2025年6月25日、香港を代表する美食家、作家、映画プロデューサーとして知られる蔡瀾(ツァイ・ラン)氏が、香港の養和医院で親族や友人に囲まれ、安らかに逝去した。蔡氏の遺志に従い、親しい人々の負担を避けるため、葬儀や追悼式は行わず、遺体はすでに火葬された。
蔡瀾氏は1941年8月18日、シンガポールに生まれ、幼少期をシンガポールとマレーシアで過ごした。父親は中国広東省潮州出身の商人で、蔡氏は潮州の食文化や家族の温もりに育まれた。10代で香港に移住し、そこで彼の多彩なキャリアが花開くこととなる。香港中文大学で学び、若くして映画業界に飛び込んだ蔡氏は、1970年代から1980年代にかけて、香港映画の黄金期を支えた重要人物の一人となった。
彼は映画監督・プロデューサーとして、ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟)やゴールデン・ハーベストなどの大手映画会社で活躍。ジャッキー・チェンやサモ・ハンが出演するアクション映画やコメディ映画の製作に携わり、香港映画の国際的な人気を牽引した。特に、ジャッキー・チェンの初期作品群の成功には蔡氏のプロデュース手腕が大きく貢献している。
しかし、蔡瀾氏を単なる映画人として語るのは不十分だ。彼は同時に作家、コラムニスト、美食家としての顔を持ち、その好奇心と情熱はあらゆる分野に及んだ。映画業界での成功を背景に、彼は執筆活動を通じて自身の人生哲学や食への愛を広く発信。香港の新聞や雑誌に連載されたエッセイは、ユーモアと洞察に満ち、幅広い読者層から愛された。

蔡瀾氏の最も知られた功績は、美食家としての活動だろう。彼は「食は人生の喜び」という信念のもと、香港、中国本土、東南アジア、日本、台湾など、アジア各地の料理を探求し、その魅力を発信し続けた。香港の屋台から高級レストランまで、ジャンルや価格帯を問わず、美味しいものへの情熱は揺るがなかった。
彼のテレビ番組『蔡瀾歓楽行』や『蔡瀾食遊記』は、香港やアジアの視聴者に大きな影響を与えた。これらの番組では、蔡氏が各地の市場や厨房を訪れ、シェフや地元の人々と交流しながら、料理の背景や文化を紹介。飾らない語り口と食への純粋な愛情が視聴者の心をつかみ、番組は長年にわたり人気を博した。特に、日本の寿司やラーメン、台湾の夜市、タイのストリートフードなど、彼が紹介する料理は国境を越えて多くの人々に愛された。
蔡氏は単なる評論家にとどまらず、食文化の伝道師として積極的に活動した。香港では自身のブランド「蔡瀾美食」を立ち上げ、調味料や食品のプロデュースを手がけた。また、レストランやカフェのコンサルティングも行い、香港の飲食業界の発展に貢献。彼の推奨する店は「蔡瀾のお墨付き」として、観光客や地元民に大人気となった。
蔡瀾氏は、美食だけでなく、人生そのものを楽しむ術を教えてくれる作家でもあった。彼のエッセイ集や著書は、食、旅行、映画、恋愛、人間関係など多岐にわたるテーマを扱い、独特の軽妙な文体で読者を魅了した。代表作には『蔡瀾的香港味道』『食在好時光』『蔡瀾人生真好玩』などがあり、これらは香港や中国語圏の読者に広く愛読された。
彼の文章には、深い人生哲学が込められている。「人生は短い、だから楽しむべき」「良いものを食べ、良い人と過ごし、良い場所に行く」――こうしたシンプルかつ力強いメッセージは、多くの人々に生きる喜びを再発見させた。蔡氏はしばしば、「私は美食家ではなく、ただ美味しいものが好きなだけ」と謙遜したが、彼の言葉は食を超えて、人生の豊かさを追求する姿勢を体現していた。
蔡瀾氏にとって、日本は特別な存在だった。彼は日本の食文化に深い敬意を抱き、寿司、天ぷら、蕎麦、焼鳥など、日本料理の繊細さと職人技を高く評価した。東京、京都、大阪など日本の都市を頻繁に訪れ、ミシュラン星付きレストランから街角の居酒屋まで、幅広く食べ歩いた。彼のエッセイや番組では、日本の食文化がたびたび取り上げられ、日本の地方の隠れた名店や伝統料理が香港やアジアの視聴者に紹介された。
また、蔡氏は日本の文化や美意識にも魅了されていた。茶道や花道、伝統工芸など、日本の美学に対する彼の洞察は、香港の読者や視聴者に日本の魅力を伝える架け橋となった。彼の日本への愛は、香港と日本の文化交流を深める一助となり、多くの香港人に日本旅行や日本食への関心を喚起した。
晩年の蔡瀾氏は、病と闘いながらも、食と人生への情熱を失わなかった。2020年代に入り、体調を崩すことが増えたものの、可能な限り執筆やメディア出演を続け、ファンとの交流を大切にした。彼のSNSには、食べ物の写真や旅の記録が投稿され、フォロワーに元気な姿を見せていた。
蔡氏の逝去は、香港だけでなく、アジアの食文化やエンターテインメント業界に大きな喪失をもたらした。しかし、彼が遺したものは計り知れない。食を通じて人々をつなぎ、人生の喜びを伝えた彼の哲学は、今後も多くの人々に影響を与え続けるだろう。香港の街角で、彼が愛した茶餐廳や点心店を訪れるたびに、人々は蔡瀾氏の笑顔と「美味しいものは人生を豊かにする」という言葉を思い出すに違いない。
(中国経済新聞)