中国のIT業界には、若くして会社をつくり、一気に富豪になった起業家が少なくない。しかし、小米(XXiaomi)の創業者、雷軍の人生は少し違う。彼が小米を創業したのは2010年、40歳になってからだった。それまでにすでに上場企業の経営者を経験し、自ら創業したインターネット企業を米アマゾンに売却し、さらに著名なエンジェル投資家にもなっていた。普通なら、そこで十分に「成功した人生」と言える。
ところが雷軍は40歳になった時、もう一度ゼロから会社をつくり、スマートフォンをつくり、家電をつくり、最後には自動車までつくり始めた。中国の企業家の中でも、これほど長期間にわたり、何度も自分のキャリアをつくり直した人物は珍しい。
武漢大学コンピューター学科卒業
雷軍は1969年、湖北省仙桃市に生まれた。1987年、武漢大学コンピューター学科に入学する。人生を変えたのは、大学の図書館で読んだ『シリコンバレーの火』という一冊の本だった。若者たちがガレージから会社を起こし、コンピューターで世界を変えていく。その物語を読んだ雷軍は興奮して眠れず、その夜、大学のグラウンドを歩き続けたという。「いつか自分も偉大な会社をつくりたい」。それが18歳の雷軍が抱いた夢だった。ただし、夢を見るだけでは終わらなかった。彼はまず「4年間の大学の単位を2年間で全部取る」という目標を立て、実際に2年間で必要な単位をほぼ修了し、卒業設計まで完成させた。大学時代からソフトウェア開発にも熱中し、暗号化ソフトやウイルス対策ソフトなどをつくり、武漢のコンピューター業界では少し知られた存在になっていた。
金山軟件の社長に
1991年に大学を卒業し、翌1992年、雷軍は金山軟件(Kingsoft)に入社する。当時の中国では、パソコンそのものがまだ珍しかった。金山は中国語ワープロソフト「WPS」で知られる会社で、創業者の求伯君は中国を代表するプログラマーだった。雷軍にとっては憧れの存在でもあった。彼はそこで、単なる技術者から経営者へと変わっていく。
1998年には金山の社長となり、ソフトウェア会社だった金山を、インターネットサービスやセキュリティー、オンラインゲームなどを手掛ける企業へと転換させていった。金山が香港市場への上場を実現したのは2007年で、上場までには長い年月がかかり、雷軍自身が後に「8年間走り続けた」と語るほど苦しい道のりだった。その間、雷軍は別の事業にも挑戦している。2000年にはオンラインショッピングサイト「卓越網(Joyo・com)」を創業した。当時の中国ではインターネット通販はまだ新しい産業だったが、卓越網は急成長し、2004年に米アマゾンが買収した。現在の「Amazon中国」につながる事業である。
金山を離れた後の雷軍は、投資家になった。中国のインターネット企業に次々と投資し、その経験を通じて彼が強く意識するようになったのが、「時代の流れ」だった。雷軍には後に広く知られるようになった考え方がある。どれほど努力しても、時代の方向を間違えれば大きな成功は難しい。逆に、巨大な産業の変化をつかむことができれば、企業は一気に成長できる。
そう考えるようになった雷軍が、2009年前後に見つけた新しい巨大市場がスマートフォンだった。2007年にApplがiPhoneを発売し、携帯電話は「電話機」から「手のひらに載るコンピューター」へと変わり始めていた。一方、中国では高性能スマートフォンはまだ高価だった。雷軍はそこにチャンスを見た。
40歳で小米を創業
2010年4月、40歳の雷軍は仲間たちと小米を創業する。最初につくったのはスマートフォンではなく、「MIUI」というAdroidベースの基本ソフトだった。インターネット上のユーザーから意見を集め、毎週のように改良する。製品が完成してから消費者に売るのではなく、消費者と一緒に製品を育てるという発想だった。2011年、小米は最初のスマートフォンを発表する。高性能でありながら価格を抑え、主にインターネットで販売した。広告宣伝費や流通コストを減らし、その分、性能と価格で勝負する。この「インターネットスマホ」というビジネスモデルは中国市場で爆発的に支持された。小米は急成長し、やがてスマートフォンだけの会社ではなくなった。テレビ、スマートウォッチ、イヤホン、炊飯器、掃除ロボット、空気清浄機、エアコン、冷蔵庫、洗濯機まで、スマートフォンを中心に家庭にあるさまざまな機器をインターネットにつなぐ巨大なIoT生態系をつくっていった。そして2018年7月、小米は香港証券取引所に上場した。創業からわずか8年だった。
しかし雷軍は、それでも満足しなかった。2021年3月、51歳になった雷軍は、小米が電気自動車(EV)事業へ参入すると発表した。「これは私の人生最後の大きな起業プロジェクトになる」。そう宣言し、小米はEV事業に最初の100億元(約2326億円)を投入し、10年間で100億ドル規模を投資する計画を打ち出した。スマートフォンメーカーが本当に自動車をつくれるのか。当初は疑問の声も多かった。しかし2024年、小米初のEV「SU7」が発売されると状況は一変した。SU7シリーズは発売初年度の9カ月間だけで13万6854台を納車し、小米の自動車事業は、単なる新規事業ではなく、スマートフォン、家電、自動車を一つにつなぐ「人・車・家」の巨大な生態系の中心へと育ち始めた。
2026年現在、雷軍は小米集団の創業者、会長兼CEOであり、さらに金山軟件の会長も務めている。小米の事業は世界100以上の市場に広がり、スマートフォンだけでなく、家電、ウェアラブル端末、IoT、EVまでを含む巨大なテクノロジー企業へと成長した。
派手なカリスマ性
雷軍は中国の企業家の中では珍しく、派手なカリスマ性よりも、エンジニア的な合理性で知られる。製品発表会では自ら壇上に立ち、技術仕様や価格を細かく説明する。SNSでもユーザーの反応を直接読む。ジョブズのような製品哲学、トヨタのような製造効率、インターネット企業のような高速な商品開発を一つの会社に取り込もうとしてきたのが小米だったとも言える。もちろん、そのモデルには課題もある。低価格と高性能を同時に追求すれば利益率は上げにくく、事業領域を広げ過ぎればブランドが曖昧になる。自動車事業には巨額の投資が必要であり、競争も激しい。それでも雷軍は、スマートフォンの次に何が来るかを考え、会社の形そのものを変え続けている。
18歳の雷軍が武漢大学で抱いた「偉大な会社をつくりたい」という夢は、単に会社を大きくするという意味ではなかったのかもしれない。金山ではソフトウェアを学び、卓越網ではインターネットを学び、投資家として産業の変化を観察し、小米ではハードウェアとネットサービスを結びつけた。そして50歳を過ぎてから自動車産業に入った。雷軍の経営者としての本質は、一つの成功モデルを守ることではなく、その成功モデルが古くなる前に自ら壊し、次の成長曲線を探し続けることにある。小米の未来がEVとAIによってどこまで広がるのかはまだ分からない。しかし、雷軍という経営者を理解する上で重要なのは、彼が「スマートフォンを安く売った男」ではなく、技術革新によって産業の境界が崩れる瞬間を見つけ、そのたびに事業の構造を組み替えてきた人物だということである。
(中国経済新聞)
