衆議院選挙が公示され27日の投開票に向けて選挙戦に突入した。自民・公明で過半数を確保できるか、石破政権の命運のかかる選挙となっていることは承知の通りである。選挙結果について、筆者なりの予測はあるにせよ、ここではひとまず置く。それ以上に、いま、考えるべき重要な論点に直面しているからである。
石破首相は解散に踏み切ったその足で、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議出席のためラオス・ビエンチャンへ向かった。メディアが言うところの「外交デビュー」であった。そこでは「東南アジア諸国から警戒を招きかねない『アジア版NATO(北大西洋条約機構)』創設などの持論は封印。岸田文雄前政権の外交路線を踏襲する姿勢を強調し、周辺国からの懸念払拭を図るスタートとなった」(朝日10月11日朝刊)というのである。
しかし問題は、ASEAN諸国の様子見をして持論を「封印」したかどうかにはない、石破首相がどういう戦略的思考に立っているかである。外交・安保政策の根幹をなす中国・アジア観および世界観こそが問われているのである。
「アジア版NATO構想」については、石破氏の米・ハドソン研究所への寄稿論文が自民党総裁選に狙いを定めて公表され、注目を集めることになった。わずか2600字余りの論文であるが、きわめて重要な論点が盛られている。引用が長くなるが、仔細にわたり精読が欠かせない。
「日本の外交政策の将来」と題したこの「論文」は「安全保障環境はウクライナ戦争で一変した」と始まる。そして「今のウクライナは明日のアジア。ロシアを中国、ウクライナを台湾に置き換えれば、アジアにNATOのような集団的自衛体制が存在しないため、相互防衛の義務がないため戦争が勃発しやすい状態にある。この状況で中国を西側同盟国が抑止するためにはアジア版NATOの創設が不可欠である」というのである。
「ロシアを中国、ウクライナを台湾に置き換えれば」あるいは「中国を西側同盟国が抑止するためには…」という認識、これだけでも厳しく吟味、検証されてしかるべきだが、先を急ぐ。
安倍政権時代に「憲法解釈の変更を行い集団的自衛権の行使を認める閣議決定をした」「日本への直接的な攻撃に対して最小限の武力行使しか許されなかった自衛隊は、親密な他国が攻撃を受けた場合でも、一定の条件を満たせば反撃可能になった」その後、岸田政権下で「『安保三文書』」を閣議決定し、防衛予算を国内総生産(GDP)比2%へ増加させ反撃能力を確保した」と誇る。しかし、「これらの措置は閣議決定や個別の法律で定めているに過ぎない」として、「我が国を取り巻く地政学的危機はいつ戦争が起こってもおかしくない状況にまで高まっている。その危機への対処のために『国家安全保障基本法』の制定が早急に不可欠となる」と説く。さらに、インド太平洋地域における「QUAD(アメリカ、日本、オーストラリア、インド)」「AUKUS(オーストラリア、イギリス、アメリカ)」の連携を高く評価し、さらに日米韓の「安保協力関係」の「深化」をもって「実質的な『3か国同盟』に近づいてきている」と語る。そして、「現在、日本は日米同盟の他、カナダ、オーストラリア、フィリピン、インド、フランス、イギリスと準同盟国関係にある。そこでは『2+2』も開催されるようになり戦略的パートナーシップの面として同盟の水平的展開がみられる。韓国とも日米は安全保障協力を深化させている。これらの同盟関係を格上げすれば、日米同盟を中核としたハブ・スポークスが成立し、さらにはアジア版NATOにまで将来は発展させることが可能となる」というのである。
ここまであけすけに「3か国同盟」「準同盟関係」と語られることに驚くばかりである。さらに、メディアで喧しく報じられた日米関係を「対等な関係」へという論点、あらためて原文に忠実な吟味を迫られる。
「石破政権では、戦後政治の総決算として米英同盟なみの『対等な国』として日米同盟を強化し、地域の安全保障に貢献することを目指す。日米安全保障条約は、日本の戦後政治史の骨格であり、二国間同盟であり時代とともに進化せねばならない。アーミテージ・ナイ・レポートはかつて米英同盟の「特別な関係」を同盟のモデルとして、日米は『対等なパートナー』となることを提案した。今、それが可能となり、米国と肩をならべて自由主義陣営の共同防衛ができる状況となり、日米安全保障条約を『普通の国』同士の条約に改定する条件は整った」というのである。そして「アメリカは日本『防衛』の義務を負い、日本はアメリカに『基地提供』の義務を負うのが現在の日米安全保障条約の仕組みとなっているが、この『非対称双務条約』を改める時は熟した。日米安全保障条約と地位協定の改定を行い自衛隊をグアムに駐留させ日米の抑止力強化を目指すことも考えられる。そうなれば、『在グアム自衛隊』の地位協定を在日米軍のものと同じものにすることも考えられる。さらに、在日米軍基地の共同管理の幅をひろげていくなどすれば在日米軍の負担軽減ともなろう。米英同盟なみに日米同盟を引き上げることが私の使命である」と語る。
果たしてこれが日本の自立であろうか。ありていに言えば、米国のより忠実な下僕として「米国と肩をならべて」戦いに赴くということではないか。その時の対象が中国であり、中国の抑止こそを使命とするという決意を鮮明にしたものではないのか。「非対称」を言うなら、限りなく中国を「敵」として深化する一方の日米同盟に縛られた日米関係と日中関係の「非対称」にこそ目を向けるべきではないか。「非対称」の認識にとどまらず、日米地位協定の問題性への認識も含め、改めるべきベクトルが違っていると言わざるを得ない。
インドネシアの英字紙ジャカルタ・ポストは10月5日、「アジア版NATOに反対する」と題する論説を掲載した。
「ASEANの首脳らは彼(石破首相)がどれだけ長く政権を維持できるか確信が持てないため、ホスト国は彼にあまり期待せずに礼儀として温かく迎える可能性が高い。たとえ石破氏が前任者の岸田文雄氏のように時の試練に耐えたとしても、日本の経済力の低下とASEANの経済規模の拡大の中で、ASEAN首脳を引きつけるために提供できるものは多くない」としたうえで、「アジア版NATO構想は、中国に対抗するためにあらゆる軍事力を結集することを目指しており、加盟10カ国からなるASEANにとっては非常に攻撃的だと考えられる」「ASEANには、米国や日本を含む同盟国が考えるよりも多くの選択肢があり、日本は現時点でASEANが拒否できないほど魅力的な提案を持っていない」と舌鋒辛辣である。そして、「ASEANはグループとして、地域の緊張を悪化させるのみの軍事同盟国ではなく、信頼できる貿易・経済パートナーとして日本を必要としている」と端的かつ鋭く語る。
戦略的思考と言う時、われわれがどれほどの視界の広がりと思考の深さを迫られるか、この論説にすべてが尽くされている。加えて、これはアジアおよび世界における同様の受け止めのほんの一例と捉えるべきである。
目を見開いてアジアを、世界を知らなければならない、今こそ…。
(文・木村知義、10月15日記)
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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。
(中国経済新聞)