「ダサい」が国会議事録に記される「誇るべき日本」

2026/10/26 10:00

テレビの国会中継を視聴しながら耳を疑った。衆議院予算委員会で答弁に立った高市首相は「簗大臣の地元での発言は、もうあれが事実であるとしたら本当に不適切なもので、本当にダサいと思います」と述べた。言うまでもないがギャグやジョークを口の端にのせる場面ではない。かつてメディアの職に身を置き、幾ばくかは政治の実相に触れてきたゆえに、国会が良識の府などと無垢な夢物語を信じるものではないが、いまさらながら高市早苗という人物の知性と品性の水準を知らされたと言うべきである。同時に、こうした品性浅薄としか言いようのない人物を国家の首班としていただく国民の一人として恥ずかしさを禁じ得ない。そして、「サナエ推し」などという軽佻浮薄な風潮で高市氏を政治の頂点に押し上げたこの国の世情に深い危機感を抱かざるをえない。これは、内政の一端にとどまるものではなく、現在の日本の立ち位置の根幹にかかわる、まさに国難と言うべき厳しい現状認識を迫られるものである。

 「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」、これは総理大臣就任後の所信表明演説で高市氏が述べた文言である。「ダサい」発言がそれにふさわしいか、世界の耳目にどう映り、どう響いたかは、論を先に進めるためにここでは置いておく。問題の要(かなめ)は、内政と不可分の外交である。その核心は対中国政策、日中関係にあることは言を俟たない。

 今月初め、元自民党副総裁の山崎拓氏は時事通信のインタビューに応えた際、外交問題、日中関係についても語った。「日米首脳会談、米中首脳会談をどう見たか。米中首脳が接近し、日本は今後、孤立感を深めることになるとの見方もあるが」との問いに対して、「高市首相は日中対話の必要性を強調するが、現状では、日中首脳会談はできない」として、先に日本国際貿易促進協会会長として北京に赴いた岩屋毅前外相に触れて「(岩屋氏が)せっかく訪中して、王毅(共産党政治局員兼外相)らに会ったけど、別に高市首相のために会いに行ったわけではない」「APECにおいても、G20においても、高市と習近平との会談はないと思う。立ち話もないと思う」と言い切っている。さらに、「国民の反中意識が非常に高いので、今の高市発言を『よし』としている。高市首相には、日中関係を改善しようという気持ちがない。日中関係の改善は、高市が代わらない限り、ない。高市は、自分の発言を撤回も修正もしない。修正すれば、国民の支持を失うと考えている。高市政権で日中関係の改善は望むべくもない」と答えている。独特の政治感覚を備えた山崎拓氏のまさに一刀両断というべき言は重い。

 岩屋氏の訪中、王毅氏(中国側報道において会談に臨んだ王毅氏の肩書は「中国共産党中央政治局委員(中央外事活動委員会弁公室主任)」となっていることに意を払うことなく「外相」と報じることが孕む問題は重要だが、今は置く)および何立峰副首相との会談にかかわって、日本のメディアや中国専門家から、中国の「厚遇」と「軟化」といった「見立て」が喧しく語られた。例えば、「中国側は当初、日本政府に高市氏の発言の撤回を求めていたが、岩屋氏との会談で王氏は『是正』を求め、何氏は『克服』という表現を用いた。中国は最近、外務省の記者会見でも撤回という表現を避けており、ハードルを下げて日本側の対応を引き出そうとの狙いもうかがえる」というのである。また、ある中国研究者はテレビの情報番組で、「中国側にとってみても、厳しい対日措置をとって何か得があったかと言うと、何にもない。いま中国経済は非常に良くない。『そろそろ対日関係を変えないといけないのではないか』という声が出てきた。夏ぐらいから中国の姿勢が少し変わってきた、言ってみれば和らいできた。中国は拳を振り上げると高い木に高く登りすぎてしまう。降りられなくなってしまう。だから、ひとつの措置として、一番彼ら(中国)が気にしているのは経済ですから、経済交流が盛んになるような、少しずつカーテンをまずは開け、それから窓を開けるということを少しずつやっていくのではないか」と語った。

 読者、視聴者をミスリードする意図をもってこうした論調としたとするなら悪質と言わざるを得ない、その意図がなくこうした論調となったのであれば、ジャーナリストとしてあるいは中国専門家として、浅慮の誹りを免れない。

 筆者は昨年11月の「高市発言」以来、高市氏は「パンドラの箱を開いた」と言い続けてきた。限られた紙幅でその意を繰り返すことは控えるが、要は、「発言」は高市氏の中国観、歴史観に内在する根深い問題を露呈したものであり、ゆえに深刻だということである。

 高市氏は自著「日本を守る強く豊かに」(2024年9月刊)の第7章「中国の理不尽なやり方に屈してはならない」において「振り返ると二年前の令和四年は『日中国交正常化五十周年』でした。しかし、はたして、この五十年が本当に『正常化』だったと言えるのか。正しくは『日台断交五十年』『日中国交樹立五十年』と呼ぶべきだと考えています」と語り、「台湾有事の日は近い」と章を結んでいる。よって、メディアの論調に見られる「高市首相の発言は踏み込みすぎた。日本政府の台湾をめぐる姿勢が変わったわけではない。高市氏は丁寧に説明する必要がある」といった次元で語ることは問題の矮小化に他ならない。いまや、「日中国交正常化とは一体何であったのか」という「問い」に、高市氏のみならず日本のわれわれすべてが、あらためて向き直ることを迫られているのである。さらに言葉を継げば、明治以降、近・現代の日本と中国のありようすべてにわたる歴史観、中国観にかかわる「総ざらい」を迫られる、その蓋をひらいたのが昨秋の「高市発言」だと言うべきなのだ。その厳しい自己認識がなくては、問題解決の道は到底見出せないと心得るべきなのである。

 政権周辺およびメディアが無責任に「日中首脳会談」の可能性を云々する中国・深圳でのAPEC首脳会議が一か月後に迫った。今回参加が見込まれるロシアのプーチン大統領は今月初頭、モスクワで開かれた国際問題の討論フォーラム「バルダイ会議」の席で、トランプ大統領、習近平国家主席との3カ国首脳会談への意欲を語った。実現性については未知数だが、米中ロの首脳会談がおこなわれることになれば史上初となる。1945年、米英ソで行われたヤルタ会談になぞらえて米中ロによる「ヤルタ2.0」と語る国際問題ウオッチャーもいる。さらに、APEC首脳会議後、遠くない時点で、トランプ氏と北朝鮮の金正恩国務委員長(朝鮮労働党総書記)の会談の可能性も取りざたされる。すなわち、世界は激動の時を迎えているのである。

 翻って、わが高市政権はといえば、こうした世界のダイナミックな動向と無縁かつ孤立した存在となり果てている。国会の場で「ダサい」などと言ってなんら恥じることなく過ぎている日本政治の現在を目の当たりにして、高市氏の掲げる「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」という言葉の空虚を思い知るのは筆者ばかりではあるまい。性根を据えてこの浅薄極まりない高市政治の姿と正対することを、日本に生を享けたわれわれ全てが迫られていると知るべきである。

(文・木村知義 10月18日記)

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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。

(中国経済新聞)