両親は一度も見舞わず――23歳の女性、骨肉腫と闘い続けた5年間

2026/01/14 16:30

中国・安徽省合肥出身の23歳の女性、夏夏(仮名)。彼女の青春は、骨肉腫――骨に発生する悪性腫瘍という過酷な病との闘いに費やされてきた。18歳で発症し、19歳で右脚を切断。23歳となった現在、がんは再び肋骨と胸膜へ転移している。

最新の動画で彼女は、疲労のにじむ表情を浮かべながらも、明るく語った。「また転移しました。新しい化学療法と分子標的治療、そして切除手術が始まります」。コメント欄には、「どうか元気を取り戻して」という励ましの言葉が溢れている。

夏夏の闘病生活は、高校3年生の夏に始まった。美術特進生として美術大学への進学を目指していた彼女は、中国の大学入学試験(全国統一大学入試)を目前に控えた頃、右脚に異変を感じた。

「痛くて歩けない日もありましたが、勉強を諦めたくなかった」

試験当日の数学科目の最中、激しい痛みで意識を失い、試験監督を驚かせた。トイレで嘔吐した後、再び席に戻り、答案を書き続けたという。試験後すぐに病院を受診し、下された診断は骨肉腫。進行が早く、悪性度の高い「骨のがん」だった。

治療は想像を絶するものだった。術前の化学療法、右脚の切断手術、そして術後の化学療法。体力の弱い彼女は、副作用に激しく苦しんだ。脱毛、皮膚の色素沈着、激しい嘔吐。医師は血球数を保つためあらゆる手を尽くしたが、腫瘍の拡大を防ぐため、脚の温存は叶わなかった。

切断を決断した夜、彼女は涙が止まらなかった。それでも最終的には、「脚一本と引き換えに命が助かるなら、それだけの価値はある」と自らを納得させた。

入試の結果、合肥市内の師範系大学に合格。病気がなければ、もっと高得点を取れたはずだと振り返りつつも、彼女は前を向いた。義足を購入し、手術の同意書にも自ら署名し、病院へは一人で通い続けた。

家族の支えは、ほとんどなかった。父親は一度も病院を訪れず、母親も発病から1年後に連絡を絶った。複雑な家庭環境が、彼女を早くから自立せざるを得ない状況に追い込んでいた。

一時は回復の兆しも見えたが、やがて肺への転移が判明。再び手術が続いた。肺葉切除を繰り返し、これまでに大手術は6回、化学療法は数え切れないほどに及ぶ。

2023年8月からは上海市第一人民医院の骨腫瘍科で治療を継続。10回の化学療法と2度の追加手術を受け、2024年11月には胸腔鏡下による右肺下葉切除術を実施。2025年1月の検査では術後変化のみが確認された。

しかし、治療終了から1年も経たないうちに肺転移が再発。手術から5か月後には左肺に新たな病変が見つかり、2025年現在、胸膜と肋骨への転移が確認されている。上海の瑞金医院での診察を経て、肋骨および胸膜の切除手術を受ける予定だ。

経済的負担も深刻だった。高額な医療費を賄うため、彼女は路上で手作り品を販売するようになった。その姿を偶然撮影した通行人の動画がインターネット上で拡散され、メディアの注目を集め、支援の輪が広がっていった。

彼女のSNSの年齢欄には、「100歳」と記されている。23歳の骨肉腫患者が最も強く願うのは、「100歳まで生きること」。それは冗談ではなく、命への切実な願いだ。

上海市第一人民医院の骨腫瘍科は、こう語る。「2023年8月以降の治療の中で、彼女は常に笑顔と強い意志を持って向き合ってきました。どれほど困難な状況でも、決して諦めなかった」

動画の中では疲労の色が濃いものの、車椅子を押してくれた見知らぬ人に丁寧に感謝する姿が印象的だ。コメント欄に並ぶ「どうか元気になって」という言葉には、彼女を“お姫様”と呼び、励ます人々の温かさがにじむ。多くの人が彼女の物語に心を動かされ、涙している。

夏夏は言う。「一人でいることには慣れました」。

それでも彼女は、決して一人ではない。画面越しに寄せられる無数の声が、彼女の闘いを支えている。

骨肉腫は「最も残酷ながんの一つ」とも呼ばれる。しかし、夏夏の物語は、生きる意志の強さを私たちに教えてくれる。彼女が再び健康を取り戻し、穏やかな日常へ戻れる日が訪れることを、心から願わずにはいられない。

(中国経済新聞)