「なんと愚かなことを」というつぶやきが、思わず、漏れた。
ワールドカップが闘われている米国で、あろうことか大統領たるトランプ氏が自国選手フォラリン・バログンに出たレッドカードの猶予をFIFA会長に働きかけたというニュースが目に飛び込んできた。今月7日早朝、海外各国の放送局のニュースをチェックしていた時のことだ。
英BBCはトランプ氏がFIFA会長のインファンティーノ氏に電話して「レッドカード執行の再検討を求めた」ことを伝え「FIFAはほぼ誰も知らないルールを適用して猶予した」として「一線を越えた」「恥ずべきことだ」というサッカーファンの声を引いた。独ZDFは、トランプ氏がSNSに「FIFAよ、ありがとう。不公正を排除する正しい判断をしてくれた」と投稿したことを引きながら、トランプ氏が「私はスポーツを知り抜いている。あれ(バログン選手にレッドカードが出たプレー)はファールではない」と言ったと伝えたうえで、ワシントンから特派員が「トランプ氏とインファンティーノ氏は便宜を図り合う関係だ」とレポートした。
一連のニュースを見ながらあ然とし、冒頭のつぶやきとなった。事はサッカー、あるいはスポーツの次元をこえているからである。事実、サッカーファンの「X」への投稿に「レッドカードをなかったことにさせるアメリカ。権力でルールを捻じ曲げさせ、それを誇らしげに公表するトランプとホワイトハウス。アメリカの現在を端的に象徴している。堕落の極北」というものがあった。まさしく、これぞ「力による一方的な現状変更」などと言うと、シャレにもならない「笑い話」となる。しかし、ある意味ではトランプの米国という存在に対する、「子供」でもわかる格好の教材となったと言えよう。それくらいトランプ氏および米国の現在の姿、本質をあらわにしたと言うべきものであった。
がしかし、笑っていられない「大人」の現実がある。時を同じくして北大西洋条約機構(NATO)首脳会議がトルコのアンカラで開催された。これまた海外各国のニュースを見ていると、トランプ氏の「言いたい放題」の姿が随所で伝えられ、各国首脳は、とにかくトランプ氏からNATOが見放されないようにと腐心、忖度するばかりであった。そして、会議の最中に、またもや、イランとの攻撃の応酬が始まり、イランはもとよりイラン攻撃に際して「非協力」だったスペインなどにも悪態をつくトランプ氏の姿が伝えられた。しかし、元をただせば、2月にトランプ氏がイスラエルと語らって、一方的かつ突然の爆撃、イラン最高指導者はじめ首脳陣の殺害にとどまらず無辜の小学生たちなど多くの人々の殺戮に走ったことが始まりだったわけで、いまや世界の大方が認めるように、トランプ氏が行き詰まり、追い詰められたからといって、それはトランプ氏自身がまいた種なのだということを直言、諫言する首脳一人さえいないというNATO首脳会議であった。かつてのメルケルはいないという感慨を強くしたものだ。
しかし、少し立ち止まって、視界広く世界を見渡してみれば、米国への信頼は地に堕ち、もはや米国が主導する世界というのは仮構となりつつあることを知ることになる。そうした考察、論考は枚挙にいとまがないが、一例を挙げれば、米エスタブリッシュメントが依る「フォーリンアフェアーズ」にプリンストン大学名誉教授のロバート・O・コヘイン氏が論稿掲載直前に逝去したジョセフ・ナイ氏との連名で寄稿した「『アメリカの世紀』の終わり―ドナルド・トランプとアメリカパワーの終焉」に象徴的な言説を見出すことになる。
「この80年間にわたって、アメリカは、強制ではなく、他を魅了することでパワーを蓄積してきた。(中略)トランプが、米同盟諸国の信頼を低下させ、帝国的野望を主張し、米国際開発庁を破壊し、国内で法の支配に挑戦し、国連機関から脱退する一方で、それでも中国に対抗できると考えているのなら、彼は失意にまみれることになるだろう。アメリカをさらにパワフルにしようとする彼の不安定で見当違いの試みによって、アメリカの支配的優位の時代、かつてヘンリー・ルースが『アメリカの世紀』と命名した時代は無様に終わるのかもしれない」と、抑制をもってだが、米国の今の姿をきわめて的確かつ示唆的に説いた。そしてこの寄稿から一年後、今年8月の同誌最新号にはユーラシア・グループ創設者のイアン・ブレマーと同グループマネージング・ディレクターのフィラス・マクサドによる「イラン戦争のグローバルな帰結―対米不信と中国の影響力拡大」が載ることになった。
「中東における対米不信が高まるなか、戦後の中東でより大きな役割を果たせる立場にあるのが中国だ。特に、貿易、エネルギー、デジタルインフラの分野で、中国と地域諸国との協力が進むだろう。『アメリカはもはや信頼できず、ワシントンへの長期的な依存を減らすことを戦略的必要性』とみなしているのは中東諸国だけではない。ヨーロッパ、アジアでも、この認識が広がりつつある」と言い切っている。ここで挙げた2つの考察に共通するのは中国の存在の大きさが強く意識されていることである。
翻って、足元の日本の高市政権のありようを見据える時、世界でほぼ唯一の例外として、この中国への視界が致命的に欠けていることを知らされる。今月1日から3日にかけて高市首相はインドに出向きモディ首相との会談に臨んだが、ここでも高市氏は自ら進化版と自負する「FOIP」(自由で開かれたインド太平洋)を語り、メディアが「インドとの連携を深め、中国への牽制につなげるねらい」と伝える挙を重ねた。とりわけ「中国による経済的威圧」に対抗する必要を挙げて経済安全保障の重要性を強調した。共同記者会見においてモディ氏から「美しい妹」と言ってもらえたと満面に歓びを浮かべ語った高市氏の発言は、のちに「同時通訳の間違いだった」という言い訳に至ったことで「お笑い」だったとするにしても(米国議会で枢要な仕事をしてきたキャリアを誇る高市氏にしてはモディ氏の英語が理解できなかったのは不可思議だが今は置いておく)、詰まるところ、相も変わらず「中国の脅威」への対抗がすべてと言う身上である。どう言われようと高市氏には考えを改める兆しさえうかがえない。この中国への「敵対意識」はどうやら高市氏の世界観の根幹に根差す問題だと考えざるを得ない。
数日前、経済実務に携わる人物と意見を交わした際、中国の数次にわたる「対日輸出規制強化」は、高市氏が経済安全保障担当大臣時代から掲げてきた対中「経済安全保障」策が、ブーメランとして日本に返って来たものだという話に至った。日本の産業の軍事化についての吟味は置くとして、日本の産業、経済の根底を揺るがすものとなる危機感が静かに広がっているのである。すなわち、対中国政策の根本的転換がなければ日本の産業、経済に先はない、ということなのだ。
「日本を再び偉大な産業国家へ」と豪語する高市氏の言葉が空虚に響く愚をまだ重ねるのであろうか。「中国脅威」論をこえて、世界の趨勢を見渡す賢者の識見こそをめざすべき時に立ち至っているのではないか。
さて、われわれはどう針路をとるべきであろうか。(7月15日稿)
(文・木村知義)
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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。
