石破首相が就任、中国はどう見るか(その1)

2024/10/21 11:45

石破茂首相は就任して10日後、ラオスでASEAN首脳会議に出席し、10月10日夜には中国の李強総理と初めての首脳会談を行った。その中で、政治の師と仰ぐ田中角栄元首相が1972年に訪中した際に述べた「われわれは過去の暗い袋小路にいつまでも陥ってはならない。今は日中両国の指導者が明日のために話し合うことが大事だと思っている。明日の会談のため、アジアそして世界の平和や繁栄という共通の目標のために、率直で誠意のある話し合いをする」という言葉を引用した。

李強総理は、就任間もない石破首相が述べた中日関係に対する思いを高く評価した上で、「中国と日本は一衣帯水の隣国であり、平和共存、永遠の友好、互恵協力、共同発展の道を行くことが両国国民の基本的利益に合致する。中日両国の発展はお互いにとって挑発ではなく重要な機会だ」と指摘している。

日中関係への対応にあたり、「石破丸」はわりと順調に船出したようである。

小泉進次郎氏、高市早苗氏、そして石破氏の3人による争いであった今回の自民党総裁選挙の中、中国はかねてから石破氏を評価していた。逆に高市氏に対しては、首相になれば間違いなく靖国神社を参拝し、たちまち歴史問題で日本との関係が大きくもつれてしまうという理由で反発していた。中国は歴史問題で日本に妥協することはあり得ず、両国関係はおのずと冷え込む一方になる。これは中国としては望ましくない結果である。

小泉氏は若く、勇気もやる気もあるが、不確定要素が多分に存在している。一方、ベテランでどっしりした石破氏は政治と外交とのバランスが十分にとれており、中国からすれば明らかに3人の中で最適任であった。

石破首相と交際の深い北京のある外交官によると、石破首相には「筋が違う」という口癖があるという。一見強硬な「タカ派」に見えるが、道理を重んじ公平や平等を訴える。だからこそ極端には走らず、バランス感が十分なのだ。またそれゆえに、これまで中国を批判したこともない。

石破首相のこうした「中国観」が形成されていったのは、二つの客観的要素が土台である。

一つ目は、田中角栄元首相の影響である。

田中氏は1972年、首相就任後ただちに北京を訪れ、周恩来総理と共同声明に調印し、日中両国の国交回復を宣言した。また石破首相の父親とは盟友であり、極めて緊密な関係だった。その父親が死去した後、田中氏は跡を継がせるために茂氏を父親と同じ選挙区で衆議院議員選挙の候補者に推薦している。田中氏は石破首相にとって、長年にわたる政治の師であるばかりか、父親同然の存在であって、縁談話まで薦められていたのである。

故に石破首相はかねてから中国と親しく付き合っており、「親中派」の代表とは言わないまでも、中国にケチをつけるような発言はなかった。

二つ目は、正しい歴史観である。

日本で「南京大虐殺」を否定する考えが出ていることについて、石破首相は2008年9月、産経新聞社の刊行誌「正論」での対談で、「少なくとも捕虜を不当に処分したのは事実であり、また軍の風紀やルールも乱れていた。民間人が犠牲になったことについては、客観的な調査で確認する必要がある」と述べており、ある意味では「南京大虐殺」が存在していたことを認めている。

また石破首相は靖国神社について、「侵略戦争を起こしたことで数百万の国民が死亡しており、戦犯は責任を負うべきだ」と見なしている。政治家の靖国参拝は政治的本質にそぐわないのでA級戦犯は別に祀(まつ)るべきだとし、これまで一度も参拝をしていない。

2013年5月、あるテレビ番組の討論で、侵略戦争を認めた「村山談話」について高市氏が「違和感がある」と述べた際、石破首相は即座に「誤解を招く発言は厳に慎んでもらいたい」と反論している。

(つづき)

(中国経済新聞)