中国科学院心理研究所の「農村児童心理健康調査報告」によると、「留守児童」(置き去りの子供)はうつ症状の発生率が28.5%という。嘆かわしい数字の背後には、家族の事情と社会的環境の寸断が存在している。都市化の加速やインターネットの普及により、今の世代の「留守児童」は一段と複雑な環境に置かれている。両親も同じく「留守者」であったことが多く、家族の支えも少ない上に、ネット依存症やネットの暴力といった問題も広まりつつある。
「留守児童」とは一般的に、「農村」や「両親が不在」といった印象が持たれていたが、その定義はここ20年余りで変化している。2016年には「未成年者で両親がいずれも不在、または親の片方が不在で他方は人の世話ができない場合」と定めて、世話をする人がいない子供たちという意味合いを鮮明にした。さらに2023年には、中国国家統計局とユネスコにより都市部の子供たちも対象に加えられ、中国全体で6693万人となった。この数は子供の全人口の22%であり、5人に1人は親の愛情に恵まれず孤独で寂しい中で育っていたのである。

研究家の祁雪晶氏は、「付き添いのいない子供は『内向的』になる傾向が強く、誰にも頼ろうとしないので心理的に孤独や疎外感が生まれ、焦りやいらだち、不安感が拡大していく」と指摘している。また公益団体「PEER」の代表で長らく教育の現場にいる王旻若氏は、「留守児童」のつらさと成長する子供たちの誰もが経験する戸惑いが入り混じっている、と言う。「12歳から18歳は自立心が一番必要な時期であるが、自立を求める一方で取り乱した時に引っ張ってくれる人がいることを望む」とのことである。こうした引っ張り相手がいないと、「頑張りたいが動けず、休みたくても不安」というやるせなさを感じやすくなる。
町村部の高校は「勉強で運命を変える」といった考えが中心であるが、子供たちは就職難や学歴差別といった現実に出くわす中、こうした自信も揺らいでしまう。王氏は、「『PEER』が町村部の子供向けに自由に探究し表現する場を創り出すことで、『学習マシン』を脱して個人の価値を見出してほしい」と願っている。
「留守児童」本人からすれば、家族とは地理的だけでなく気持ちの面でも距離がある。相手にしてもらいたいし、親がどう過ごしているか知りたい。一方で親は生活費稼ぎのため長期間不在。養育費のために心のパートナーがなおざりにされている。こうしたギャップで子供たちはふさぎ込み、親も申し訳なく思う。
このようなマイナス面はデジタル技術によりある程度解消できる。祁氏は四川省大凉山での調査で、「私のパパはスマホなの」という彝族の少女に出会った。出稼ぎで不在の父親とビデオ通話を楽しんでいるという。ただこうしたデジタルによる養育は、親は子供の勉強や生活は気にかけるがネットの世界における心の欲求に気づかないという新たな問題も生まれる。
農村部の子供にとってインターネットは、窓口でもあり落とし穴でもある。外の世界に触れることはできるが扱いが不慣れである故に危険性もはらむ。祁氏は、農村部の子供は良し悪しを判断する力が弱いことに気づいた。「危ないことに出くわしてもどう対応していいかわからず、時に危ないと気づかないこともある」という。そこで家族、学校、住まいの全体で支えていくことが大事だという。
「留守児童」は受け身の社会的弱者ではなく、成長が見込める階層だ。明るい将来への道を切り開いていくことは、社会の公平性や希望に関わるものである。
世間的には、「インターネットは留守児童に対してむごすぎる」と見る向きが強い。手の届かない世界が見に飛び込んでくるからだ。ただし王氏は、「インターネットは開かれた窓」と見ている。現実では孤独な子供たちもバーチャルの世界で友逹を作り、暮らしをシェアすることで、気持ちも落ち着いてよりどころが生まれるのである。
ただし、画面だけが本当のパートナーであってはならない。現実の中で「スペースをこじ開け」、姿を見られ、理解してもらい、自分を探求する権利を与える必要がある。
祁氏は、農村部もネットワーク環境の改善が進みスマート機器を所有する世帯が95%以上となったことで、「アクセス権」における都市部との格差が随分と縮まったことを感じている。ただし、農村部の学校は情報科の教員が専門家ではないことが多く、セキュリティーやネットの扱いに対する教育が甘いという問題がある。すなわち、子供がネットの世界にはまると誤解をしたり危険な目に遭ったりしやすい、ということである。

特にショート動画がはびこる今、情報の「ゲート」が機能不全になっている。昔の子供たちは本や教室で知識を得たもので、情報も対象層やリズム感がはっきりしていた。ところがアルゴリズムによりこうした保護体制が崩れ、相手の年齢を区分けしなくなり、6歳の子供へも36歳の大人へも同じ論理でコンテンツを届ける。子供の段階で大人たちの気分や話題に触れてしまい、たちまち物真似意欲が刺激されて「大人化」する現象が際立っていく。学者の趙穎氏いわく「今の情報は海のようだ。どこも水だらけだが飲めるのは一滴もない」ということである。
このため、道を踏み外す「留守児童」もいる。教育不十分でオンライン詐欺に走ったり、戸籍が得られず転校させられたり、あるいは心の感情性が乏しい中でインターネットの幻想にもがいてしまう子供も多い。都市部では「オンライン生活」について親と対話をしたりできるが、農村部では独りでバーチャルの密林と相対することになりがちである。
インターネットはもろ刃の剣だ。都市部と農村部の情報格差を縮め、遠く離れた親の愛情を「留守児童」に感じてもらえる一方、ネットへの知見が足りず、実社会での支えがないことで危険性もはらんでゆく。
デジタル技術は窓を開くものである一方、すべての子供たちの成長経路を照らすほどのものではない。完全に変えていくにはやはり家族や学校、住まいの着実な支えが必要だ。現実の世界で「目に見えて、理解し期待を寄せてくれる」スペースを設ける。それでこそ、すべての子供たちがインターネットと現実のはざまでバランスを見出し、より広く明るい未来へと歩むことができるのだ。
(中国経済新聞)