価値観と言語表現から見る日中の文化的違いについて

2024/08/22 15:45

中国の儒家文化を中心とした道徳観及び政治観は、昔から脈々と受け継がれてきた。これに対して日本文化は、初期は中国文化から多大な影響を受けていたが、時間が経過するにつれ西洋文明の影響を受けるようになり、現在の日本文化が形成された。本文は日中間の文化的な違いについて比較研究を行い、両文化の違いが生まれる原因を分析し、両国文化間の不要な争いの解消を提案するものである。

一、日中文化の違い

(一)価値観の違い

価値観とは、ある特定の文化環境の中で人々が共有する物事に対する観点と態度であり、人の言動が正しいかどうかを判断する根拠となる。数千年間の封建制度の中で、中国の儒家思想は終始支配的な位置づけにあり、中国人の価値観に大きな影響を与えてきた。儒教は、五常(仁・義・礼・智・信)という徳性を拡充することにより五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)関係を維持することを教えている。「仁」を核とする中国の儒家思想が日本に伝わると、日本人は「仁」ではなく「礼」を重視するようになった。中国人が持つ考えの特徴は、博愛実務を重んじ、家族の考えが強く、人情味があることだ。これに対して日本人の場合は、礼儀正しく、謙虚で、適度な距離を保つことを尊ぶことである。この違いは、両国の「家」に対する考え方から説明することができる。

中国の「家」は、儒教文化の影響を強く受け、血縁関係を重視し、血縁親族への孝行及び人間関係を重視する。中国人が人間関係の中で最も重要としている要素は、血縁関係であり、その次に地域的なつながりが重要と考えている。一方、日本文化も家族関係を重視しているが、中国と比べてより開放的で、単なる血縁関係で家族関係を位置づけるのではなく、非血縁関係者であっても同じ家族の仲間と捉える傾向にある。日本の家族は生産、経営を主な目的とし、生活共同体と家族経営体として長期的な繁栄を重要視し、家業を伝承することが家族の主要な任務である。

(二)言語表現の違い

日中両国の言語表現における違いには、2つの側面がある。

まず、日本語の文字は中国の影響を大きく受けており、一部の文字は中国の漢字と全く同じであるが、数千年の変化を経て、日中両国は一部の文字上の意味と使い方に大きな違いがある。例えば「先生」という言葉は、古代中国では「文兄」あるいは「先生」の2つの意味を持っていたが、後に年長かつ有徳者への敬称として用いられるようになった。また、女性が自分の夫を呼ぶ際にも用いられるようになった。そして現在「先生」という言葉は、大人の男性を指す言葉として使われている。一方、日本語の「先生」は、一般的な人を指す言葉ではなく、教師、医者、弁護士、国会議員など特定の職業につく人物に対する敬称として使用されており、中国と大きく異なる。

つぎに、日中の言語表現にも大きな違いがある。日本は曖昧な表現を使用する傾向にあり、直接的に何かを言うことは少ない。例えば依頼されたことを断る際、“No”とは言わず、できるだけ自分の言葉が他人を傷つけないように気を付ける傾向にある。その意味では日本人の本音を探るのは非常に困難といえる。もし中国人が同じ状況下にいれば、より直接的に依頼を断るだろう。例えば”No”と先に言ってから、その理由を明確に説明する場合が多い。

(三)行動パターンの違い

中華民族は商業民族であり、その行動モデルは誠実さを基本とし、和を貴とし、中庸が円滑であることである。一方、日本民族は職人民族であり、厳格でまじめで、命令に対して確実に実行し、仕事に対して勤勉で、一糸乱れず厳しく規則を守る。中国文化も誠実さを重んじているが、時間や規則を重んじる点では、日本文化ほどではない。日中文化が交流する際、これらの違いに注意しなければ、思わぬ衝突や矛盾を引き起こす可能性がある。

二、日中文化の違いに対する考察

(一)文化的根源及び発展過程からの考察

中国は長らく封建社会にあり、伝統文化も封建君主の中央集権強化の中で生まれた。儒家文化は中国の封建社会の伝統文化の傑作であり、その教えである克己復礼、仁者愛人などの思想はすべて当時の統治者の需要に合致し、現在なお深い影響を与えている。中国文化の特徴は儒家思想を基礎とし、仁愛、調和、誠実、中庸の和合思想を体現しており、人間関係を重視し、政治と緊密に結合し、宗法家の色彩が強い。中国の儒家思想は中国の二千年以上にわたる封建社会の中で支配者に推奨され、社会発展の大きな趨勢に順応し、伝承されてきた。

日本は外来文化の吸収、すなわち幅広く吸収することを重視していた。中国の隋唐時代は国力が非常に強く、文化が繁栄し、鑑真東渡を代表とした中国の僧侶が唐の仏学、医学、建築、彫刻などの中国文化を日本にもたらした。同時に、日本から大量の遣唐使が中国に派遣され先進的な中華文化を学んだ。そして、清朝末期、中国の国力が衰え、欧米先進国のアジア進出が始まったころから、日本人はためらうことなく脱亜入欧、西洋化を加速させた。明治以降に西洋文化が流入し、国が変わっても、日本は文字、服飾、宗教、倫理道徳など多くの面で中国の古い文化を継承している。しかし、日本は中国の古い文化を吸収すると同時に、革新を続けてきた。中国文化と日本文化は類似点を持っているように見えるが、実際には至る所に違いがあるのだ。

(二)地理環境の視点からの考察

中国は領土が広く、資源が豊かで、農耕民族を主体としている。中国の歴代の支配者は農業経済の発展を重視し、重農抑制商の伝統があるが、このような安定した農業生産は、中国の伝統文化の発生と発展に経済的基礎を提供した。同時に中国の伝統文化の特徴の形成にも影響を与え、儒家思想を基礎とし、統治を強固にするために宣伝した克己復礼、三綱五常などの中国の伝統文化を形成した。そして古代中国北方の遊牧民族と中原の農耕民族は、社会発展の中で相互に融合し、中国文化の多様性と包容性を形成した。中国は伝統的な農耕社会で、農民が自給自足の現状に満足し、独自の文化を形成し、社会が普遍的に安定するようになった。

しかしながら、日本文化は全く異なる。海に囲まれて、国土面積が狭く、多くの山地が農耕に適さず、自然災害が多いなどの理由より、より豊富な資源を得るために、日本人は粘り強く、開放的で、勇敢な性格が形成された。日本の厳しい自然環境は、日本人に個人の力ではどうしようもできないことを認めさせ、集団の重要性を気付かせた。集団にいることで安心感が得られるため、日本人は小さい頃から、自分が集団の一員であると教えられた。そのため日本人は個人の発展は集団の発展と関係し、個人より集団の利益を重視し、集団内の調和を重んじ、個人の意見は控えめにする傾向にある。日本文化における集団主義は、日本民族精神のつまったものでもある。しかし、島国の地理的特徴と単一民族という社会的特徴によって、日本の民族文化は必ず狭隘性を含むものであることが決定づけられている。

三、終わりに

文化の交流と伝播は双方向で行われた。古代には、日本は中国から多くの先進的なものを学んだ。しかし、その後、明治維新以降西洋化が進み、短期間で日本の国力が大幅に向上し、多くの先進的な成果を得ることになった。

中国は優れた日本文化を吸収、参考にすることで、両文化の相互融合を行い、文化の違いを減らすべきである。例えば、日本人は非常に勤勉であり、規則を厳守するなど、私たちが参考にすべき長所がたくさんある。日本のこれらの文化の良い部分を吸収し、中国文化に融合することにより、日中文化の共通点はますます増え、異文化交流時の障壁は低くなると考えられる。中国文化にも日本文化にも長所と短所がある。私たちは対外交流する際にお互いの違いを尊重し、長所を伸ばし短所を補い、両国の異文化交流の障害を減らしていきたい。

文:王仁旭(WANG RenXu)

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【筆者】王仁旭(WANG RENXU、男)2006年日本国東京都生まれ、現在中国人民大学付属高校(International Curriculum Center of RDFZ)12年生で、生徒会幹部、知財研究クラブ創立者である。積極的に日本と中国の高校生における交流活動を行い、学生の角度から、日中文化における違いについて研究している。