業革命で紡績機や蒸気機関が生産力を飛躍的に拡大させ、従来の生産や生活方式を覆したのと同様、人工知能(AI)や自動運転技術のようにこれまでとは異なる発展や変遷をもたらす生産力を指す。

3月5日全人代江蘇代表団の審議に参加した習氏は、「それぞれの地域に合ったやり方で新たな質の生産力を発展。新興産業を強大にし、未来産業を先取りして配置、建設、近代的産業システムを整備。新技術で伝統産業の改造・向上を図り、産業のハイエンド化、スマート化、グリーン化を促進せよ」と発言した。24 年の全人代政府活動報告は、新興産業として水素、新素材、創薬、新たな成長エンジンとしてバイオ製造、民間宇宙産業、低空域経済、未来産業として量子技術、ライフサイエンス、デジタル経済に関しプラットフォーマーの革新・雇用創出・国際競争推進、データの開発・公開・流用・活用に言及した。工業情報化部は未来産業に関し製造、情報、材料、エネルギー、空間、健康の6分野、核心技術として汎用人工知能(AGI)、人型ロボット、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)、メタバース、量子情報の5つを挙げる。固定資産投資全体の伸び鈍化が続く中、製造業投資は24 年以降+9%台の伸びが続いており、これら「新たな質の生産力」分野の投資が寄与しているとみられる。15年公表の「中国製造 2025」に盛り込まれた新エネルギー車、自動運転技術などで成果を見たように、党によるこれら分野への投資拡大、集中的育成の下、「新たな質の生産力」分野も急速に発展する可能性は否定できない。

(文: 細川 美穂子)

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みずほ銀行中国営業推進部 上席主任研究員 細川 美穂子1988 年慶応義塾大学法学部卒、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行、調査部にてアジア及び中国経済担当。02年みずほ総合研究所出向。 05~08年北京支店、11年4月~23年1月まで上海駐在、瑞穂銀行(中国)有限公司中国アドバイザリー部 中国業務部主任研究員。同年1月より現職。これまで週刊エコノミスト、東亜 他多数メディアにて、現地発中国マクロ経済に関する記事を連載。

※1 人民日報 24 年11月9 日「全国人民代表大会财政经济委员会关于《国务院关于提请审议增加地方政府债务限额置换存量隐性债务的议案》的审查结果报告」http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2024-11/09/nw.D110000renmrb_20241109_4-04.htm

※203-07 年実質 GDP 成長率 10.0%、10.1%、11.4%、12.7%、14.2%。

※3 中国政府網 15 年 12 月 21 日「中央经济工作会议在北京举行 习近平李克强作重要讲话(中央経済工作会議を北京で挙行 習近平李克強が重要講話)」http://www.gov.cn/xinwen/2015-12/21/content_5026332.htm

※4 人民網 16 年 1 月 7 日「李克强:综合施策 标本兼治 以结构性改革促进困难行业脱困发展(李克強:綜合的に施策、表面に現れた症状も病根も治療 構造改革で業種の困苦を脱し発展させる)」http://politics.people.com.cn/n1/2016/0107/c1024-28026794.html

※5 人民日報 23 年 12 月 13 日 「中央经济工作会议在北京举行(中央経済工作会議を北京で挙行)」http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2023-12/13/nw.D110000renmrb_20231213_1-01.htm

※6 財新週刊 23 年 49 期「2024 如何以進促穏、先立後破」

※7 20 年 10 月、五中全会において習近平総書記が「2035 年に経済総量(GDP)或いは一人当たり収入を倍増させることは完全に可能(到 2035 年实现经济总量或人均收入翻一番,是完全有可能的)」と説明。20年比倍増=年平均+4.7%成長を意味する。新華社 20 年 11 月 3 日「关于《中共中央关于制定国民经济和社会发展第十四个五年规划和二〇三五年远景目标的建议》的说明」http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2020-11/03/c_1126693341.htm

※8 固定資産投資総額に対する不動産業投資比率は 20 年 27%、24 年(1-10 月)20%。

※9 郭樹清銀保監会主席(当時)は 20 年 10 月刊行《<中共中央关于制定国民经济和社会发展第十四个五年规划和二〇三五年远景目标的建议>辅导读本》中の署名文章《完善现代金融监管体系》で「目前,我国房地产相关贷款占银行业贷款的 39%,还有大量债券、股本、信托等资金进入房地产行业。可以说,房地产是现阶段我国金融风险方面最大的“灰犀牛”(我が国不動産関連貸出は銀行業貸出の 39%を占め、他に大量の債券、株式、信託等資金が不動産業に流入。不動産は現段階の我が国金融リスク面における最大の灰色の犀である)」と論述。http://money.people.com.cn/n1/2020/1201/c42877-31950958.html

出典:MIZUHO CHINA BUSINESS REPORT 2024年12月号 P1-5