日本政府は10月24日午前の閣議で、在中国日本大使館の垂秀夫大使(62歳)が離任し、駐インドネシア大使の金杉憲治氏(64歳)を後任の大使に充てる人事を決定した。
日本政府は7年ぶりに、「非中国通」を駐中国大使に起用することにだった。対中「強硬派」で知られる垂(たるみ)秀夫現大使からの交代は、日中関係を改善させたいという政府の思惑があるとみられる。
垂大使は、1985年に京都大学法学部を卒業し外務省に入省した。
外務省には中国語研修組(チャイナスクール)とアメリカ研修組(アメリカスクール)があり、新規入省者はこのいずれかに割り振られて長期研修を受ける。
垂大使は「中国研修組」となり、翌年に中国語習得のため南京大学に留学した。1989年に在中国日本大使館に異動し、二等書記官を1年間務めた。1995年に再び日本大使館に勤務し一等書記官となり、1999年に在香港総領事館の政務部長に就任した。2001年には台湾の日本台湾交流協会台北事務所総務部長となり、2008年に外務省中国課課長に就任、2011年に3度目の在中国日本大使館の赴任で政務公使となった。2018年からは外務省領事局長、大臣官房長に就任した。この時に外務大臣だったのが岸田現首相である。
さらに垂氏は、2020年9月に在中国日本大使に任命され、12月上旬に正式に赴任した。22年11月に岸田文雄首相と習近平国家主席による首脳会談を実現させた。
垂氏の経歴を見ると、ほぼすべて「中国尽くし」である。外務省の「中国研修組」で初めて中国本土、香港、台湾(2回)の3か所に駐在し、政府からは「中国通」と見られていた。
あまり中国のことを「精通」であると、えてして問題となる。
今回は、岸田政権が垂大使の後任として「非中国通」を在中国大使に起用した。
新大使の金杉氏は1959年11月生まれで今年64歳である。国家公務員として定年を来年に控えたこの時期に重責を担わされるとは、本人も寝耳に水だったろう。
1983年に一橋大学法学部から外務省に入省した金杉氏は、これまでの外交官生活で、大きく分けて政策研究、対米活動、総合的な協調、という三つの業務に携わってきた。
金杉氏は入省後、「アメリカ研修班」に所属し、まず北米局北米一課的課長補佐に就任し、後に北米二課の首席事務官となり、2002年に同課の課長となった。2005年に駐米日本大使館参事官に就任、2016年にアジア太平洋局局長となり、北朝鮮問題や米朝首脳会談を手掛けた。
金杉氏の経歴は垂氏とは異なり、かなり全般的である。総合外交政策局に4年間在籍し、外交政策の立案や制定についてかなりの経験や主張を持っている。外務省で人事課長、総務課長、東日本大震災時における国際支援協調の担当課長、経済局長、駐韓国公使、外務審議官(経済部門の次官級)を経験している上、野田内閣時代には首相書記官も務めていた。
外務省における金杉氏への評価は、「米国が専門で、アジア大洋州局長や外務審議官(経済担当)を歴任した。情報収集力に定評があり、2018年6月の史上初めての米朝首脳会談ではリエゾン(連絡要員)として派遣された。インドネシア大使就任後は、交流サイト(SNS)で公務を紹介するなど情報発信にも力を入れている」というものだった。
金杉氏は2020年11月、アジア太平洋戦略の推進に向けてインドネシア大使に任命され、ジャカルタに向かった。
垂大使が北京に赴任したのと同じ時期である。
金杉氏は岸田首相が外相時代の2016年6月から3年3カ月、アジア大洋州局長を務め、首相からの信任は厚い。
ジャーナリストの歳川隆雄氏は「垂氏はこの四半世紀のチャイナスクールでも傑出した人材で、人民解放軍内に人脈を築き上げた手腕は中国公安当局が強く警戒しているほどだ。ただ、岸田政権が早期の日中首脳会談の実現を望むなか、逆にその存在がネックになっている面もある。一方の金杉氏はバランス感覚に優れたオールラウンドプレーヤータイプだ。米中対立も続くなかで日中関係の改善に困難さは伴うが、急な大使交代は、2人のどちらが現在の国益に沿うかを判断しての官邸人事だろう」と話した。
中日両国は今、台湾問題、原発処理水の問題、中国による日本の水産物の輸入禁止、日本による中国へのハイテクや機器類の輸出規制などを受け、関係が冷え込んでいる。岸田政権は局面を打開すべく、「非中国通」でアメリカに精通し、全般的な協調力や柔軟な外交姿勢を備えた金杉氏に願いを託すことになる。 その願いが叶うか、まるで予想がつかない。
(中国経済新聞)