2003年4月1日、香港のエンターテインメント界は深い悲しみに包まれた。俳優・歌手として世界的に活躍していた張國榮(レスリー・チャン)が、香港のマンダリン・オリエンタル・ホテルから身を投げ、自ら命を絶ったのだ。彼の死は、当時「うつ病による自殺」として広く報道されたが、香港の映画監督・王晶が最近の番組で語った内容により、新たな視点が加わっている。
王晶によれば、張國榮の死には複合的な要因があった。うつ病だけでは語りきれない「三つの決定的な要因」があったという。
- 長年苦しんだ「生理性うつ病」
張國榮は長らく「生理性うつ病」に悩まされていた。このタイプのうつ病は、脳内の化学物質のバランスが崩れることによって引き起こされるとされており、本人の意志や環境だけでは改善が難しい。発作が起きた際には、身体が引き裂かれるような激痛が伴い、日常生活すらままならなかったと伝えられている。 - 彼は病院での治療を勧められたものの、「精神病」というレッテルを貼られることを恐れ、入院を拒否。服薬も継続できず、病状は悪化の一途をたどった。姉の張綠萍も、レスリーの病状が極めて深刻であったことを後に明らかにしている。
- 監督としての夢の挫折
2002年、張國榮は俳優としてのキャリアだけでなく、映画監督としての新たな道を模索していた。彼は『偷心』という映画の脚本を完成させ、張曼玉(マギー・チャン)など親しい俳優に出演を依頼していた。
だが、制作資金の調達は思わぬ事態により頓挫する。出資を約束していた中国本土の著名な富豪(ネット上では大連証券の元董事長・石雪との噂もある)が経済犯罪で逮捕され、資金が凍結されたのだ。レスリーは、撮影に向けて集まっていたスタッフや俳優たちに顔向けできず、深い自責の念に駆られたという。 - 同性愛への偏見と社会的プレッシャー
張國榮は、自らの同性愛を隠すことなく公表し、パートナーの唐鶴徳(ドディ・トン)との関係もオープンにしていた。しかし当時の香港社会はまだ保守的であり、彼は長年にわたりメディアや世間からの偏見や中傷に晒され続けた。
彼の代表作『霸王別姫』や『金枝玉葉』は国際的に高く評価されたが、その一方で、私生活に対する無理解や差別が彼の心を少しずつ蝕んでいったことは否定できない。表舞台で輝き続けた彼であったが、孤独と葛藤は常に心の奥底にあったのだろう。
王晶が特に強調したのは、「中国本土の富豪による裏切り」が張國榮の心を完全に折った、いわば「最後の稲草」であったという点である。
監督としての再出発をかけた企画に賭けていたレスリーにとって、突然の資金断絶は単なる経済的損失ではなく、人生の再構築への道が絶たれた瞬間だったのだ。うつ病という土台の上に、夢の崩壊と社会的孤立が重なったことで、彼は逃げ場を失ってしまった。
レスリーはホテルの24階から飛び降りる直前、ホテルスタッフに宛てたメモを残していた。そこには「うつ病がとても辛い。医者も信じられない」といった内容が記されていた。
この言葉は、病気の苦しさと同時に、理解されない孤独の深さをも物語っている。