2025年、アジアの富の流れは劇的な変貌を遂げている。かつて「アジアのスイス」と称され、中国の超富裕層が殺到したシンガポールが、厳格な規制強化によりその輝きを失いつつある。一方、香港は柔軟な政策改革を通じて、急速に「富の新ハブ」として浮上。中国の富裕層の「足による投票」が、アジアの資産配置パターンを根本から変革している。
この移転の背景には、地政学的緊張、暗号通貨規制の厳格化、そしてファミリーオフィスの運用コスト増大がある。2025年の世界的な富裕層移住数は過去最高の14万2000人に達し、その多くがアジア内で起きている。シンガポールの百万長者純流入数はわずか1600人と、2024年の3500人の半分以下に激減。一方、香港は800人の純流入を記録し、初めて世界トップ10入りした。
シンガポールは長年、中国富裕層にとって理想的な「富の避風港」だった。2019年の香港民主化デモ以降、北京の国家安全法施行により、多くの中国富豪がシンガポールに資産を移した。政治的安定、独立した司法、マンダリン語の普及、そして有利なファミリーオフィス制度がその要因だ。2023年末時点で、シンガポールには2000以上の単独ファミリーオフィス(SF0)が税制優遇を受け、総資産規模は約900億シンガポールドル(約9000億円)に上る。Googl共同創業者セルゲイ・ブリンやインドのムケシュ・アンバニ、中国の復星集団共同創業者梁信軍らがファミリーオフィスを設立したのも、この環境の賜物だ。
しかし、2025年に入り、この神話は急速に崩れ去った。シンガポール金融管理局(MAS)が導入した新規制が、富裕層の忍耐を試すきっかけとなった。まず、ファミリーオフィスの設立申請で、配偶者、子供、さらには非嫡出子(私生児)の資産詳細を徹底的に開示するよう義務付けられた。これにより、プライバシーを重視する中国富豪の反発が爆発。Bayfront Lawのライアン・リン理事は、「福建事件(2023年の巨額マネーロンダリング事件)後、中国本土クライアントの申請数は半減した。多くの富豪が『シンガポールのファミリーオフィス? 香港に直接移ればいい』と漏らしている」と指摘する。福建事件は、総額30億シンガポールドルのマネーロンダリングを伴う史上最大のスキャンダルで、9つの金融機関に罰金が科せられた。これを機に、MASはKYC(本人確認)プロセスを強化。銀行は富裕層の口座を再審査し、一部を凍結した結果、富裕層の離脱が加速した。
さらに、暗号通貨規制の厳格化が追い打ちをかけた。2025年、MASはシンガポール拠点のプラットフォームが海外顧客に暗号資産、ステーブルコイン、トークン化株式を提供する場合、ライセンス取得を義務付け、最低資本金25万シンガポールドル(約1800万円)とAML(アンチマネーロンダリング)遵守を要求した。Three ArrowsやFTXの破綻(2022年)後の余波で、富裕層の暗号資産運用が制限され、資金流出を招いた。Click Venturesの創業者カーマン・チャン氏は、「KYC審査の長期化と現地雇用クォータ(投資専門家を最低雇用)が負担。多くの同業者が香港に戻っている」と語る。
ファミリーオフィスの運用コストも無視できない。税制優遇(投資収益免税)を得るには、現地雇用比率をほぼ1:1にし、最低資本金25万シンガポールドルを維持する必要がある。これにより、中規模資本の富裕層は参入を諦め、UAEや日本へのシフトを加速。2025年9月現在のシンガポール純流入1600人は、2022年のピーク時(約5000人)の3分の1以下だ。結果、シンガポールのファミリーオフィス数は2024年の2000から横ばいか微減が見込まれ、経済への波及効果も薄れている。専門家は、「規制強化は金融犯罪防止に寄与するが、富裕層の『安全感』を損ない、長期的な魅力低下を招く」と分析する。
シンガポールの苦境に対し、香港は開放的な政策パッケージで急速に巻き返している。2025年3月1日発効の「資本投資者入境計画2・0」(New CIES)は、富裕層のハードルを大幅に下げ、ファミリーオフィスとのシナジーを生んだ。従来の資産証明期間を2年から6ヶ月に短縮し、家族企業株式や不動産を証明に活用可能。名目投資額3000万香港ドル(約5億円)に対し、抵扣メカニズムで実質1000万香港ドル(約1・7億円)まで引き下げ、審査期間を6~8週間に圧縮(シンガポールの1年以上に対し)。深圳のテック企業創業者A氏の場合、港株IPOで現金化後、わずか45日で移民を完了した事例が象徴的だ。
ファミリーオフィスの税制優位は「史詩級」と評される。家族投資控股車両(FIHV)の海外投資収益が全面免税され、「保険分割ポリシー+信託構造」で資産隔離と世代間相続を実現(CRS申告回避)。現地雇用比率の強制を緩和し、海外専門家の柔軟雇用を許可。2025年上半期の香港ファミリーオフィス数は前年比230%増、うち60%が中国本土出身。2023年末の2700事務所から、2025年末には3000超えが予想され、政府目標の200大規模事務所達成も目前だ。
高所得層向けの「貯蓄配当ポリシー」は、抗インフレの「硬通貨」として人気。ドル、香港ドル、人民元など6~7通貨の為替自由化をサポートし、長期IRR(内部収益率)6~7%超。信託類似機能(ポリシー分割)で、杭州の貿易企業主B氏のように、年50万ドルのポリシーで3年後に子女留学資金を抽出、残りを增加させる運用が可能。Manulifeの香港・マカオCEOパトリック・グラハム氏は、「遺産計画需要が急増。保険は家族争いを防ぎ、安定成長を実現」と述べる。これらの政策は、New CIESの初10ヶ月で918件申請(386件承認された)を集め、総投資額240億香港ドル(約4686億円)超を呼び込んだ。 中国富裕層の「足投票」は、規制厳格化と地政リスク増大の時代に、「安全感」が「高収益」より優先される現実を露呈した。香港は低合規コスト、柔軟政策、中国本土生活親和性で、アジア富の新地図を描く。
(中国経済新聞)
