上海で考えた多様性

2024/04/26 07:30

開放的な入口で「歓迎光臨愛咖啡!」(ようこそ、愛カフェへ)という元気な声に出迎えられた。バリスタ風の二人の若い店員が来て、たどたどしいながらもにこやかに注文を聞いてくれた。店にはすでに多くの来客があり、顔なじみも多いようで店内は不思議な活気と温かさに満ちていた。スタバで学んだという彼の煎れたアメリカンは、ほんのりと甘い香りがたち、まろやかで優しい味がした。そして、嘘偽りなく、美味しかった。

新緑がまばゆくなり始めた四月のある日の昼下がり、カフェに立ち寄ってみた。店名を「A-coffee(愛カフェ)」という。二〇一八年春開店のこの店は一人の偉大な指揮者、曹鵬とその娘、曹小夏無くしては語れない。そして、それは愛と理想と希望に満ちた物語でもある。

二〇〇六年、中国では自閉症児が法的な裏付けをもって義務教育の対象となった。また、二〇〇八年の改正障害者保障法により、障害者のいっそうの権利保障が明言された。同年、自閉症児の報道を目にした曹小夏は父と相談した結果、上海市慈善基金会と協力して「天使知音サロン」を設立。設立後は大勢のボランティアと共に自閉症児たちへの音楽教育に取り組んできた。毎年恒例の慈善コンサートもその活動の一環である。

上海交響楽団音楽ホールで開催される上海知的障害児との共同コンサートには私も妻と一緒に何度か足を運んできた。プロのコンサートではなく、あくまでもチャリティーコンサートでありながら、立派なピアノソロや、チェロやフルート、コントラバスなどを巧みに奏でる自閉症児たちに何度も驚かされ、感銘を受けた。参加する子供の数は総勢百名ほどだろうか。会場はいつも家族や知人でほぼ満席となる。楽器演奏ができない子たちは、歌や踊り、そして暗算パフォーマンスまで披露してくれた。その印象深かった暗算パフォーマンスでは、体を前後に揺らしながら計算する彼らの能力に舌を巻いた。名作映画「レインマン」で歴史年表を完全に記憶していたダスティン・ホフマン演じる自閉症の兄を彷彿とさせるものがあった。そして、何よりもダンスや踊りの演目で、いかにも楽し気に演じる天真爛漫な姿に心が和んだ。

昨年十二月二十三日開催の慈善コンサートでも、御年九十九歳の大家は自閉症児たちとその家族のために懸命に指揮棒を振るった。その凛とした姿はそこにいる全ての人の心を震わせた。「大愛交響、大愛無我」という彼の理想がこの活動の支えであり、自閉症児たちは彼にとってはきらめく星々なのだという。その娘である曹小夏が父の理想を実現させるために、自閉症児たちが社会参加できる一つの方法として二〇一八年四月二日の世界自閉症デーに開いたのがこの「愛カフェ」なのである。

「愛カフェ」やこのコンサートを通じて、多様性とは何かについて考えてみた。昨今LGBTQなる性的マイノリティがとかく話題になりがちだが、民族、文化、年代、そして障害と多様性の幅は広い。特に、「健常者」と「障害者」との間には、とかく見えない壁がある。見えないがゆえにやっかいな壁だ。「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」と言われる色眼鏡を私たちは無意識のレベルで共有しがちなのだ。悲しいかな、私たち「健常者」は「障害者」に対して無意識レベルの優位性を前提にして生きている。

確かに彼ら自閉症児らの仕事や演技は専門家の目には取るに足りないものに映るかもしれない。だが、彼らが重ねた努力の成果を懸命に披露しようとする姿に多くの人々が勇気や希望をもらうはずだ。彼らの様々な活動がソーシャルビジネスとして今後認知され、社会に受け入れられていくなら、障害者と社会との頻繁な交流を通じて、結果的に無意識の偏見も少しづつ解消されていくに違いない。

ダイバーシティ社会がしばしば説かれる昨今、社会に存在する様々な見えない壁をいかに解消していくかが問われている。去る三月二十一日の世界ダウン症の日に続き、四月二日の世界自閉症啓発の日など様々な機会を通じて、壁の向こう側にある本当の意味での多様性に満ちた社会の到来を期待したい。

音楽は国境を超えるという。自閉症児たちも国境を越えて等しく幸せに生きる権利がある。彼らが幸せに暮らせる寛容性と多様性に満ちた社会の実現を心の底から願うばかりである。

(文・ 松村浩二)

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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。