中国の家電大手「国美」(グオメイ)創業者、黄光裕と妻の物語

2022/12/14 23:32

6月24日、ある人物の仮釈放により、中国の家電大手の株価が20%ほど跳ね上がった。今回、仮釈放されたのは黄光裕(Huang Guangyu)51歳。彼は、国美(グオメイ)の創業者で、30代半ばだった2004~08年、中国人の長者番付で一二を争った人物であった。しかし、そんな絶頂のさなかの2008年、インサイダー取引や収賄の容疑で逮捕され、その後、有罪が確定し刑に服することとなった。以下、仮釈放により株価を大きく上昇させた黄光裕と彼を支えた妻の物語を紹介したい。 

黄光裕は広東省出身で、家は貧しく、16歳で兄とともに内モンゴルに移り、事業を始めた。後に北京で家電量販店を開業したところから、その伝説は始まる。黄光裕は、家電販売が「暴利」をむさぼるのが当然とされた時代に、価格競争を徹底し、同業者がしなかった薄利多売と積極的な新聞広告で、顧客を獲得していった。

1990年代後半には、多店舗展開に舵を切る。都市中心部に集中的に店舗を増やし、シェアを高める手法をまず北京で成功させ、全国に拡大した。一気に敵陣に攻め込み、激烈な販売競争を繰り広げた結果、2004年までに中国全土をカバーする家電量販チェーンを築き上げ、家電販売でトップシェアを誇るようになった。

黄光裕は若くして中国を代表する富豪となり、その後、事業を不動産や金融に拡大していった。しかし、絶頂のさなかの2008年に逮捕され、2010年、14年の刑期を言い渡された。のちに刑期は2021年までに短縮され、6月24日に仮釈放された。

黄光裕の人生には、常に寄り添う妻の姿がある。彼の妻である杜鵑(Du Juan)は、1972年北京で、知識階級の家庭に生まれた。彼女は1980年代後半、北京科技大学を卒業し、その後、国有銀行に就職した。

90年代前半、国美はすでに北京で名を馳せていた。黄光裕は銀行との取引が多く、その関係で杜鵑に出会った。その後、二人の間に恋が芽生え交際を続け、1996年に婚姻届を提出。結婚後、杜鵑は銀行を辞め、国美集団に入社し、黄光裕の事業を全力で支えた。二人は人生のパートナーであると同時に、ビジネスパートナーとしても共に歩み始めた。

黄光裕氏ご夫婦

数年後、ある記者から「黄光裕氏から、どのような影響を受けましたか」と尋ねられた際、杜鵑は、「彼は私をいつも見守り、そして成長の場を与えてくれる」と答えている。彼女の言葉からは、夫に対する深い愛情と尊敬の念が伝わってくる。

杜鵑は、金融に精通し、英語が堪能であるだけでなく、資本運用を熟知しており、金融投資を得意としている。彼女は長い間、香港で資産投資を担当しており、国美がアメリカの投資機関と協力するたびに、率先して動いてきた。黄光裕の事業が大きく成長できたのは、彼女のおかげだともいえる。

2008年は、黄光裕の人生にとって大きな分岐点となった。この年、430億ドル(約5.8兆円)の資産を保有する彼は、中国富豪ランキング「胡潤百富榜」 で第3位となった。しかし、相場操縦などの容疑で捜査されたのもこの年だった。それから2年後、黄光裕はインサイダー取引などの容疑で逮捕され、懲役14年、罰金8億元(155億円)の判決を言い渡された。一方、同時期に逮捕された妻の杜鵑は、懲役3年6カ月を言い渡されたが、その後3年に減刑された。

黄光裕が収監された後、杜鵑は主に手紙で夫と連絡を取り合い、月に1度は面会に訪れていた。会社が大きな問題に直面すると、黄光裕に手紙を書き、二人で解決策を考えた。

2010年には、国美に未曾有の危機が訪れた。当時、国美の取締役会長だった陳暁(Chen Xiao)は、米投資ファンドのベイン・キャピタルと手を組み、国美の経営権を握ろうとした。国美の幹部の中にも、陳暁の味方をする者もおり、黄光裕と杜鵑にとって青天の霹靂であった。当時、黄光裕は獄中から杜鵑に幾度か手紙を送り、多くの幹部の解任を要求した。一方、杜鵑は、黄光裕の指示に従い職務を遂行した。黄光裕と杜鵑の努力の甲斐もあり、陳暁は追い出され、危機を脱出した。 

  杜鵑氏

黄光裕の逮捕以前、杜鵑は裏方に徹していた。その後、黄光裕が服役することになり、彼女は前面に出て経営を仕切るようになった。2012年、国美が8億元(約155億円)の損失を出したとき、杜鵑は「厳しい冬の時代に春を作り上げる」という新しいスローガンを打ち出し、それから数年で8億元の赤字だった国美を12億元(約233億円)の黒字に転換させた。

2017年、杜鵑がForbes China(フォーブス・チャイナ)の「中国で最も優れたビジネスウーマン」に選ばれた際、黄光裕は獄中で、「君が国美にいるから、私は何も心配していない」と伝え、杜鵑は、「あなたが出所した時には、もっと成長した国美を見せてあげる」と答えたという。そして彼女はそれを現実とした。

夫婦のことを中国語では、同じ森の鳥(同林鳥)と喩えるが、多くの夫婦は、困難に直面した時、別々の道を歩み始めることが少なくない。しかし、黄光裕が逮捕により最も苦しんでいた時期、杜鵑は彼を見捨てなかっただけでなく、困難な時期を一緒に乗り越える選択をした。

杜鵑は、かつてのインタビューで、「人生には浮き沈みがある。自分の未熟さゆえに転ぶこともあれば、外的要因で転んでしまうこともある。しかし、何があっても、どんなに大きな壁にぶつかっても、また立ち上がればいい。そして私にとって愛の形とは、夫婦が手を取り合い、一緒に添い遂げること。夫が逮捕されても、変わらず一緒にいようとしたのも、二人で歩み続けることが私にとって最高の愛であると心が知らせてくれたから」と語っている。

(中国経済新聞)