ペットボトルをつかむ、食器を電子レンジに入れる、宅配便の荷物をスキャンする――。一列に並んだ具身知能ロボットが、データトレーナーの遠隔操作のもとで同じ作業を何度も繰り返している。
そのそばでは、モーションキャプチャー装置を身に着けた作業員が衣服を畳んだり、ベッドを整えたりしている。人間の一つひとつの動作がセンサーで記録され、ロボットが学習するための「教材」へと変換されていく。
こうした光景が、中国各地の具身知能トレーニング施設で見られるようになった。「ロボット学校」とも呼ばれるこれらの施設は、具身知能を研究室から実際の産業現場へ移すための重要なインフラとして急速に整備が進んでいる。
全国で70カ所超が稼働
人間にとっては当たり前の動作でも、ロボットにとってはそう簡単ではない。衣服を畳む、コップを持つ、机の上を片付ける――。こうした作業をロボットがこなすには、実際の動作を繰り返し経験させ、データを蓄積していく必要がある。
ロボットが物体をどこでつかんだのか、どの程度の力を加えたのか、どのような軌道で動いたのか、作業に成功したのか。こうした情報を収集し、整理・加工したうえで、次のモデル学習に活用する。

大規模言語モデルやマルチモーダルAIは、文章や画像などインターネット上に蓄積された膨大なデータを活用することで、「知識」の面で飛躍的な進歩を遂げてきた。
一方、具身知能が目指すのは、現実世界で「動く」ことだ。そのためには、ロボットが実際の環境で作業する際に得られるデータが欠かせない。
これまで、こうしたデータは体系的に収集、処理、蓄積されておらず、具身知能の発展にとって大きなデータ不足が課題となっていた。
こうした背景から生まれたのが具身知能トレーニング施設だ。実際の物理環境の中で、データの収集からモデルの訓練、システムの性能検証、改良までを行うための基盤である。
中国情報通信研究院がまとめた「具身知能トレーニング施設研究報告(2026年)」によると、2026年6月末時点で、中国では70カ所を超える施設がすでに建設・稼働している。さらに、40カ所以上が建設中または計画段階にある。
施設は、具身知能関連産業が集積する長江デルタ、京津冀、珠江デルタの3地域を中心に広がっている。省・市別では浙江省が14カ所で最も多く、江蘇省、北京市、広東省、山東省がそれぞれ8カ所で続いている。
「人材」より「現場」を重視する立地へ
トレーニング施設の立地にも変化が起きている。中国情報通信研究院人工知能研究所で具身知能分野を担当する張蔚敏氏によると、施設は従来のAI産業のように大都市へ集中するのではなく、三線、四線、さらには五線都市にも広がっている。
その背景にあるのが、立地を決める基準の変化だ。これまでのAI産業では、人材や資金が集まる都市が重要だった。これに対し、具身知能では、ロボットを実際に動かせる場所、十分なデータを確保できる場所、効率的に運営できる場所が重要になる。「適した現場があるところに、トレーニング施設をつくる」という発想への転換が進んでいる。
データ収集の場から「産業のハブ」へ
具身知能トレーニング施設は、もともとロボットの学習データを集めるために整備された。しかし現在、その役割は大きく広がっている。広東省の具身知能トレーニング施設では、施設そのものを「ロボット学校」と位置付けている。同施設の責任者である高芳氏は、人間が学校で知識や技能を身につけてから社会に出るように、ロボットも「学校」で学び、そこから実際の仕事へ進むという将来像を描く。
例えば広東省では、広東・香港・マカオ大湾区に製造業やロボット関連企業が集積している。トレーニング施設は、ロボットメーカーと実際に導入する企業を結び付け、ロボットが働ける現場や、AIモデルの訓練に必要な資源を提供している。製造、医療、エネルギーなどさまざまな業界とロボット企業をつなぐ「橋渡し役」としての機能も強まっている。
企業の開発コストを抑える国家級拠点
浙江省杭州市では、国家人工知能応用中試基地(具身知能)が、こうした役割をさらに広げている。同基地は、国有企業が主導し、業界大手や実際にロボットを利用する企業などが参加するオープンな協力体制を構築している。計算資源、データ、モデル、実証環境などをまとめて利用できる公共サービス基盤を整備し、企業の開発を支援する。
あるロボット企業の経営者は、以前は一つの用途を開発するだけでも、訓練データの準備に1000万元規模の費用がかかっていたが、基地を利用することで必要なリソースを一括して確保できるようになったと話す。こうした仕組みが整えば、資金力の限られるスタートアップでも、国家レベルの計算資源やデータ、実証環境を利用しやすくなる。研究開発から実用化へ移る際のコスト削減にもつながる。
問われるのは「建設」から「運営」へ
一方、トレーニング施設を増やすだけでは、具身知能の普及にはつながらない。これから問われるのは、施設を「どれだけつくるか」ではなく、「どれだけ有効に使えるか」だ。中国では2026年6月、工業・情報化部と国務院国有資産監督管理委員会が、人型ロボットと具身知能を対象とした実環境での訓練・実証に関する特別行動を開始した。
実際の利用現場を重視し、省レベルの地域ごとに少なくとも20の重点シーンを選定。既存設備を活用しながら作業環境を改修し、ロボットの訓練、テスト、性能検証ができる実環境を整備する方針だ。
国家・地方共同建設の人型ロボット・イノベーションセンターの首席科学者、江磊氏は、具身知能ロボットはすでに「ゼロから1」への技術的な突破を実現したものの、「1から10」へと規模を拡大するには、標準体系やエンジニアリング管理、中試などの課題が残っていると指摘する。
なかでも大きな課題となっているのが、実際の現場にロボットを適応させる「シーン適応」だ。
データも「量」から「質」へ
ロボットの学習精度を高めるには、データの標準化も欠かせない。中国情報通信研究院など40以上の機関が共同で策定した「具身知能データセット品質要求及び評価方法」は、2026年11月1日から正式に施行される予定だ。
この標準の導入によって、具身知能のデータセットは「どれだけ大量に集めたか」だけでなく、「どれだけ質が高いか」が重視されるようになる。
データの品質を一定の基準で評価できるようになれば、異なる施設で収集したデータの活用や再利用もしやすくなり、具身知能モデルの開発効率向上につながる可能性がある。
持続可能なビジネスモデルが課題
もう一つの課題が、トレーニング施設そのものの事業継続性だ。現在、多くの施設は、収集・加工したデータの販売を主な収益源としている。しかし、データを売るだけでは、施設の建設や運営にかかるコストを十分に賄うのが難しいとの指摘もある。
そこで今後は、データ提供にとどまらず、モデルの訓練やロボットの実証まで一括して請け負う「Training as a Service(TaaS)」への転換が模索されている。
データの収集・加工、モデル訓練、実際の用途での検証、企業間のマッチングなど、複数のサービスを組み合わせることで収益源を多様化し、施設を持続的に運営できる体制をつくる狙いだ。
「ロボット学校」が産業化の橋渡し役に
中国で急速に増えている具身知能トレーニング施設は、単なるロボットの「練習場」から、データ、計算資源、AIモデル、実証環境、企業をつなぐ産業インフラへと役割を広げている。
すでに70カ所を超える施設が稼働し、さらに40カ所以上が建設・計画段階にある。中国では、具身知能の研究開発だけでなく、技術を実際の産業現場へ移すための基盤整備も進んでいる。
ただ、施設の数を増やすだけでは十分ではない。今後は、実際の産業ニーズに合った利用シーンの開拓、高品質なデータの確保、標準化、効率的な運営、そして持続可能なビジネスモデルの構築が重要になる。
「つくる」段階から「使いこなす」段階へ――。中国の具身知能産業では、トレーニング施設をいかに実際のロボット導入につなげていくかが、次の焦点となっている。
(中国経済新聞)
