50年前、日本人はどのように中国へ行ったか

2024/10/11 18:30

時は半世紀前にさかのぼる。

1969年に中国を訪れ、赤の腕章を身に着けて意気軒昂に井岡山を登った数人の「紅衛兵」に出会った。

東京の上野にある中国料理店で、彼らの年に一度の集まりに加わり、その当時にどのように中国へたどり着いたかを尋ねてみた。

話によると、日中両国間に航空機の直行便がなかった当時、まず東京国際空港から香港へ飛び、現地にある中国の旅行会社にビザを申請し、1日待ってから車で羅湖へ行き、税関を経て深センに着き、また車で広州に向かい、そこから列車でまる4日かけて北京に着いたという。

すでに白髪頭となっているこのメンバーは、「あのころ深センはすたれた小さな漁村だった。これだけの国際的大都市になるとは思わなかった」と驚きを交えて語った。

われわれ中国人が日本に行くのも、この逆ルートをたどり、香港経由で東京に向かっていったのである。

1972年、田中角栄首相が就任し、その年9月に政府専用機で北京に直行した。この飛行は中日両国が国交正常化を果たすものであった。

そののちの1973年9月11日、当時の中国民航(のちの中国国際航空)のボーイング707型旅客機が、経済貿易友好代表団を乗せて初めて日本へ飛んだ。だだしこれは臨時便だった。1年後の1974年4月に、両国の政府が「中日航空協定」を締結し、色づく秋に直行便として定期運航を開始するということで合意した。

時は下って1974年9月29日、中国民航の「B707」旅客機が、北京の西郊空港から東京の羽田空港へと飛び立った。乗客は、国務院で農業関係を担当し副総理就任を控えていた王震氏率いる中日友好訪日団だった。

旅客機は羽田空港で、日本政府や各界の熱烈な歓迎を受けた。

その一方で、当時まだ政府の出資会社だった日本航空(JAL)もこの日に、最新で最大の旅客機で「貴婦人」と呼ばれたダグラスDC-8-62型旅客機を中国へと送り込んだ。

機長を務めていた石井延幸氏は、「北京の抜けるような青空と現地の人たちの熱烈な歓迎ぶりに驚いた」と当時を振り返っている。

定期便の就航により、それまで1週間かかっていた東京から北京への所要時間は3時間に短縮された。

中国と日本との定期便はこの路線のみで、週に2往復であった。日本航空の航空券は、ビジネスクラスが8万7350円(現在の為替レートで約4358元)、エコノミークラスが6万2400円(約3112元)だった。

この値段は当時としては高かったか。

1974年の日本人の月給を調べると、大卒者の初任給は平均7万8700円(約3925元)で、全国の会社員の平均は11万5200円(約5746元)であった。つまり大卒初任給がほぼ中国への往復の航空券に相当したのである。

一方、当時の中国の都市部労働者の月給はというと、平均49元であった。5年以上働いてやっと東京への往復航空券が手に入る、ということである。

定期便就航の1年目、日本航空の乗客数はわずか6300人であった。それが2002年には100万人を突破し、2019年には日本を訪れた中国人観光客が900万人を超えている。

2024年は定期便就航からちょうど50年となる節目の年に当たる。9月6日、「中国民航」から見事に生まれ変わった中国国際航空が、東京のホテルニューオータニで盛大に記念式典を催した。

中日両国が国交正常化を果たした1972年、中国大使館を最初に設けたのもホテルニューオータニで、中日友好の聖地なのである。

夜に行われた式典には、中国からは駐日中国大使館の呉江浩大使、中航集団副総経理で中国国際航空の閻非副総裁が、日本からは福田康夫前首相、国土交通省の斉藤鉄夫大臣、日本中国友好協会の宇都宮徳一郎会長、日本航空の赤坂祐二会長、全日空の井上慎一社長らが出席した。さらに在日中国企業協会の王家馴会長や、中国企業の日本駐在代表、そして中日両国の主要メディア、旅行会社、物流業界などの関係者ら計500人余りが集まった。

会場では、中国の獅子舞チームと日本の太鼓チームのセッションによるパワフルでリズミカルなパフォーマンスが披露されたほか、両国の演奏家5人によるかつてのヒット曲「空港」や「世界に一つだけの花」の演奏、さらには著名舞踏家の中西舞さんによる中国の書道とダンスを組み合わせたスペシャルプログラムも披露された。会場は終始和やかで楽し気なムードに包まれていた。

中国国際航空の閻非副総裁はスピーチで、「北京と東京を結ぶ便は就航当初から便名をCA925としており、中日友好の象征となっている。日韓エリアでは東京を本部とし、日本では大阪、名古屋、福岡、仙台、広島、札幌、沖縄にも営業部を設け、9つの空港で中国の主要都市との直行便を運航している。2019年には、両国間の運航本数がグループ会社も併せて週にのべ540本となった。新型コロナウイルスを経て日本行きの便を急速に回復させ、現在の運航本数は週に508本となり、利用者数は平均のべ4.7万人となっている」と述べた。

記念式典で、中国国際航空の閻非副総裁が日本航空の赤坂祐二会長と握手

また日本航空の赤坂会長は、「50年間の運航で、日中両国の協力や発展の歩みをつぶさに見てきた。これからも中国人観光客が日本航空の便に乗ってどしどし日本を訪れてほしいと願う」と語った。

(中国経済新聞)