世界注視の中、習近平主席とバイデン大統領の会談がインドネシア・バリ島で行われた。
ここでは大方のメディアによる報道、識者における論評とは異なる視角で「もう一つの読み解き」を試みることにする。読者諸賢のご一考を仰ぎたい。
今回の米中首脳会談はバイデン氏が大統領の座に就いてはじめての習主席との対面による会談であったが、電話やオンラインでの会談、協議はすでに5回重ねられている。よって、双方の基本的な立場、考えについては「承前」というべきものであった。しかし奇妙なことに、多くのメディアは、会談前、双方の「レッドライン」が奈辺にあるのかを確認する会談となるという論旨で伝えた。会談後も同様に「今回の会談で両氏が目指したのは、互いの『レッドライン』(越えてはならない一線)を正確に把握することだった」(朝日11月15日)といった具合である。
顧みれば、ペロシ米下院議長の台湾訪問計画が浮上する中で実施された7月の電話協議では、「火遊びをする者はやけどを負う」と、習氏がきわめて厳しく「してはならないこと」すなわち「レッドライン」を示して警告を発したのだったが、そのわずか5日後にペロシ氏の訪台が強行された。「レッドライン」は明らかであったにもかかわらず、米国によって踏みにじられた経緯があったのである。「奇妙なことに」と言うのは、そうしたことすべてをご破算にして、あたかもこれからの問題であるかの如く「繕った」ことにある。
その淵源は、11月9日、前日に行われた連邦議会中間選挙を受けて記者会見に臨んだ際バイデン氏が「中国の習近平国家主席とアジアで会談する際に根本的な譲歩をするつもりはない」と述べるとともに「譲ることのできない『レッドライン』を互いに明確にし…」(ロイター11月10日)と語ったことに見て取れる。しかし、ここで重要なことはわざわざ「互いに」と断っていることである。一見強面に見えながら、どこか及び腰で「揺れる」バイデン氏の姿が透けて見える。そんな中で初の対面での首脳会談が行われたことを、まず押さえておく必要がある。
会談は、美しい白砂のビーチを備えた高級リゾートホテル、ザ・ムリアに滞在する習近平主席をバイデン大統領が訪ねる形をとって開催された。バイデン氏が習氏の滞在先に出向くことは米側からの申し出だったとされる。会談の開始は午後5時半。米国メディアによって「遅刻魔」とされているバイデン氏の車が「ムリア」に到着したのは5時23分。バイデン氏側の緊張感が読み取れる。
3時間半に及ぶ会談を終えて宿泊先のホテルに戻ったバイデン氏は「ちょっと風邪気味だが」と言いながら、冒頭「バリにようこそ」と切り出して記者たちの笑いを誘って会見に臨んだ。
習氏との会談について「オープンで率直な会話を交わした」としたうえで「中国とは精力的に競争するつもりだ。しかし、対立を望んでいるのではなく、競争を責任を持って管理したいと考えている」と述べた。最大の懸案、台湾問題については「一つの中国」政策は変わっていないと強調し「我々は、どちらか一方による一方的な現状変更に反対し、台湾海峡の平和と安定を維持することに全力を尽くしている」と力説した。「どちらか一方による」という文言は見逃すことができない。「台湾側も」と解釈することが妥当と言える文脈となっているからである。そして、「(今回の)議論をフォローアップし、米中間のコミュニケーションラインをオープンにし続けるために」ブリンケン国務長官に「中国に出張するように要請した」と、注目すべき事実を明らかにしたのだった。
続いて4人の記者からの質問に答えた。
最初に質問に立った「ウオール・ストリート・ジャーナル」のケン・トーマス記者からの「中国との新たな冷戦は避けられると考えているか。中国が台湾を侵略する準備をしている、意図していると考えているか」との質問に対してバイデン氏は「私は絶対に新しい冷戦を起こす必要はないと信じている。そして、中国側が台湾を侵略しようとする差し迫った動きはないと考えている」と答えた。さらに「両岸の問題が平和的に解決されることを望んでいると(習氏に)明言した。私が言ったことを正確に理解してくれたと確信している」と述べた。
続くAP通信記者の質問に対しては「意見が対立するところや、お互いの立場が不明なところについては、非常に率直に意見を言い合った。そして、それぞれの政権の主要人物と詳細な打ち合わせを行い、どうすれば解決できるか、解決できなかった場合はどのような根拠で解決できなかったのかを話し合う仕組みを作ることに合意した」と述べている。最後にロイターの記者に対して「私はすべての指導者、特に習近平氏に対して、私が言うことは本心であることを明確にしたい。最大の懸念は、我々一人ひとりの意図や行動に対する誤解だ」と結んだ。
長々とバイデン氏の発言を追ったのは、各文言、文脈に、中国および習近平主席を前にしたバイデン氏の「揺れ幅」が垣間見えるからである。メディアで伝えられた、習近平氏の泰然として大局を理詰めに語る姿との大きな落差を感じるのである。
「中国政府は今回の首脳会談について、『率直かつ深く踏み込んだもので、建設的』だったと説明。ペロシ氏訪台前の7月に行われた電話での首脳会談後に中国が出した声明にこうした表現はなかった。7月の声明は、漢字でわずか911字。14日の会談を受けた声明は2800字を超え、説明もより詳しかった」とは米「ブルームバーグ」の報道である。
言うまでもないが、国際政治の場でバイデン氏が真っ正直に本心をさらけ出しているなどと甘い考えは持ち合わせてはいない。しかし今回の首脳会談の推移にじっと目を凝らし、耳をそばだてると、「大勢は決した」といった感慨を禁じ得ない。とりわけ会談後の記者会見での発言を仔細にたどると、そこから見えるバイデン氏および米国の姿にはもはやかつての「覇権超大国」の絶対的な強さは見る影もないと言わざるを得ない。
「中国が世界のどこかで何かを試みると、その国の政府や住民が何を望んでいるかも十分に考えずに、とにかく対抗しようとする罠にワシントンははまっている」として「中国との競争がアメリカの外交政策を疲弊させ始めている」と警鐘を鳴らす識者が米国に現れた。(「米対中戦略の落とし穴-ビジョンなきゼロサム思考の弊害」ジェシカ・チェン・ワイス米・コーネル大学教授「フォーリン・アフェアーズ・リポート」2022年10月)。
まさに世界と時代の「潮目」は変るという実感を抱く。しかし、それゆえに、まだまだ長い道のりとは言え「舞台から退く過程」に入った旧秩序からの「リアクション」もまた苛烈になるということを忘れてはならないだろう。
「潮目」が変わる時とはそうした緊張感の要求される時でもあることを同時に肝に銘じて、これからの米中関係、中国と世界を見据えていかなければならないと痛感するのである。
(文・木村知義)
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【筆者】木村知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。