中国の伝統的な風習や民間信仰の中には、「馬年は寡婦年」と呼ばれる言い伝えがある。とりわけ2026年の丙午(ひのえうま)の年が近づくにつれ、SNSでは「2026年の馬年は無春年で結婚に向かない」「823年に一度の特別な年」などといった情報が拡散している。では、こうした説に科学的根拠はあるのだろうか。
「無春年」とは何か
中国の伝統暦である農暦(太陰太陽暦)は、月の満ち欠けを基準に月を定め、1年は約354~355日となる。一方、現在広く用いられている太陽暦(グレゴリオ暦)は約365.24日であり、両者には約10日の差が生じる。
この差を調整するため、古来より「19年に7回、閏月を置く」という方法が採られてきた。これにより、農暦と季節のずれをおおむね調和させている。
しかしこの調整の結果、ある年には春節(旧正月)が立春の後に訪れ、翌年の立春が次の春節の前に来ることがある。つまり、その農暦の1年の間に「立春」という節気が一度も含まれない年が生じるのである。これを「無春年」、または「盲年」「寡年」と呼ぶ。
無春年は決して珍しい現象ではなく、平均すると2~3年に一度起こり、19年周期の中で約7回現れる。古くから「十九年に七たび寡年あり」といわれるように、暦法上の自然な特徴にすぎない。

「寡婦年」という呼び名の由来
もともと「無春年」は「春のない年」あるいは「寡年(=少ない年)」と呼ばれていた。「寡」という字は「少ない」「欠けている」という意味を持つ。ところが後世になって字義を拡大解釈し、「寡婦(夫を失った女性)」の「寡」と結び付け、「寡婦年」という呼び名が広まったとされる。
その背景には、古代中国の陰陽思想がある。
立春は陽気の始まりであり、万物がよみがえる時期とされる。少陽の気、すなわち男性性や生殖力、春の種まきを象徴する節気でもある。
立春がない→ 陽気が来ない→ 陰だけでは万物は生じない→ 男性の伴侶がいない→ 「寡婦」
こうした連想が重ねられ、「無春=生気がない=子孫が続かない」と解釈され、やがて「無春年に結婚すると縁起が悪い」「夫を不幸にする」「婚姻がうまくいかない」といった俗説が付け加えられたのである。
馬年に特別な意味はない
重要なのは、「馬年」そのものに特別な意味があるわけではないという点だ。2002年(壬午)や2026年(丙午)がたまたま無春年に当たるため、SNS上で「馬年=寡婦年」という図式が強調されているにすぎない。
無春年は、辰(たつ)年、巳(み)年、未(ひつじ)年、亥(い)年など、他の干支の年にも起こる。馬年に限った現象ではないが、馬年が巡るたびに話題になりやすいだけなのである。
2026年は本当に無春年か
2026年の農暦・丙午年は、春節が2月17日に始まる。一方、2026年の立春は2月3日で、これは前年(乙巳年)に属する。次の立春は2027年2月4日で、これは翌年に入る。
そのため、2026年の農暦1年の間には立春が含まれず、暦法上は確かに「無春年」に当たる。だが、これはあくまで暦の仕組みによる自然な現象であり、吉凶や結婚の成否とは何ら関係がない。
迷信に振り回されないために
中国の民俗学者や天文学者の多くは、「寡婦年だから結婚を避けるべきだ」という説は典型的な民間迷信であり、字面からのこじつけにすぎないと指摘している。信頼できる古典文献に明確な根拠はなく、科学的裏付けも存在しない。
実際には、「念のため避けておいた方が安心だ」という心理や、周囲に合わせる同調圧力が影響している面が大きいと考えられる。
現代社会において、結婚の成否を左右するのは、当事者同士の信頼や価値観、経済基盤、責任感といった現実的な要素である。立春があるかどうか、干支が何かといった暦上の条件とは無関係だ。
「823年に一度」「超特別な年」といった表現も、注目を集めるための誇張にすぎない。無春年は数年に一度、規則的に訪れるごく一般的な現象である。
馬年は寡婦年なのか。
無春年であることは事実だ。だが、「寡婦年が婚姻を不幸にする」というのは、単なる俗説にすぎない。結婚したいならすればよい。幸せになりたいなら努力すればよい。干支や節気に人生を左右される必要はない。大切なのは、迷信に振り回されず、理性的に判断することである。
(中国経済新聞)
