本格的な秋のシーズンを迎えた上海。街のポプラ並木の大ぶりの落葉や、銀杏並木の黄色い葉が街を彩る季節となったある金曜日の夕刻、久しぶりに浦東美術館に足を運んでみた。開催中の「現代性の創造ーパリ・オルセー美術館の至宝」特別展を鑑賞するためである。今年6月19日に初日を迎えた特別展は8月21日にはすでに来場者50万人を突破していたという人気ぶりで、この日も平日の夕方にも関わらず、仕事帰りの会社員やカップル、子供連れの家族に多数の外国人観光客が加わり館内は想定外の混み具合で驚いた。
特別展では1940年代から20世紀初頭のフランス美術の潮流が展示され、リアリズム、自然主義、印象派、ポスト印象派などフランス現代美術の歴史をなぞりながら鑑賞できた。ゴッホ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、マネ、ドガ、ルノアールらの名画はどれも圧倒的な存在感を放っていた。特に人気だったのがミレーの『落穂拾い』とゴーギャンの『タヒチの女』だ。名画を前に誰もが躍起になってスマホ撮影を試みており、凄い人だかりでゆっくり鑑賞するどころではなかった。

ところで、この立派な浦東美術館は陸家嘴集団という民営企業によって2021年7月に開設された。フランス人の建築デザイナー、ジャン・ヌーヴェル氏はここを外灘の歴史的建築群と黄浦江を借景とした詩的な場所と見なし、美術館をひとつの芸術作品としてデザインしたのだという。その思いは3階にある高さ11mのガラス窓越しに黄浦江を一望できる「鏡庁」に最も象徴されている。対岸の旧上海から眺望する近未来的風景とは一味違った、懐古的で上品な旧上海の風景を一望できる素晴らしい造りなのだ。この日も大勢の来場者がこのエリアで黄浦江をバックに撮影に興じていた。

ところで上海最古の美術館は1956年に康楽酒店というレストランがあった場所に開設された上海美術展覧館と言われている。その後、1986年に上海美術館に名称を変更。劉海粟など中国近現代の著名な画家の作品を展示するだけでなく、開館以来、フランスやイタリアの絵画展なども精力的に開催していたという。2012年に中国国家館に移転し、「中華芸術宮及び上海現代美術館」へ再び改称し、最終的に2022年に「中華芸術宮」となり、現在に至る。南京西路325号にあった「上海美術館」と刻印された石がその歴史的な繋がりを物語っている。
この他にも上海には実にユニークで斬新な美術館が数多い。高さ492mの上海森ビルの29階にある「雲間美術館」は上海で最も高い場所にある。また、2010年の上海万博の中国館を2012年にリニューアル開館した「中華芸術宮」は延床面積166000㎡、うち64000㎡が展示エリアという上海最大の美術館だ。開発が進む西岸エリアにある「上海油缶芸術中心」も実にユニークな美術館である。以前、空港の燃料タンクのあった場所で2019年に非営利団体が開設した美術館で、見事なまでに展示スペースへ改装された古いタンクの独特な存在感に魅了される人は多い。そのコンセプトと活動が評価され、2025年には権威あるアートメディア『アートニュース』の「100年で最も優れた25の博物館建築」で堂々の9位を獲得している。
これらを含み市内には99の美術館がある。私の自宅から徒歩圏内にもいくつかの立派な美術館があり、どれも無料開放のため、気軽に美術鑑賞を楽しめる。ちなみに99の美術館の内、一部無料を加えると71の美術館が無料開放となっており、2024年にはなんと約800万人の来場者があったという。上海市民にとっていかにアートが身近な存在であるかがよくわかる。
多様で個性的な美術館にあふれる上海だが、このアートシーンを牽引するのは若者で、特に二十代、三十代の若い女性が主流である。それを実感したのは2019年に上海芸倉美術館で中国初開催のボブ・デュラン展を鑑賞した時だ。2016年のノーベル文学賞で驚かされたボブ・デュランだが、実は絵画や鉄製彫刻もこなすマルチアーチストだった。2016年末に古い倉庫をリノベーションして完成したモダンかつお洒落な美術館での開催と相まって、若い女性を中心に大勢の若者が押し寄せていた。館内にはお洒落なカフェも併設され、誰もがその時代の最先端感を楽しんでいるように見えた。今回訪れた浦東美術館も若い女性の姿がひときわ目立っていた。彼女達がSNSで発信するアートシーンが多くの人々を美術館へ誘っているのは確かなようだ。
アートは日々の暮らしに潤いをもたらす心のビタミンと言える。バラエティーに富む上海の美術館は市民の心の健康を支える欠かせない存在なのだ。さて、次はどの美術館でアートな時間を過ごすことにしようか。
(文・ 松村浩二)
***********************************
【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。
