今年の労働節休暇、中国国内ではおよそ三億人近い人々が国内旅行を楽しんだという。映像で流される各地の観光地はどこも「人山人海」の様相を呈していた。そんな大混雑を予想してこの労働節の遠出は自粛した。
かといって休暇中ずっと上海で過ごすのも面白みがない。当初は紹興や南京なども候補に挙がっていたが、結局、高齢の義母と妻の友人夫婦と一緒に上海から高速でおよそ二時間ほどの太湖に近い南浔古镇に行くことにした。
ただ一つ大きな問題があった。国定休暇期間中は中国国内全土で高速道路の通行料が無料になるため、毎年必ずと言っていいほど大渋滞が発生するのだ。そのため渋滞を回避して労働節休暇の中日の五月三日に現地に向かい、翌日早々に上海に戻ることにした。予想通り行きは流石にすいていた。それでも日本の一般道と同じくらいの混み様で、時速百二十キロ前後で走る車が十メートル~二十メートルの車間距離で走る。前の車が急ブレーキをかけようものなら思わず追突しそうな感覚になり、緊張で体がこわばる。緊張のドライブが続く中、途中二か所しかないサービスエリアの内、大きな淀山湖サービスエリアをなぜか運転手が素通りしてしまい、次の小さな平望サービスエリアでトイレ休憩とした。
一九八四年の瀋大高速公路の建設を機に、一九八八年の沪嘉高速公路開通から始まった中国の高速道路網は足かけ四十年を経た今年二月時点で総距離数十八・四万キロ(交通運輸部公表)に達した。二〇一二年にアメリカを追い越してからはずっと世界一位である。昨今の電気自動車ブームは言うまでもなく、自動車販売台数で過去十五年、中国は世界一位を誇っている。文字通り、今や中国は正真正銘の自動車大国である。
ただし、インフラ開発にサービス面がやや追いつかない状況がしばらく続いた。日本の高速道路のサービス・パーキングエリアが凡そ九百あるのに対して、中国国内では今でこそ約八千あるといわれるが、今から十年以上も前はどのサービスエリアもどこか田舎っぽく、不衛生な印象が強かった。だが、この十年でずいぶん改善された。今では各地のサービスエリアはローカル色を前面に押し出つつ、建物から商品まで創意工夫を凝らしたものとなっている。カフェ、食堂、スーパーなどはもちろんのこと、長距離運転手用のカプセルホテルやコインランドリーまで併設されているのは意外だ。勿論、「観光資源」にまで洗練されている日本のそれとの質的な差は否めないが、利用者からすれば使い勝手はよく、ありがたい存在であることに違いはない。
平望のサービスエリアはかなりの混雑だった。基本的にはトイレ休憩なのだろうが、ついでに美味い地の物を食べたり、コーヒーで一服したりして過ごしていた。その後、三十分ほどで目的地の南浔古镇に着いた。午後早い到着で早速古鎮に繰り出したが、案の定、人の波に圧倒された。両側に続く白壁に挟まれた美しい水路に手漕ぎの観光船がのんびり行きかう中、石畳には前にも後ろにも人の波が続き大渋滞だった。人流に任せて正門にたどり着くと、あまりの混雑で入場規制までされていた。
翌朝は大雨の予報が外れて小雨だったため、朝食前に朝の古鎮巡りを楽しんだ。流石に昨日の喧騒とは無縁の静けさで、雨にそぼ濡れた石畳の道を散策していると、雨の古鎮の風情が身に染みてくる。黄色いビワの実がたわわに実り、今にも緑の水面に落ちてきそうだ。雨の古鎮に癒された後、再び高速道路に乗り、渋滞に巻き込まれることなく、上海の我が家に無事に戻ることができた。
一九八八年十月、わずか十六キロ足らずの沪嘉高速高路から始まった中国の高速道路網は今では中国全土を網の目のごとく縦横無尽に張り巡らされている。ちなみに上海からチベットのラサまでは十七ほどの高速道路を経由する凡そ四千キロの果てしない道のりだ。途中七十一のサービスエリアと五十三の給油所があり、高速費用はしめて一四五五元(約二九〇〇〇円)だという。それは雄大で美しい中国の自然を駆け抜ける、果てしない旅でもある。国内旅行というには余りも壮大過ぎる、まさに現代版西遊記の旅ともいえよう。実際にキャンピングカーを使って多くの旅人たちがこの壮大な旅に挑戦しているそうだ。
無数の山河を越えて広大な国土を縦横無尽に走り、都市と地方、都市と都市を結び、人と物の移動を劇的に改善してきた中国の高速道路。だがそれは巨大な経済と人々の暮らしを支えるインフラに留まらず、人々の旅心をくすぐり、旅へと誘う「道」でもあるのだ。
(文・ 松村浩二)
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【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。